新潟港 某所の密談

 新潟港。

 日本海有数の貿易港の一つであり、ロシアや樺太からの船が東京に向かう際の中継地の一つである。

 その為か、樺太からの移民は関東や北海道の次に多く、そちらのコミュニティーもできていた。

 そんな港の近くの食堂で前藤正一樺太道警監察官が荷物もなく豊原行の船を待っていた。


「ここ、いいかな?」

「どうぞ」


 表向きは港湾労働者向けの地元の店らしく、客の居ない店内なのに隣に座った男は前藤と同じものを頼んだ。

 カレーライス。

 警察を定年退職した店主の第二の人生を支える一品だが、こういう話し合いの場所を提供する事でも生活の糧となっていた。


「前藤さんはつけられていないだろうな?」


「本職相手に仕掛ける輩が居たら今頃警察署で宿泊しているだろうよ。

 三人ばかり、檻付きのホテルに宿泊する事になったみたいだが」


 中々物騒な話題から始まるが、店長は奥に引っ込んでテレビを眺めている。

 危ない話はこういう所の方がかえって漏れにくい。


「で、バカンスを堪能している連中の後ろは?」


「察している通り、ロシアンマフィアだよ。

 樺太疑獄を逃れたい連中が四六時中付きまとう。

 そいつらを監獄に入れる為に本土に移すのも一苦労でな」


「樺太の監獄ほど当てにならない場所は無いだろうからな」


 急激に資本主義社会に組み込まれた樺太は、他の旧社会主義国と同じく金があれば何でもできる社会に成り果てていた。

 樺太の監獄に犯罪者をぶち込んでも、裏社会の大物は華族の不逮捕特権の下に隠れ、金がある犯罪者ならば別荘暮らしにしかならず、身代わりでホームレスが収監されて監獄内で謎の死を遂げる事も多発。警察内部の粛正と浄化も前藤の仕事となってしまっていた。

 だが、公安出身の彼の仕事は内部粛正だけではない。

 ここにいるのは、彼の本来の仕事の為である。


「2001年の9月11日の騒ぎを覚えているか?」

 

「忘れるどころか、今後教科書に乗り続けるだろうよ。

 あのツインタワーの崩壊は」


「あの騒動の元は『核がテロリストに流れた』だったろう?

 その話に続きがあったと言ったらどうする?」


 前藤のスプーンが止まる。

 男のスプーンは止まらず、口も止まらなかった。


「安心しろと言いたい所だが、それだったらここでこうやってカレーを食べてないだろう?

 まぁ、核本体ではない。だが、核以上にやばい話だ。

 話は、スターウォーズ計画までさかのぼる」


 『映画?』と茶化す余裕は前藤にはなかった。

 正式名称は『戦略防衛構想』。

 1980年代に米国が推進した衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星や早期警戒衛星などを配備した上に、地上の迎撃システムが連携して米国に向かう大陸間弾道弾を迎撃・撃墜する米国の大軍拡計画である。

 この大軍拡にソ連をはじめとした東側諸国は追随しようとしたが、アフガニスタン侵攻や経済政策の失敗で追随できず、ベルリンの壁崩壊の遠因と呼ばれているプロジェクトの名前が出て前藤はやっと己のスプーンを口に入れた。


