岡崎祐一の最初のギャンブル

 賭け事が好きだった。

 というより、リスクが好きだった。

 大学も帝国大学を目指したのはそこがリスクとして最も高かったからだし、松野貿易なんて下位総合商社に入社したのは、ここが潰れそうだったからだ。

 まさか、生き残って赤松商事になるとは思っていなかったが。

 そんな俺だが、賭けに負けても何とかなるだけの自信と才能はあった。




 2000年。マカオ。

 香港とともに共産中国に返還されたこの街は、カジノの街として投資が集まってゆく最中だった。

 そんなマカオの闇カジノで、俺は最初の賭けをしようとしていた。


「ブラックジャック」


 カードをめくるとスペードのキングとエースが場に現れる。

 レート無制限の闇カジノで1万ドルからスタートして、このブラックジャックで100万ドルの大台に乗った。

 カジノの全ての目がこのカードに注がれる。

 最初の餌としてはこれぐらいでいいだろう。


「換金してくれ。

 1万ドル分だけでいい」


「え?」


 賭け事において、場の空気を支配するのはとても大事だ。

 既に裏に怖いお兄さん方が待機しているのに、そのチップを全部持って帰るとしたら別の仕掛けが居る。

 今日は、そんなチャチな仕掛けをしに来たわけじゃない。


「何だ?

 俺がこれ全部換金するとでも思ったのか?

 俺はただギャンブルを楽しみに来ただけだよ。

 そうだな。

 全部いらんというのは失礼だろうから……」


 俺は周囲の視線をコントロールしながら、100ドルのチップを一つ手に摘む。

 1万100ドル。

 それが俺の今日の取り分。


「夕食代くらいはもらっていこう。

 どこかうまい鳥が食える所はあるかい?」


 ここまで露骨な手打ちのサインを出されて、カジノ側が手を出せる訳がない。

 これで俺が報復でもされたら、負けた上に情けを掛けられた相手に手を出したと裏社会で酷評されるからだ。

 ディーラーは引きつった笑みを浮かべたまま、ある飯店の場所を教えてくれたのである。


 ディーラーが教えてくれた飯店の食事はうまかった。

 場所が場所だけに広東料理であり、出された鳥の丸焼きを食べていると待っていたガラの悪そうな男たちが俺のテーブルを囲む。

 この飯店があの闇カジノを運営していたマフィアの事務所という訳だ。


「少し待ってくれないか?

