帝都学習館学園七不思議 チェーンラブレター その2

 華月詩織にとって、桂華院瑠奈という名前の最初は『わからない』の一言に集約される。

 彼女と同じ祖父を持ち正妻の娘として生まれた母親と華月子爵家当主を父に持つ華月詩織は、華族社会でそこそこの地位を生まれ持っていたのである。

 華月家は明治維新に功績があった家の出であり、陸軍軍人の家系でこの縁談の背景にこの時の華月家当主が陸軍中将として近衛第三師団長を務めていたというのがあるのかもしれない。

 華月詩織は桂華院彦麻呂によってつけられた近衛第三師団時代の祖父の武功を幼心に覚えていた。


「詩織。

 この国はな。

 桂華院公爵と俺が救ったんだぞ」


と。

 太平洋戦争時、時の首相が暗殺されるという重大事件から始まるこの国の政変において、帝都を守っていた近衛第三師団が2.26事件のように決起しなかったことが、事件の収拾に大きく働いたと彼女も歴史の授業でさらりと触れたぐらいだ。

 何をやったかは知らないが、ただ、彼女の心に自分も祖父と同じことができるのではという思いは残る事になった。

 華月家長女である詩織は桂華院家閨閥の中から婿を選び、桂華院家分家の一員として生きることを当然とされていた。

 ただ、この時彼女の思いは、桂華院家次期当主である桂華院仲麻呂に向けられていた事が、華月詩織の困惑の始まりとなる。


「桂華院公爵家御令嬢。

 桂華院瑠奈様のご入場です」


 桂華グループ50周年記念パーティーの席で、彼女は彼女にとっての運命の名前を聞くことになる。

 そして、彼女の情報は大人たちが勝手に囁いてくれた。


(瑠奈様ね。

 直系に女子が居ないから桂華院の名前をもらったと聞いたが?)


(彼女の御父上が創った極東グループの経緯を知っていたら歓迎はできないだろうに)


(と、思うだろう?

 その極東グループ系が彼女を推しているんだよ)


(何でだ?

 血筋からすれば、彼女が極東系の正統継承者だけど、極東グループそのものが不良債権化していたから潰す腹だっただろう?)


(彼女の執事がやり手だったらしくてな。

 極東銀行と北海道開拓銀行の合併に成功したのがでかく、そのついでに抱え込んでいた不良債権を処理したそうだ)


(今回のパーティーは、新しくグループ中核に入ることになった桂華銀行・桂華ホテルのお披露目という訳だ。

 そりゃ、極東系は力を入れるし、瑠奈様を引き立てるだろう)


(それは本家筋や他の一族にとって面白い訳がないと)


