雨宿り傘あります

「あら、泉川くん。

 今日はお一人?」


「春日乃さんか。

 見ての通り、一人だよ」


「なら良かったわ。

 少しお茶なんていかが?

 行き付けのお店があるの」


「女の子の誘いを断るのは無粋だな」


 たまたま部活帰りの泉川裕次郎にたまたま春日乃明日香は声を掛けた。

 そのたまたまがどれぐらいの確率で起こるのかは知らないが、裏方は相当な努力をしたとだけ言っておこう。

 高級住宅地の感じの良いカフェの窓際の席で、帝都学習館学園中等部制服姿の男女が二人。

 コーヒーとケーキを頼んだ春日乃明日香は、さっき頼んだコーヒーのお替りよろしく要件を口にした。


「泉川君。

 先生になってみない?」


 紅茶にケーキを頼んだ泉川裕次郎は、ケーキを堪能しながらその返事を確認という形で返した。


「その場合、愛媛選挙区で僕の名前は春日乃に変わっている訳だね?」

「分かっているじゃない♪」


 上流には上流のしがらみがある。

 そのしがらみの中から、少しでも自分の幸せを掴もうと春日乃明日香は足掻く。

 それは泉川裕次郎とて変わらない。


「多分このままいくと、うちのパパは大臣止まりでおしまい。

 そこで野党候補者に落とされる可能性が高いわ。

 再起と次世代を考えると、若い候補者は魅力的なのよ」


「まだ十数年先の話じゃないか」

「もう十数年先の話よ」


 春日乃明日香は新聞をテーブルの上に置く。

 成田空港で発生した桂華院瑠奈公爵令嬢暗殺未遂事件が一面トップを飾っていた。

 泉川裕次郎は分かった仕草でその新聞の二面を広げる。

 政治面にはこの事件が与える政局への影響、ぶっちゃけると解散風について書いていた。


「あの総理だからいまいち読めないけど、解散は今年中には起こると私は踏んでいるわ。

 この選挙はまだ勝てる。

 次の選挙は厳しい。

 次の次になると本当に分からないわ。

 都市部の人口流入と過疎化で、無党派層の動向が焦点になるから」


 衆議院は小選挙区比例代表並立制。

 比例代表という滑り止めがあるが、基本その選挙区で一位にならないと権力を維持できない。

 中選挙区時の春日乃家の地盤は都市寄りの田舎近辺だった事で、支持基盤が都市部無党派層に食われて危うい状況になっていたのである。

 衆議院の被選挙権は25歳。

 つまり、この二人が立候補できるのは2010年台半ばとなる。

 衆議院の平均任期を考えたら、あと五回は選挙があるという計算になる。


「パパは次通れば副大臣か政務官、その次で大臣の椅子に手が届く。

 けど、ここで大臣を取ったら上がっちゃって、野党に勝てない可能性があるのよね。

 三回目の時負けたら四回目はパパがリベンジに行くけど、そこでも落ちたらアウト。

 候補者差し替えとなったら目も当てられないから、パパの次を作っておくのよ」


 そして、小選挙区比例代表並立制になってから、これまで以上に党中央の統制が効くようになった。

 以前は派閥の戦争で当選後公認なんてのがざらだったのに、この滑り止めは党公認でないともらえない。

 つまり、無所属出馬後の公認では滑り止め無しで戦わなければならなくなり、負ければ即ただの人である。

 よく言って自由闊達、悪く言って選挙時以外バラバラな立憲政友党は、この時期辺りから党中央の統制というのが意識されるようになってゆく。


「君が立候補すればいいじゃないか?」


「田舎って大変なのよ。

 うちは都市部だからまだましだけど、女性が立候補するというデメリットはどうしても出てくるし。

 パパを見ていたら、出たくないわよ」


 春日乃明日香の人生はすでに決まっている。

 しいて言うならば、政治家になるか政治家の妻になるかの二択しかない。

 その上で、ましな未来を選ぼうと足掻く。


「で、僕か」

「お家騒動、かなり楽しいことになっているでしょう?」

「……はぁ。