 うまい鳥なんだ。食べないともったいない」


 機先を制した俺の言葉に、男たちから兄貴と呼ばれた男が笑う。


「さすが100万ドルをドブに捨てた男だ。

 何が目的だ?」


 ここから先の会話はしくじれば命に関わる。

 それでも先程のギャンブルより興奮している俺が居た。

 ポケットからゆっくりと名刺を二枚テーブルに置く。

 名刺という文化が裏社会に通用するか怪しい所だが、そこに書かれている名前が通用することだけは確信が持てた。


「何だこれは?」

「その名刺をあんたより上のえらいさんに持っていって見せてやりな。

 そういう名前だよ。それは」


株式会社 赤松商事

 代表取締役 藤堂長吉


株式会社 赤松商事

 相談役 橘隆二


 二人から預けられたものでも、盗み出したものでもない。 種は簡単。

 社の白紙名刺に勝手に印刷しただけである。

 けれど、住所と電話は社のものであり、その役職は本物である。

 確認した所で、『カジノで100万ドル奪ったギャンブラーが持ってました』なんて馬鹿正直に言う訳もないから深くつっこまない。

 そして、日本の会社の秘書課は基本この手の連中を追い返すのに慣れている。

 この二人が在籍している事をアピールしながら要件を聞き出し、折返し電話をするという形に持ってゆくから、この二人がこの赤松商事に在籍しているのは分かってしまう。

 そうなれば、後はその名前が仕事をしてくれる。

 訝しがる男たちを前にさらに食事を進めると、品の良い老人がやって来る。

 男たちの空気が変わる。

 つまり、ボスクラスというわけだ。


「ここの料理はお気に召したようですな」

「ああ。

 うまい飯を作る人間に悪いやつはいない。

 俺の教訓さ」

「なるほど」


 俺を囲んでいた男たちは壁際に並び、老人が俺の向かいに座る。

 料理人が飲茶を持ってきて、俺たちはそれに手を付けた。


「お二人はお元気で?」

「元気にやっているよ。

 名刺の通り、藤堂社長は日本の総合商社の社長になり、橘さんは主家筋のお嬢様の執事をやっている」

「橘さんがお元気そうで何より」


 この二人の名前を香港の表裏のトップが知らない訳がない。

 共産中国は国共内戦に勝利したものの、そこからの国造りに行き詰まっていた。近代産業の育成には石油が欠かせない。満州を失った彼らは、その入手に四苦八苦していた。

 その共産中国に石油を売り付けたのが英国メジャーであり、その取引場所が香港という訳だ。

 中東からタンカーで運ばれた原油は香港で取引され、上海や東京に降ろされる。

 そんな極東の原油価格の中心である香港石油市場での伝説的な日本人ディーラーの名前が、藤堂長吉である。

 橘隆二の名前もまた、香港裏社会に鳴り響いている。

 ベトナム戦争当時、米軍を中心に蔓延していた麻薬の管理統制の現場責任者であり、戦争終了時にそのネットワークを香港裏社会に全て渡した伝説の男。

 『極東の餓狼』橘隆二の名前を知らなければ、香港裏社会ではモグリと言われるだろう。

 

「あの二人が直属の部下を作ろうとしていて、俺はそのテスト中という訳でね。

 あの二人が喜ぶネタを探さないといけない訳さ」


「ほほう。

 あの二人ならば、100万ドルぐらいでは喜ばないでしょうな」


 ここで話が本題に入る。

 上の人間に確認を取りたかったからこそ、こんな仕掛けをしたのだ。

 ゾクゾクする。

 このスリルが、リスクがたまらない。


「ロシアからの武器輸入。

 滞ってないか?」


 気付いたのは、樺太に残された旧北日本軍の武器輸出が高値で動いた事だった。

 冷戦終結後に世界の武器規格は西側仕様へと移行が進んでいる。その中で、東側武器の中でも高品質・高性能で知られる樺太製の武器は、その希少価値もあって値上がりしていたのだが、ここ最近の急騰は少し異常だと市場関係者は見ていた。

 東側製武器の大口顧客である共産中国は対峙している満州国民党に対抗する為の武器更新に追われており、その取引が行われていた香港で買い付けに来た共産中国の軍人が狼狽えていたほどだ。 

 ロシア製の武器、特に裏マーケットに流れる武器はほぼロシア軍からの横流しだ。

 それが意味する所は一つ。

 横流しができない何かが起こっているという事。


「ここの他にもカジノで遊んでいたんだが、ロシアのサクラが一人派手に負けていたな?」


 カジノ側と客が手を組む場合、『負ける』事で資産を隠すことができる。

 最初から手を組んで100万ドル負けた後に、90万ドルをキャッシュバックするのだ。

 カジノ側は労せず10万ドルを得られる楽な仕事だ。そして、隠したい90万ドルの管理も請け負ってくれるので、やばい人間なんかが資産を逃がすための手段の一つになっている。

 そこで、ロシア人のサクラが派手に負けていた。

 つまり、ロシアの金持ちが資産を逃がそうとする何かが起こっている。


「それは、あの二人が知りたがっている事なのですか?」


 老人が穏やかに、だが有無を言わさない声音で確認を取る。

 ああ。

 この瞬間、俺は世界を相手にギャンブルをしていると実感できる。


「それは知らんよ。

 ただ、総合商社は何でも売り買いするんだ。

 『情報』も立派な商材さ」


 老人が茶を口にする。

 それから彼が口を開くのがとても長く感じられた。


「その胆力と度胸、良い目と博才。

 貴方、行き場がなくなったら遠慮なくここに来なさい。

 また美味しい料理をごちそうしましょう」


 こうして俺は、ロシア内部で起こっているクーデターの動きを確認できたのである。




 2003年 香港


「大兄!

 香港にはいつ来たんですか?

