アンジェラ取締役のCEOへの道 その3
「アンジェラ。
悪いけど、そのプランは没にして頂戴」
私ははっきりとサブプライムローンについて拒絶する。
アンジェラは私の拒絶に否定も肯定もせずに一言。
「なるほど。
お嬢様の最後の一線はここですか」
「そりゃ私もここまで来た以上、それ相応に悪辣な手段でお金を稼いできたわよ。
その過程で金が命の連中を地獄に叩き落としてきた自覚はあるつもり」
綺麗事は言わない。
私の手は血では汚れていないが、アンジェラの言うミダス王よろしく黄金色に汚れている。
「それでも、これはあまりにも被害が大きすぎる。
その最初の引き金を私は引くつもりはないわ」
「ウォール街の投資銀行は既にこれに乗りかかっていますよ。
特に、お嬢様の火遊びで大火傷を負ったファンドは、のめり込んでいます。
お嬢様がどう決断しようと、この引き金は引かれます」
淡々と言ったアンジェラの言葉が逆に救いの無さを際立たせる。
アンジェラの言う通りどうにもならないし、この流れを押し止められない。
私の火遊び、つまり米国ITバブルにとどめを刺した大暴落で大損失を出したハゲタカファンド等は、その穴埋めとしてこのサブプライムローンに目を付けていた。
事実、このローンの高利回りは崩壊前まではものすごく美味しいのだ。
「それでもお嬢様はこの船に乗らないと選択した。
それを私は肯定しますよ」
一条がCEOとしてピシャリと言い放つ。
実質的オーナーである私の拒絶と、組織のトップである一条の決定にアンジェラは両手を上げて降参した。
「わかりました。
これには、お付き合い程度しか乗りません」
「それでもお付き合いはするのね」
ジト目で私がぼやくが、有る種の必要経費みたいなものだ。
伝説の仕手戦を成功させた私というかムーンライトファンドはアンジェラの所属しているCIAを始めとした政府や各種ファンドの注目を集めているからだ。
サブプライムローンによる人工バブルの発生はイラク戦争とその後始末に奔走するだろう米国の方針であるから、最低限とはいえその船に乗る必要があった。
「五百億円を目処に住宅ローンには手を出さず、カーローンにだけ手を出します」
「コンソーシアムを組んで一千億円で、うちからの持ち出しは三百億円に抑えてください。
そして、カーローンは日系自動車企業のものだけに絞る事。
まとまったら外務省と経済産業省に話を通して、米国支援として発表します」
一条CEOはアンジェラの妥協案にさらに注釈を入れる。
テイア自動車や鮎河自動車等の日系自動車は性能が良く高額なために、サブプライム層でも上位の客が好んで買うことが多かった。
コンソーシアム、つまり、他の金融機関と共同購入する事で貸し倒れの損失負担を減らすだけでなく、日系企業の米国内自動車販売をカーローンで支援する。
そして、一千億円もの金が動くので、日本の金融機関への取りまとめは販売側の自動車産業を管轄する経済産業省に話を通し、『米国サブプライム層が車を持てる』ことを米国政府の得点とさせる為に外務省経由で話を持っておく。
立場が人を作るのか、一条は今やここまで言うことができるようになった。
「いいのですか?
私が一条さんの席に座る時に持っている功績がこれぐらいだと、私は追い落とされるんじゃありませんか?」
「ウォール街で火傷をしないならば、必然的にその功績には誰も文句は言いませんよ」
桂華金融ホールディングスは米国の決済専門のネットバンクにおける市場先行者として五割近いシェアを握っており、その決済手数料が良い感じで軌道に乗り出していたからである。
シリコンバレーのハイテク企業にコネがあり、その実務部隊として桂華電機連合が成立した事で、米国部門のハイテク投資は再加速していた。
決済専用銀行としてシェアが圧倒的な為に、ネット通販等の支払い指定でうちを無視することはできない。そして、サブプライムローンバブルに踊る米国消費市場のネット通販が花開くのも、もう間もなくである。
「本音を言えば、寝てても私の椅子に座れるように既に出来ているんですよ。
お嬢様のおかげで」
一条の言い方に棘があるので、私も少しむくれる感じで言い返す。
「私、何もやっていないわよ」
「ええ。
今は、何もしていませんね。今は」
そう言って一条は壁のモニターの電源を入れて、あるチャートを見せる。
あ。
これは何も言えん。
「イラク戦争開戦で一時的に上がったWTIは40ドル近くまで跳ね上がり、開戦後にイランが介入した事で55ドルにまで跳ね上がって下落に転じました。
ですが、何処かのファンドは先物オプションによって13ドルぐらいの価格で、ロシアから格安で買い続けていますね」
なお、そのファンドの名前はムーンライトファンドという。
今やムーンライトファンドは日本に運ばれる原油を始めとした資源関連の主要プレイヤーであり、特に原油は20%、ロシア産原油については60%がムーンライトファンドが絡んでいると言われていた。
日本海を往来する赤松商事改め桂華商会の保有するタンカーのファンネルマークに描かれた桂華グループの紋章『三日月に桜』は、桂華グループ繁栄の象徴であった。
「正直、イランが出張ってくるなんて考えてなかったわよ」
「「本当ですか?」」
私の釈明に一条とアンジェラの二人の声がハモる。
まっすぐ首都バグダッドを目指す米軍に対して、多国籍軍として参加した英軍はバスラ攻略を目指したのだが、このあたりの住民はシーア派が多く、その保護を名目にイラン軍が進出して来たのだ。