「元々宇宙開発は軍事目的と裏表だ。

 軍の機密として打ち上げられた衛星については米国でもトップシークレットの一つになっている。

 その東側の衛星についての話なんだが……」


「把握している数が合わない?」


 東側の核管理については、既にどれだけ酷いものかを前藤は理解していた。

 だが、男はカレーを口に入れつつ薄く嗤った。


「だったらまだ良かったんだがな。

 まず、奴らはその数を把握できていない」


 カランと前藤のスプーンがテーブルから床に落ちたのにそれを前藤は拾えない。

 男は楽しそうに東側の内情をばらす。


「独裁者ってのは、基本的に軍を信用していない。

 クーデターで倒される可能性の第一候補だからな。

 その為に、秘密警察みたいな連中を信頼する事になる。

 待っているのは軍と警察の縦割りと対立だ」


「……KGBの連中も核を持っていたと?」


「そこまで連中も馬鹿ではない。

 今のロシアで組織を維持しながら影響力を行使しているのは旧KGB閥の連中だ。

 奴らは軍が何かをする前に粛正する権限があったからそこまで手を出す必要もないしな」


「話が見えないな。そろそろ核心を言ってくれ」


「旧ソ連軍の戦略ロケット軍のスパイ衛星。

 こいつの数がわからない」


 男が落ちたスプーンを拾い店主を呼ぶ。

 新しいスプーンを前藤の前に置いて、店主が奥に引っ込んだのを確認して話を続ける。


「軍はKGBへの対抗から邪魔されない核ボタンを欲しがったんだが、それを許すKGBではない。

 で、軍の一部が米国のスターウォーズ計画に目をつけた。

 自国の核ミサイルボタンはKGBの目がある。

 だが、米国の核ミサイル衛星をハッキングするプログラムがあるならば、パソコンのエンターキーだけで事が足りるという訳だ。

 これをソ連は無理して打ち上げたのだが、ソ連が崩壊して行方が分からず。

 KGBも後で知ったみたいだが、情報と人材は散逸し、モノは遥か衛星軌道だ。

 確認したくても今の奴らにそれを確認する手はないよ」


「そのころから技術は進歩していると思うが?」


「宇宙なんてメンテナンスができないような所じゃ枯れた技術を用いた安定性が優先される。

 米国の核ミサイル搭載衛星なり核ミサイル迎撃衛星なりも交換はするのだろうが、一括でできるような金も手段もない。

 で、この話でテロリスト兼ハッカーが必要な物は何だと思う?」


「……その衛星に命令を送る手段?」


「正解。

 で、そんなタイミングであんたの御守りしているお嬢様がよりにもよってそれに手を出した」


 男がポンとテーブルに書類を置く。

 桂華電機連合がロシアで展開する『スターラインネット』。

 その元計画であるGLONASSの裏事情が書かれていた。


「GLONASS自体は欧米に依存しない衛星測位システムであるのは事実だ。

 だが、同時に欧米に依存しない衛星通信網という側面がある訳で、古いシステムにトリガーコードを送るだけならば、問題なく使えるだろう?」


 前藤はカレーに手をつけず水を飲む。

 そのまま、灰皿を寄せて煙草に火をつけた。


「なんであんたがそれを知っていたんだ?」


「ソ連が崩壊した際に、共産党や軍の幹部が樺太に逃れてきただろう?

 そんな逃亡者がくれた俺の最後の資産だよ。これは。

 俺があんたに渡せる物はこれで最後だ」


 対北日本政府のスパイマスターの一人。

 それが前藤の正体であり、その縁から桂華院瑠奈と繋がる事になった。

 今やそっちの方が本業になりつつあるが、彼は前藤が持っていた最後のスパイでもあった。

 彼以外は全て歴史の中に消え、そして目の前の彼もその仲間になるのだろう。


「そうか。最後か。

 警視庁の地下に道暗寺という男がいてな。

 頼るといい」


「そうさせてもらう。

 長い事世話になったな。それもこれで終わり。

 あんたにたかるのもこのカレーが最後になるだろうよ」


 そのまま男は立ち上がった。

 二度と会わない別れだからこそ、男はゆっくりと完食したカレー皿とその前にいる前藤に手を合わせた。


「ごちそうさまでした。じゃあな」


 残された前藤は煙草を消して、新しいスプーンでカレーの残りを食べる。

 そして、テーブルの上に一万円札を置いて黙って出て行ったが店主が出て来ることは無かった。




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この時期の映画に多い衛星ハッキングもの。

 『007』や『ゴルゴ13』でよくネタになっているが、リアルのこのざまで思ったより世界は危険物の管理をしっかりしていたのだなと感慨深く思ったり。


新潟のカレー

 こんなサイトがあったので紹介。

 https://n-story.jp/topic/150/page1.php

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