帝都桂華記念病院VIP室

 帝都桂華院記念病院。

 都内一等地に旧桂華製薬の全面支援によって建てられた病院であり、その敷地内は桂華院公爵家のものと定められている為に華族特権が行使されるという曰く付きの病院である。

 事実、多くの政治家や企業人がスキャンダルに見舞われた際にこの病院に病気と称して逃げ込み、その追求を逃れてきた経緯がある。

 そんな彼らに鉄槌を下したのが第二次2.26事件の決起部隊であり、判官贔屓なこの国の世情もあって彼らをただのテロリストと断罪することができない一因にもなっている。

 ここは、かつての祖父の奥の院でもあって昔はそこそこのセキュリティーを誇っていたが、今は万一の避難先の一つとして私が雇った北樺警備保障の警備部隊が小隊約50人規模で守りに就いている。

 そんな病院に私は橘を連れて足を踏み入れる。

 院長以下の出迎えと挨拶もそこそこにVIPルームをノックすると穏やかな声で了承されたので、私は部屋の患者に挨拶しながらお見舞いの花束を手渡した。


「お元気そうで何よりです。

 渕上元総理」


「まぁ、治療も受けているがここに寝ているのは逮捕を避けるためもあるしね。

 国会内が総理の独壇場ならば、その前に降りた私は見逃してくれるみたいだ。

 人生万事塞翁が馬を噛み締めているよ」


 事実、財団法人中小企業発展推進財団の汚職事件では東京地検特捜部の狙いは渕上元総理だった事が判明しているし、野党が火をつけようとして失敗した別の疑惑もあって、ここ最近は体の治療を名目に基本この病院から出ないようにしているらしい。

 このあたりの嗅覚はさすが総理にまで登った人だと感心するしかない。


「で、君がここにやってきたという事は、枢密院がらみかい?」


 総理経験者には一代爵位として伯爵が叙爵される。

 それを使って、渕上元総理を枢密院に送り、枢密院議長になってしまっている泉川副総理と共に反恋住の動きを秘密裏にという計画を立てていた矢先に出たのが、先に挙げた帝国携帯電話保有疑惑である。

 元議員で入院中の上に華族特権で捜査妨害も期待できるここに逃げ込んだことで、疑惑は限りなくグレーなのだろうなとも思うが、マスコミ経由で野党側にリークしたのは恋住総理じゃないかと私は密かに疑っていた。

 『政治は数、数は力、力は金』とはよく言ったものだが、渕上元総理はその言葉を言った人の派閥のドンでもあるんだよなぁ。


「そっちはまた今度。

 樺太について聞きたいのです」


 私の一言に、渕上元総理は少しだけ目を閉じた。

 つまり、それだけの伏魔殿という事を察した橘がさり気なく補足する。


「現在、桂華グループ内部でお嬢様追い落としの陰謀が進められています。

 桂華グループ単体ならまだ手は打てるのですが、この工作が政界だけでなく諸外国にまで広がっている気配があり、その渦中にあるのが樺太銀行なのでございます。

 当時の野党連立政権時に推し進めた北日本併合政策の後始末をする事になった渕上元総理に話を伺いに参りましたのは、何処まで深いのかがこちらでは探り切れないからでございます」


