銀翼の残光 その1

「ちょっと!

 これは何なのよ!?」


 正月明け。

 冬休み気分も抜けない私の前に出された資料を見て叫ぶ。

 事が政治案件だから一条が来てその判断を私にゆだねたのだが、さすがにこれはと橘と共に頭を抱える。


『株式会社帝興エアラインの融資案件について』


 私はこれがやばいという事を知っていたからだ。




 帝興エアラインはこの国のナショナルフラッグキャリアであり、今世でもその歴史は古い。

 前世と違うのは、北日本政府のナショナルフラッグキャリアである樺太航空を併合した上で、国内第三位の極東空路と経営統合している点である。

 つまり、隠れ負債が山ほどある。


「というか、何でこれが正常債務分類なのよ?」


 九段下のムーンライトファンド中枢内に作られた私の部屋に居るのは一条と橘のみ。

 これを隠しきっていたのは言わずもがなの旧大蔵省の天下り連中で、上場前の掃除とばかりに彼らを穏便に退職に追い込んだ事でやっとこの爆弾の存在に気づけたという始末。

 私のボヤキに橘が苦笑する。

 彼でも触れられなかったパンドラの箱の中を覗いて、私も呻くしかない。


「完全な政治案件だからです。

 北日本軍の軍人の流出、特にパイロットを共産中国にスカウトされないための措置でした」


 桂華金融ホールディングスの中には政治案件を多く抱えていた旧長信銀行や旧債権銀行があり、それらが不良債権とみなされなかったのは、暗黙の政治保証があったからに他ならない。

 帝興エアラインよりもヤバイ不良債権は山ほどあったし、少なくとも経営統合で国内線国際線を数多く持つ日本最強の航空会社になったという報道は嘘ではない。

 だが、9.11同時多発テロが全てを吹き飛ばした。

 世界各地で大手航空会社が破綻する中、日本も潰してはなるものかと政府系金融機関が支援を行っていたのだが、そこにSARS(重症急性呼吸器症候群)がとどめを刺した。

 経営が窮地に陥った国内三位の航空会社である極東空路を救済する形で公的支援を大々的に投入する事になったのだが、これにより隠れ債務は見るに堪えないぐらい膨らんだのである。

 樺太航空から継承した旧東側機材のリプレース費用と人件費、さらに極東空路の債務まで入れるとこの時点で一兆円を超えており、その半分の五千億円が桂華金融ホールディングスの融資となっていたのである。

 そして、帝興エアラインは合併にともなうリストラ推進を名目に五千億円もの資金調達を要請し、奉加帳方式でうちにも融資の要請が来たという訳だ。

 その金額は一千億円。


「出せない事はないです。

 このぐらいの金額ならば。

 そして、追加融資を含めた六千億円を不良債権として処理しても今の桂華金融ホールディングスは揺るぎもしません」


 橘を横目で見ながら一条は言い切る。

 私の支援のみという弱い地盤の中で、必死に桂華金融ホールディングスを守り修羅場をくぐったバンカーとして矜持が見えた。

 だからこそ、問題点をジョークみたいに笑い飛ばせる。


「尤も、桂華金融ホールディングスがこの春上場するという一点を無視すれば、ですが」


 帝興エアラインが順調に経営再建をできるならば何も問題はない。

 桂華金融ホールディングスが株式上場をしなければ何も問題はない。

 それがこの春に発生するから、問題がここまで大きくなったのである。


「正直、SARSが無ければまだなんとかなったのでしょうが、現状でこれ以上の融資はきついと言わざるを得ません。

 そして、融資をして株式上場をした後で帝興エアラインの経営危機が発覚すれば、融資責任を問われて株主代表訴訟が起きかねません」


 橘が淡々と起こりうる未来について語る。

 私はそれを聞いて額に手を当ててぼやきたいが我慢。


「繰り返しますが、帝興エアラインの融資を拒否して今までの融資を不良債権に分類しても上場スケジュールへの差し障りはありません。

 今の桂華金融ホールディングスには、それだけの体力があります」


 そして、一条がこの問題の厄介さを口にする。

 つまり、引き金を引いた場合の連鎖だ。


「ですが、桂華金融ホールディングスが帝興エアラインを不良債権分類にした場合、他の金融機関も帝興エアラインを不良債権分類にするでしょう。

 帝興エアラインは一撃で破綻します」


 現状分かっている債務だけで一兆円。

 破綻した結果負債総額がいくらまで広がるか見当がつかない。

 それでも金融機関は一度引き金を引いたならば、不良債権処理の完遂を名目に帝興エアラインを見捨てるだろう。

 それぐらい、今のこの国は不良債権処理を終わらせようという強い決意があった。


「帝興エアラインの救済に躍起になっているのが国土交通省。

 不良債権処理に躍起になっているのが金融庁ですな」


「連携とれていると思う?」


 橘が淡々と監督官庁の縄張りを確認し、私は自虐の笑みを浮かべ、一条が嘲笑で返事をした。

 こういう時、互いに修羅場をくぐったからの表情である。


「まさか。

 大蔵省の銀行局と証券局ですらあの97年の時に連携が取れていなかったのですよ?