 彼女の父はぼそりと呟いた。

 その言葉が彼女の呪いになる。


「詩織。

 お前は、仲麻呂様でなく、瑠奈様にお仕えするのだよ」


と。




「はは。

 詩織ちゃんは、心配性だなぁ。

 瑠奈様も同じ小学生だよ」


 家庭教師のお兄さんは医学部を卒業した桂華院家の親族の一人であり、詩織の初恋の人だった。

 グループ内部に製薬会社を持つ桂華グループは、そのせいか医学・薬学系の人材を多く輩出していた。

 昼間の太陽な暖かさを持った人。

 詩織はそんなイメージを持っていたこの家庭教師のお兄さんが好きだった。

 もちろん、このお兄さんにも付き合っている彼女が居るのは知っているし、初恋だからこそ憧れなのだという分別は詩織も持っていた。


「けど、なんていうか……瑠奈様は怖い、いいえ。まるで私たちの事を眼中に入れていないというか……」


 勉強が終わった後、休憩時のおやつの時間。

 紅茶とケーキとこの家庭教師の会話が詩織は好きだった。

 詩織の感想に家庭教師は苦笑しながら相槌をうった。


「そうかもしれないね。

 彼女は乙麻呂さまの忘れ形見で、極東グループ復活の象徴だ。

 執事の橘さんあたりが、振る舞い方をきっちり仕込んだのかもしれないね」


 家庭教師は少しだけ杞憂な表情を浮かべて愚痴る。

 それは詩織が同じ桂華院一族分家であるからこその愚痴。


「正直、瑠奈様を一族の序列の中でどう扱うかは、まだ結論が出ていない。

 君が瑠奈様の方についてくれるのは歓迎されるだろうけど、同じように男子を側仕えさせるのはみんな躊躇っているんだ。

 悪い虫がつかないようにね」


「悪い虫ですか?」


 詩織が首をかしげると、家庭教師は困った顔で笑う。

 場をごまかすように、彼はぼやいたのである。


「しゃべり過ぎたかな。

 さぁ。勉強に戻ろうか」


「はーい」


 それが家庭教師との最後の授業になった。

 一週間後、彼は恋人と共に心中を遂げたとニュースで知ったのである。

 彼女は知らない。

 この二人の命を奪うきっかけが桂華院瑠奈誘拐未遂事件であり、華族の不逮捕特権行使の代償として詰め腹を切らされたという事を。

 だが、家庭教師の最後の言葉である『悪い虫』というのは、彼女の心の奥に沈殿する事になった。




 華月詩織にとって、桂華院瑠奈は特別な存在のはずである。

 だが、桂華院瑠奈にとって、華月詩織はその他の女子でしかなかった。

 桂華院瑠奈がそう思った訳ではないが、華月詩織がそう思ってしまったというのが大事なのだ。


「瑠奈ちゃん。

 ごめん。ノート見せて♪」


「明日香ちゃんまたぁ?

 愛媛に戻った時に予習とかちゃんとしてるの?」


(こくこく)


「東京が進んでいるのよ!

 向こうの学校はのんびりしているからついつい……」


「瑠奈おねーちゃん!

 放課後遊びませんか?」


 春日乃明日香や開法院蛍や天音澪との絡む桂華院瑠奈の姿を少し離れて眺めるだけ。

 桂華院瑠奈はその視線に華月詩織を入れようともしない。


「おーい。瑠奈。

 ちょっと聞きたいことがあるんだが?」


「何よ。栄一君?

 今、女の子のトークを楽しんでいるのですけど?」


「女の子?」


「おーけーわかった。

 戦争がしたいんだな?」


「待って。待って。桂華院さん。

 栄一くんの一言は僕が謝るとして、話自体は委員会のことなんだ」


「……はぁ。

 そういうのは先に言いなさいよ。

 栄一君は裕次郎くんに感謝するように」


「あ。桂華院に帝亜に泉川も居たか。

 この間話した本の……」


 帝亜栄一や泉川裕次郎や後藤光也たちと話す桂華院瑠奈の視線に華月詩織は入らない。

 華月詩織の中に沈殿していた『悪い虫』という言葉が浮き上がったのは何時だろうか?


「桂華院さんとお話ができて私は幸せかな。

 だって、あの歌声が近くで聞けるのですから」


「私は桂華院さんの側に居る事で、特別になれるかなと思ったり。

 まぁ、実家の都合もあるけど、今の境遇は嫌いじゃないのよ」


「下心ありで近寄ったけど、純粋に竹刀を合わせて楽しいのよね。

 本格的にこっちの道に進んでくれないしら?」


 待宵早苗や栗森志津香や高橋鑑子と話すが彼女たちは桂華院瑠奈の取り巻きという自分の立ち位置に納得していた。

 同時に、話すたびにこの三人と違和感が出るのを華月詩織は自覚するが、桂華院瑠奈はそんな彼女の気持ちに気づく訳がない。



 そして、中等部に進む。

 必然として配備された橘由香を中心とする桂華院瑠奈の側近団は、華月詩織の目には突然現れた壁のように見えた。彼女は、本当の意味で己の立ち位置の喪失に怯えた。

 桂華院瑠奈とは血が近く取り巻きでは中心に位置するはずが、彼女は丁寧にかつ慎重に華月詩織を遠ざけていた。

 それは理解もするし納得もしよう。

 そう思い込もうとした華月詩織の前に現れたのが、神奈水樹である。


「まーた、男漁ったでしょ?

 私の方に苦情が来るんですけどぉー」


「ごめんなさいね。

 今度いい男紹介するから♪」


「それで許されると思うなよ」


「え?いらないの?イケメン?」


 華月詩織の心に沈殿していた『悪い虫』という言葉が呪いとして発芽した瞬間、彼女は拳から血が出るほど己の指を握りこんでいた事に気づいた。

 神奈水樹。

 彼女だけは桂華院瑠奈の側においてはいけない。



(ねぇ。その願い叶えてあげましょうか?)



「え?」


 そんな声に華月詩織は振り返るが、当然誰もいる訳がない。

 だが、促されたかのようにロッカーを開けた彼女の目の前には、一通の手紙が落ちていた。




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初恋の家庭教師とその彼女

 『私の髪が金髪な訳 因果応報編』の誘拐犯。

 書籍化に合わせて色々設定再整理しているけど、閨閥である岩崎財閥系の樺太関与とかの話を入れたのでまぁ黒い黒い。

 無理心中に追い込んだのは親族筋で、当主と公安立会いの下で橘と手打ちをしたのだろう。

 もちろん、瑠奈も詩織もそれを知らない。

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