米軍はこの状況で火蓋を切るのは避けて進撃を停止。
睨み合いとなったが、米国が火事場泥棒に激怒したのは言うまでもない。
そして、この動きに乗じて北部のクルド人たちが独立を宣言。
これにトルコ国内のクルド人達が呼応してトルコ国内は戒厳令下に置かれる最悪の事態に。
順調に作戦は進んでいるはずなのだが、イラクという国そのものが崩壊しつつある今、ネオコン連中は必死になって戦後を見据えて頭を抱えているらしい。
そんなグテグテ具合を市場は原油価格の急騰という形で反応した。
「そりゃあ、あっこの国債のオプションでちょっとお安く買い叩いたけどぉ……」
「そういう仕組みを開戦の遥か前に作り上げているから、恋住総理から敵視されるんですよ」
私の言い訳に一条はにべもない。
ドル建てロシア国債の最大引受先であるムーンライトファンドは、その返済オプションとして原油による現物返済という手段を選択していた。
ロシア政府は返済にドルを用意する必要がなく、こっちはその分格安で原油を確保する。
ここからが更に汚な……げふんげふん。狡猾な所なのだが、そうやって入手した原油を全部イラク開戦前に売却していた。
売却先は日本ではなく、ロシア産原油の主要消費地でパイプラインが繋がっている欧州各国へ。
その売却益は第1四半期だけで五十億ドルに及ぶ。
「桂華金融ホールディングス北米部門は、元々このドルを円に変えるだけのお仕事だったのですから、それ以上もそれ以下もしなくて十分ですよ」
ムーンライトファンドのメインになった資源交易の柱がニューヨークなのは、取引通貨がドルだという理由が挙げられる。
ロシア国債のドル建て購入、資源、特に原油は欧州ではユーロが広がりつつあるとはいえドル決済が未だ主流だ。
これに少し前は米国IT関連企業の儲けも入ってきていた。
「焦ることはないんです。
貴方はムーンライトファンドにアクセスできて、その全貌を把握できる数少ない人間です。
それゆえに、中の有象無象が何を言っても、私が、お嬢様がそれを信じませんよ」
アンジェラは少しの沈黙の後、表情を消して一条にこう言った。
「OK。ボス。
貴方のレールに乗ります」
「ねぇ。一条。
アンジェラって焦っていたの?」
会談終了後。
一条を引き留めて私が質問すると、一条は苦笑する。
「知らなかったのですか?
あの人、出世というよりある人物にライバル心むき出しだったので」
私が意味が分からずに首をひねってみせると一条が苦笑してその人物の名前を告げた。
「岡崎さんですよ。
お嬢様をそそのかして、あれだけの大仕掛けをやってのけたディーラーなんです。
嫉妬しない方がおかしいでしょう?」
つまり、あのサブプライムの仕掛けって、『私は岡崎以上のリターンを出してみせますわ!』って事で……
なんと言っていいか言葉を失った私に、一条は苦笑したまま部屋を出ていった。
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最後の一線
別名いちじくの葉。某吸血鬼漫画でのあの問いかけは好きだったなぁ。
なお、インテグラ役が既に吸血鬼というか英霊になってねなんて突っ込んではいけない。
カーローン
金額が小さく、日系自動車販売支援という側面もある。
これ絡みで栄一くんとの話が書けるな。書こう。
コンソーシアム
共同事業体。
有名なのが、頭にジャパンがつくやつでオリンピックやワールドカップの放送でNHKと民法が手を組むケースとか。
今回の一千億円の内訳が、桂華三百、岩崎二百、二木淀屋橋二百、テイア自動車と鮎河自動車と某技研が五十ずつでのこりが他の金融機関って感じ。
某H技研の名前何にしようかねぇ……
決済専門のネットバンク
口座内現金払いが原則なので、小切手がいらない。
小切手文化の米国でどうやって押し通したのか作者も分からないが、市場開拓の先行者として日本ルールを押し通したのだろう。多分。
イラン介入
南部シーア派保護という名目での介入を米国は本当に恐れていた。
なお、現在のイラン経済制裁が効きにくい理由の一つに、シーア派政権であるイラクから迂回されているという噂話が。
クルド独立
必然的にトルコがシッチャカメッチャカに。
なお、イランにせよクルドにせよ動いたのは、米国のガチぶり--多分核使うんしゃね?--に早くイラクの旗を捨てたかったという理由なのだが、長い長い戦後は現実より陰惨かつ救いがない状況になる事は確定的に明らか。
原油価格
現実では40ドル手前で戦争が終わり反落する。
そして、この話で最高値手前で売り抜けたディールを取り仕切っていたのが岡崎なんだよなぁ。
参加している自衛隊
開戦当初は予備戦力としてクウェートに。
現在はバスラ方面で英軍と共にイラン軍と対峙中。
日英は外交チャンネルでイランに呼びかけて、イラク政権崩壊までの休戦を提案。
米国ネオコン派は激怒したが、国務省と現場の米軍はこの動きを追認し、大統領も今は国務省側に立っている。
その間を某補佐官が必死に動き回っているのだろうなぁ。
こんな状況でも兵站が崩壊していないのが米軍の強みであり、その強力な兵站基地を中東に作って売ったのが某お嬢様だったりする。
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