 省庁が違う時点で連携なんてとれている訳ないじゃないですか!」


「ですよねー」


 そもそも、桂華金融ホールディングスの上場は、不良債権処理終了を宣言する恋住政権の政治的アピールの側面が強い。

 その上で、こんな爆弾を投げられたら何処に炸裂するか分かったものじゃない。

 桂華グループは新宿新幹線をはじめとした鉄道に巨額の投資をしていた。

 その鉄道事業の監督官庁が国土交通省である。

 桂華金融ホールディングスが金融庁に尻尾を振って国土交通省を激怒させたら、桂華鉄道が確実に報復を受けるのが目に見えていた。


「いいわ。

 お金で解決できるならば、解決するべきね。

 一条はムーンライトファンド経由での迂回融資は可能か帝興エアラインの幹部に秘密裏に接触して頂戴。

 あと、帝興エアラインの債権は全部ムーンライトファンドの方で引き取って身綺麗にしておいておくこと。

 橘は、国土交通省の幹部に接触して、帝興エアラインの再建について言質をとっておいて頂戴。

 暗黙だからといって政府保証を反故にされてたまるものですか。

 最悪、先生の皆様にお話を通して、落としどころを探るわよ」


「わかりました。お嬢様」

「かしこまりました。お嬢様」


 そんな会話の後、相手は私の予想より早くに動いてきた。

 かくして、私はその翌日の朝、まだ朝日が出ないうちからたたき起こされる事になった。


「お嬢様。

 起きてください。お嬢様!!」


 橘由香に揺さぶられて私は夢の国から引きずり出される。

 時間はAM5:00。

 寝ぼけた頭はまだ回っていない。


「何よ。

 昨日遅かったんだからもう少し眠らせてよぉ……」


「経済新聞の一面スクープです。

 『内部告発!帝興エアラインに隠れ債務発覚か!?』。

 既に関係各所が走り回っており、市場もこのニュースに反応しています」


「はぁいぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 朝の目覚めにはきつすぎる一撃を食らったこの日、市場は大混乱の果てにきつい下げで終わった。

 帝興エアラインがこの日、取引停止になるまで売られる事で、市場はこの噂を追認したのである。




────────────────────────────────


〇〇〇〇〇「××××見た?」


日曜九時のドラマの数年前の出来事。

既にこの時点であの会社の命運は尽きていた。

樺太航空という架空ナショナルフラックキャリアを入れただけでほら発火したorz


パイロット流出

 技術職の最たるものである空軍関係者の第二の就職先がこの手の航空会社である。

 この手の技術系人材の他国からの引き抜きはこのあたりから顕著になってゆく。


五千億円の融資

 桂華金融ホールディングスが多くの都市銀行や地銀に信託銀行、証券会社に保険まであるため個々の旧企業の融資がまとめられてという結果である。

 破綻に至らずに国有化という甘い環境がこの爆弾を埋めたままにした。


奉加帳方式

 大体政府が主導して大手金融機関が横並びで金を出すときに使われる。

 もちろん、そういう時の金というのは敗戦処理が多い。


株主代表訴訟

 これがそろそろ本気で怖くなる。

 今までは唯一の株主である瑠奈の一存だけを見ていればよかったのだ。

 コンプライアンスという言葉が企業から聞こえるようになるのがこのあたり。



極東空路

 国内三位のエアライン。

 この会社の親会社が私鉄だった事は実は超大事なポイント。

 そんなエアラインの歴史の動画があるので第一話をご紹介しよう。


迷航空会社列伝by akamomo

【第1話・第三の航空会社】東急の空への夢・東急視点のJASの歴史

https://www.youtube.com/watch?v=eWfU1Ivwar0


あ、しくじり企業も紹介しておかないと。


カカチャンネル

負債2兆円持ちの日本の翼【企業の歴史を学ぼう】~日本航空~

https://www.youtube.com/watch?v=HWLZK5tNb50


SARS

 2002年から2003年にかけて流行。

 本当に2000年代は航空会社の厄年だな。これは。

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