「あそこは本当に深いよ。

 実際、あれに触れて表舞台から去った人間は両手両足では足りないぐらいだ。

 とはいえ、小さな女王陛下の窮地を見過ごせるほど私も恩知らずではないよ」


 そう言って渕上元総理は視線を私から逸して窓の方を見る。

 映った顔にはありありと何を口にし、何を墓場まで持ってゆくかを考えている顔だった。

 それだけで、この一件の闇の深さが察せられる。


「まずは、アドバイスからしておこう。

 小さな女王陛下。

 君は何処の女王になるつもりだい?」


 その言葉の意味が分からない。

 たしかに、望むならば樺太の女王位ぐらいは手に入るかも知れないがと考えていたら、次の言葉に渕上元総理は語気を強めて告げた。


「小さな女王陛下。

 君は国を持ってはいけないよ」


 尚の事意味が分からない。

 首をかしげる私だが、視線を向けようとしない渕上元総理は、かつての総理時代のような親しみのある声で私を諭す。


「樺太の、ロシアの、何処かの国の女王になってはいけない。

 国際社会は、歴史は、君という女優を使い潰して歴史の闇に消すよ。

 君はもはやそういう存在なのだとまずは自覚しなさい」


 そこで彼は窓に映る帝都の景色を眺めながら黄昏れる。

 それは、秘密を知る彼がかろうじて明かせる私へのギリギリの情報開示でもあった。


「あのツインタワーに飛行機が突っ込んだ時に全てが変わってしまった。

 冷戦終結とその後のパクス・アメリカーナに対抗しようとする軸は消え、世界は非対称の戦争に突入するだろう。

 それが米国とそれ以外の色分けに進み、この国は少なくとも米国の色を受け入れるのだろうな。

 悪いことではない。

 この国は米国と半世紀前に血みどろの戦争をして得た、あの国と戦ってはいけないという教訓を忘れていない。

 敵味方に分かれる際に、力の無いものが中立を選ぶのは愚策だ。

 恋住総理が今この国を導いてるのは、この国にとって良かったとは思っているよ。

 私や君個人の思惑は別にしてね」


 その言葉に素直に頷く私が居た。

 この世界のこの国はうまく負けたが、その代償もしっかり血と鉄で払っている。

 つまり、何かあるなら血と鉄で払う覚悟をこの国は持っている。


「君はもはや誰からも逃れることができない歴史のトップスターの一人だ。

 君の舞台は、君の誕生から決められていた。

 そして、舞台が華麗で絢爛であるほどに、その準備には時間が掛かる」


 嫌でも思い知らされる過去と歴史。

 今が昨日と繋がり、昨日が過去と繋がり、過去が歴史と繋がってゆく。

 そういう長い時間を掛けて作られた舞台が絢爛華麗であるならば、その役は何だ?

 渕上元総理が言ったじゃないか。


「小さな女王陛下」


 私が生まれた時、ベルリンの壁が崩れてもまだ東側は健在なように見えた。

 実際に東側が、ソ連が消えた91年12月までその工作は継続されていた訳だ。

 ロシア向けにはきついかもしれんが、樺太向けならば十二分の役が。


「ありがとうございます。元総理。

 退院前にはまたお見舞いに来てよろしいですか?」


「構わないよ。

 がんばりなさい。

 小さな女王陛下」


 笑顔を取り繕って、私は渕上元総理の病室を出る。

 彼から与えられた情報を吟味して、その意味に震える。

 帰りの車の中、橘がガウンを掛けてくれるが、寒気が治まらなかった。


「本当にあの人はギリギリまで教えてくれたのね。

 絶対に守って頂戴」


 黙って頷く橘を見ず、私は渕上元総理から与えられた情報から結論を導き出していた。

 その伏魔殿の澱の一つ。

 あまりにも深いそれを私は呪文のように口にした。



「樺太銀行の資金の源の一つは、旧東側転覆を目論んでいた米国の秘密工作資金よ」




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帝国携帯電話保有疑惑

 NTTドコモ株疑惑。

 なお、これを追求していたのは鳩山由紀夫氏だったりする。

 渕上元総理の再登板を密かに考えていた作者を完全にノックアウトしてくれた疑惑でもある。

 本当に小泉総理の強運を噛みしめる。

 敵に回すとこうもしゃれにならんとは……


『政治は数、数は力、力は金』

 田中角栄氏の言葉。

 この人の再評価が始まって嬉しい反面、それが反安倍主張に繋がるのが悲しい反面という所。

 この人の評価はもう少し時を置かないと駄目なのかも知れないが、彼が歴史の評価軸になったという事はもっと意識して良いのではないかと思う。


血と鉄

 言ったのは鉄血宰相ことビスマルク。

 要するに軍事政策。

 この世界の日本は九条が無いので地域覇権大国として米国の同盟国として戦争に参加している事に注意。


東側転覆工作資金

 これもよくネタとして出るが、その全貌がどれぐらいなのか知る人間は少ない。

 遠慮なく妄想で膨らませてゆくつもりだが、マーシャル・プランあたりをベースにするとその巨額さからリアルパイセンがリアリティー後輩をぶん殴りに来るんだよなぁ。

 これだからリアルチート覇権国家は……

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