お嬢様のいやがらせ その2

 都内某所。

 ファミレスは夕食時間となって席は満席に近かった。


「桂華院。

 こっちだ」


 光也くんの声で私と橘由香は席に座る。

 正面にいる彼の隣には、彼の父である後藤光利財務省主計局次長が座っている。

 この春に古巣である財務省主計局に帰ってきたらしい。

 順調に出世しているようで何よりである。


「桂華院瑠奈と申します。

 今回はお呼び出しして申し訳ございません」


「息子から会ってくれと言われた時に色々覚悟を決めたが、これはそういう話と受け取って構わないのかな?」


 このクラスになると、私の化けの皮なんて剥がれているので、単刀直入に尋ねてくる。

 こっちとしても話が早いので大歓迎。


「まぁ、そういう話ではあります。

 現在、桂華グループ内部で進んでいるクーデターを発端とする政変のお話、霞が関はどの辺りまで掴んでいるでしょうか?」


「お、おいっ……桂華院。

 いいのか!?」


 あまりにやばい話に光也くんが珍しく狼狽えているのが少し面白い。

 という訳でタネ明かし。


「光也くん。

 この席の前後左右、うちの護衛連中。

 ついでにいうと、ここのウェイトレスはうちのメイドの外部委託」


「……そういう事をしないといけない話か……」


 察してくれた光也くんの前にウェイトレスが頼んでいたらしいステーキ定食を差し出す。

 父親の光利さんも同じものを頼むあたり親子だなと思う。


「あ。注文追加。

 私も同じやつ」


「お嬢様。

 家に帰れば、もっと良いお肉でご用意いたしますのに」


「由香さん。

 それまで、私に我慢をしろと?」


 何か言おうとした橘由香のお腹が派手に鳴る。

 なお、身体測定の日から彼女がダイエット中なのは既に知っているのだ。


「注文もう二つに変更ね」


 橘由香は何も言い返さなかった。

 そんな小話をはさみながら、私は現状を後藤親子に語る。

 光也くんの唖然とした顔と比較しても表情を変えずにお肉を平らげるお父さんの光利さんの腹の据わり方が素敵である。


「桂華院よ。

 お前、こんなのに常日頃から関わっていたのか……?」


「そりゃ、総理に叱られたり、大統領とお話するぐらいですからこれぐらいはね」


 いまさらこんなの呼ばわりはひどいと思うな。光也くんよ。

 さも当然のような顔をして私達もお肉をぱくぱく。

 前後左右の色取り取りの女子たちは取り留めの無い話で私達の話を影に押しやってゆく。


「国際局が為替について気を揉んでいるのは知っているよ。

 『明らかに値動きがおかしい』ってね。

 そうか。

 そういうからくりだったのか」


 日本の為替介入の権限は財務省の国際局にある。

 事実、現在のドル円は円高方向に進んでおり、このままでは1ドル=100円を切るだろうと市場関係者は読んでいた。

 この桂華グループのクーデターから始まる政変で政府が混乱すれば、円の防衛は行えずに1ドル=90円や80円に行きかねない。

 そうなったら今度こそ日本産業は空洞化する。


「で、そんな話を私にして何を求めるのかな?」


 白々しく後藤光利氏は尋ね、私も白々しくそれに返した。

 こういう茶番こそ政治であり、大人であるというのを光也くんにたっぷり見せ付けて。


「何も」

「何も……ねぇ……」


 こちらは何も求めない。

 けど、これを放置すれば財務省の権威が決定的なまでに失われる。

 組織防衛が至上命題でもある官僚にそれが見逃せるわけもなく、それを見逃すような官僚が偉くなれる訳がない。

 今頃、彼の頭の中ではこの話をどう国際局に高く売るか考えているのだろう。


「ほら。

 私も年頃の乙女ですから、ご両親にご挨拶ぐらいはしないといけないでしょう?」


「ははは。

 君みたいな女性がうちの光也の嫁になったら、色々大変そうだ」


「父さん」


 めずらしく照れている光也くんというレアシーンげっと。

 心のアルバムに記録しておこう。


「桂華院くん。

 仮に君の話が本当だとしてだ。

 為替介入は財務大臣の権限だし、その永田町は降って湧いた内閣改造でテンヤワンヤだ。

 すぐにはできないよ」


「構いませんよ。

 それまでは、こっちで遊んでおきますので」


「遊ぶ?」


 光也くんの怪訝そうな声に、光利さんが苦笑する。

 私の率いる桂華グループには桂華金融ホールディングスがあるのを理解して、彼は何を言わんとしているのか理解した。

 賭けというのは、勝ち負けに札が乗らないと成立しない。

 海外のヘッジファンド連中が『円』に賭け札を乗せたならば、誰かが『ドル』に賭け札を乗せなければ勝負にならないのだ。


「私も慎ましい乙女ですから、怒られない程度にドルを買っておこうかなぁと」


「おい。

 桂華院でも火傷しかねん買い物だぞ。それは」


 流行ものだから買っちゃおう的なノリで私が言うので、光也くんがつっこむ。

 だから、さらりと事実を出してねじ伏せることにした。


「あら?

 私、古川の騒動の時、四千億ドル動かしたんだけど、それに比べたら火傷にすらならないわよ」


「……」

「……」

「……」


 おい。

 黙らせる事が目的だったけど、その呆然とした顔は居たたまれないから何か喋ってよ。おねがい……




「おかえりなさい。お嬢様。

 で、首尾は?」


 私の車には岡崎が乗り込んでいた。

 こういう楽しいことにこの男が絡まない訳もなく、この男なら私の無茶振りに応えない訳もなく。

 私たちの周囲の席の花の一人だった、ユーリヤ・モロトヴァが岡崎の隣に乗り込んでいたメイドのエヴァと共にジト目なのが笑ってしまうが我慢ガマン。


「まぁ、上々でしょう。

 あとは、ちょっとお金をかき集めないといけないんだけどぉ……

 世界のハゲタカ連中相手に、いやがらせしてみる?」


「お嬢様。

 顔笑っていますよ」


「おっといけない」


 今回の主役は私ではないのだ。

 主役は日本政府であり、究極的には恋住総理である。

 私達は、ただ彼の外馬に乗るだけ。

 これはそういうゲームである。


「お嬢様が楽しそうで何よりだ。

 で、幾ら集めるんです?」


 なお、こんな事を言う岡崎の顔も実ににこやかである。

 そりゃ、世界を相手にしてハードカレンシーを舞台とした大博打である。

 リスクジャンキーにとって楽しくないわけがない。


「そうねぇ。

 せっかくだから、一兆目指してみましょうか?」


 窓ガラスに映る私の顔も実に晴れやかだ。

 というか、私はこんなにも楽しそうに笑えるのか。

 そりゃ、岡崎と同じ穴の狢と見られるわけだ。


「一兆円ですか?」


 よく分かっていない橘由香が確認する。

 よく分かっているエヴァとユーリヤ・モロトヴァは顔が引きつっているが見なかったことにしよう。

 という訳で、私は本当に楽しそうな笑顔で、単位を教えてあげた。


「ドルよ。

 一兆ドル集めるの」




────────────────────────────────


光也くんのパパの名前決定

 順調に出世して主計局次長である。

 多分ここから財務大臣官房長、主計局長を経て事務次官という流れになる予定。


財務省国際局

 為替介入の主役。

 日銀砲を撃った事務方の方がちょうどこの時に財務官に上がっているんだよねぇ……

 なお、この御方退官後は知事をしていたらしい。



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