 言ってくれたら迎えをよこしたのに」


「気にするな。

 着いたのはついさっきだ。

 仕事でな」


 香港金融街の一角にある豪華なオフィスで俺を迎えたのは、いつの間にか付き合いができたあの時の兄貴である。

 ボスが認めた客人に手を出すわけにも行かず俺の世話人となった彼は、古川通信を巡るお嬢様の大博打の際に怪しげな金を引っ張る俺の外馬に全力で乗ったのだ。

 その結果、彼と彼が所属する組織は莫大な利益を上げて彼は幹部としてのし上がり、俺はいつの間にか彼から大兄と慕われる羽目に。

 なお、そのときの報酬としてお嬢様がくれた一千億円の金の隠し場所の一つがここである。


「『月光投資公司』

 アレの情報がほしい」


「あの大兄が偽物と言ったやつですね。

 何かしたなら潰しますが?」


「共産中国幹部が名を連ねているからやめとけ。

 あー。そういう事か。

 あれ、お前らとは別の組織が後ろに付いているな?」


「さすが大兄。話が早い。

 あれは上海系の奴らで、こっちとも軋轢を起こしていましてね。

 名分があるなら動きますよ」


 何か言おうとした俺の携帯が鳴り、番号を見ると藤堂社長だった。

 何かあったなと思って通話ボタンを押す。


「はい。岡崎です。

 今、香港ですが……テレビ?」


 俺の言葉を聞いた彼がTVをつける。

 日本の衛星放送では、俺のお嬢様が映画さながらの動きでテロリストを取り押さえていた。


「うちのお嬢様、何やっているんです?」

『こっちが聞きたいよ。

 とにかく戻ってこい。

 あれ見て、アンジェラさんが激怒しているらしいぞ』

「うへぇ……俺悪くないんですが、あの人俺見ると機嫌悪くなるんですよ」

『諦めろ』


 携帯を切って名残惜しそうに立ち上がる。

 せっかくだからあの飯店で広東料理をと思ったのだが、無理になりそうだ。


「という訳で、とんぼ返りだ。

 また今度時間を作る。

 せっかく幹部の椅子に座ったんだから、危ない橋は渡るなよ」


「その言葉、そっくりそのまま大兄に返しますよ。

 あんな大博打しかけて、何で大兄生きているんです?」


 彼の手を握りながら、俺は確信を持ってその理由を告げた。

 彼の顔が呆れ顔になったのは見なかったことにしよう。


「決まっているだろう。

 あれ以上の大博打を打つためさ」


 香港国際空港。

 手配した成田便は欠航になっており、関空経由のチケットに切り替える。

 そこから飛行機で羽田か新幹線で東京というルートだ。

 ロビーのTVでは、あのシーンが繰り返し流されていた。


 お嬢様。

 あんたは、本当に世界を引っ掻き回してくれるな。

 そんなあんただからこそ、俺はリスクを楽しめるんだ。

 さぁ、お嬢様。

 あんたは次に、俺に、世界に何を見せてくれるんだい?

 俺は手で銃を作り、それを画面の中のお嬢様に向けて撃った。


「BANG!」




────────────────────────────────


香港裏社会

 表社会と裏社会の間がとても薄いので、その分離というより共生が一つの特徴だった。

 これは、香港が国共内戦で共産党支配を逃れてきた人間の集まりという思想的統一性があったからで、香港返還からはや20年。

 そのあたりに断絶が起こっているのが香港デモで見えたり。

 香港は広東系に上海系、台湾系等が絡む交点であり、日本の大陸系人脈なんかも香港や上海を交流拠点にしていた。

 現在の共産党政権による上海の発展が香港の地位低下と台湾問題が絡んで裏社会もかなり変質することに。


共産中国の石油事情

 本来パイプラインが走っていた満州を国民党政権が持っているので、共産中国はモンゴルかタクラマカン砂漠経由にパイプラインを走らせる羽目に。

 それぞれ建設のコストがかかるからだったら買った方が早いという形に。

 多分、パイプラインを完成は21世紀になるかなぁ。


BANG

  『カウボーイビバップ』の最終話のオマージュ。

 大博打の報復に岡崎が殺されるシナリオも考えたのだけど、読者の岡崎人気からボツに。

 かくして、CIAは懐柔方向に舵を切ったのだが、お嬢様相手に指鉄砲を作って撃つこのシーンを書きたくてこの話はつくられた。

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