 春日乃さん辺りに指摘されるようだと、うちも先がなさそうだね」


 長男の北海道転出に伴う泉川家の地盤継承の争いは、水面下で醜い事になっていた。

 今はまだ副総理であり政界の重鎮として目を光らせているが、その引退後を巡っての跡目争いに現役である泉川辰ノ助は一切口を挟んでいない。


「構わん。

 ここで転げ落ちるようなら、それまでだ」


 父の秘書の報告に父はそう冷徹に言い放つ。

 それを裕次郎に見せたのは、父の仕事とはこういうものだと。

 その父と組んでいる桂華院瑠奈の世界とはこういうものだと見せたかったからだろう。きっと。


「うちと同じく、十数年先に苦しむのは分かっているでしょう?

 そこの後継を考えないなら、私はお買い得ですわよ♪」


 春日乃明日香は政治家の娘の顔で微笑む。

 その笑みは万人を引き付けるが、決して内面に踏み込ませない仮面のような笑顔。

 彼女の目に映っていた泉川裕次郎も同じ笑みを浮かべていたのだから。


「じゃあ、政治家の息子として『考えておく』という回答はどうかな?」

「それで十分。

 泉川くん。

 貴方には、私という逃げ道がある。

 それを忘れないでくださいな」


 こういう時の女はすべてを見通す。

 泉川裕次郎の桂華院瑠奈に対するほのかな恋心も、友人の帝亜栄一の桂華院瑠奈に対する思いと自身の心の軋轢も見通してこうして誘ったのだろう。

 

「覚えておくよ。

 ちなみに、春日乃さん。

 うちの醜聞、どんな感じで聞こえているの?」


 あくまで確認として泉川裕次郎はそれを春日乃明日香に聞いたのだが、出てきた言葉は彼に取っても看過できない言葉だった。

 それを春日乃明日香は知ってか知らずか、まるで口に入れたケーキと同じように話す。 


「どちらのお義兄さんか分からないけど、桂華グループの方が接触しているとか。

 泉川参議院議員の北海道転出は桂華グループの支援があったから、お義兄さんたちも同じく桂華グループの支援をもらおうと色々しているのでしょう?」


 桂華院瑠奈は隠したいこと以外は基本オープンな少女である。

 そして、義理人情を基本大事にするので、泉川家のお家争いに介入しているなら、それを裕次郎に何も言わずにいるなんておかしいぐらいのつきあいはしていた。


(じゃあ、義兄さんたちは誰と接触しているのだろう?)


 このお茶会の後、泉川裕次郎は桂華院瑠奈に連絡を入れる。

 彼女もこの報告は寝耳に水だったらしく、春日乃明日香共々感謝される事になるのだが、それは先の話である。




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この作者、お家争いだけなら、既に十数年ほど書き続けている。

そこから得た教訓。

戦国時代、太平洋戦争時の軍閥、永田町の派閥………全部基本フォーマットが同じでやんのorz


タイトル元ネタ

 『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵 白泉社花とゆめコミックス)

 裕次郎くんの元ネタの一つがこの手塚忍くんである。

 長野の政治家家系となるとあの家かなといくつか思いつくのだが、あそこも色々あるからなぁ。


中選挙区と小選挙区

 中選挙区だとこんなのが良くあった。


定数3

当A 自民党 ○○派

当B 自民党 ××派

当C 社会党 

 D 自民党 △△派

 E 共産党


 このCとDで凄いバトルが。

 実際はABDの殴り合いである。

 この三者が与野党に分裂したのが90年代の政治混乱であり、まだこのあたりまでは野党側は政権交代可能な元与党系人材と支持者(ここ超重要)が残っていた。

 彼らが決定的打撃を受けたのは郵政解散であり、ここの断絶と郵政追放組が2009年時に面白い動きをする事に。

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