神戸教授の恋住総理評 その1

「恋住総理評かい?

 君が総理から狙い撃ちされているのは知っているけどね」


「ええ。

 勘違いしてもらうと困るのですけど、私は総理とは争いたくはないのですよ。

 どこかで妥協点が見付け出せるのならばと考えているのですが、どうもあの人の思考がいまいち読めなくて……」


 私の冗談に神戸教授も苦笑する。

 一条絵梨花が入れてくれたコーヒーを手にしながら神戸教授は少し視線をそらす。

 このゼミにお邪魔するようになって気付いた彼の考える癖である。


「そうだね。

 おそらくこの国きっての天才二人が共食いなんて目も当てられないからね。

 少しアドバイスをしてあげよう。大人として」


 わざと最後の所を嫌味っぽく言って私がむっとするのを確認して神戸教授が笑う。

 これがそもそもの対立軸の一つだからだ。


「この国の共同体という共同幻想において、そこに所属する権利と義務は何だと思うかい?」


 首を傾げる私に、神戸教授が懐かしい歴史の言葉をホワイトボードに書く。

 書き上げた後で私の反応を確認した彼は、それを読み上げた。


「『御恩と奉公』だよ。

 この国のそういう所は全く変わっていない。

 さて、この言葉を前提に、君がしている事をこう表現しようか」


 神戸教授は楽しそうにそれを赤マジックで書く。

 それを見た私に突き刺さるその言葉を神戸教授は楽しそうに言う。


「『奉公の押し売り』。

 そうだね。江戸幕府というより室町幕府の方がいいかな。

 数カ国の守護を持つ有力守護大名桂華院家の当主の子供が、元服前にぶいぶいと奉公を幕府に売り付けている訳だ。

 幕府将軍からすれば面白い訳がない」


「さて、私は細川でしょうか?山名でしょうか?大内でしょうか?」


 乗った私に神戸教授が少し考えて大名家を告げる。

 出て来たのはある意味当然と言える大名家だった。


「決まっているだろう。

 幕府管領を務め、将軍すら凌駕する事ができた細川家だよ。

 君と総理の確執もこうして歴史を探せば類似例が出てくるから困る。

 私は君を細川政元になぞらえているけどね」


「『明応の政変』を起こせと仰るんでしょうか?教授?」


 生臭い話になってきたなと思うが、神戸教授の笑みは崩れない。

 こういう人に知り合うことができていたら、話を聞くことができていたのならば、前世の私はきっとあんな最期を迎えなかっただろうに。

 ふとそんな事を思った。


「君が政変を起こすのならば、2002年の春にするべきだった。

 与野党とも今は有力な総理候補者が払底しきっているからね。

 君には、傀儡にできる駒が無い。

 総理は意図してかどうかは分からないけど、表舞台に立てない未成年である君の、傀儡となり得る候補者を徹底的に消した。

 それが現状に繋がっている訳だ」


 黙っていた一条絵梨花が口を出す。

 こういう会話に、自然に口を挟めるのは彼女の美徳でもある。

 空気が読めないという言い方もできない訳ではないが。


「失礼ですが、お嬢様と仲がよろしい泉川副総理は使えないのですか?」


「一条くん。

 彼はすでに総理の椅子に就いている。

 つまり上がっている訳だ。

 そして、彼を動かすという事は、総理との間で決定的対立を発生させる事を意味する。

 それをこのお嬢様は望んでいないし、もし望んでいたのならば今年の春には動いていたよ」


「教授。

 私を何だと思っているんですか?」


 神戸教授の断言口調に私が抗議する。

 なんか凄く悪役みたいで……あ、悪役令嬢だった。私。


「ただの子供がイラク政局にまで絡んだりはしないよ」


「え?」


 一条絵梨花がそんな顔で私を見ているが、私の顔から表情が消える。

 この人に話して良かったとは思う。

 この人は私のことをここまで知りながら、それをあまり広めはしないだろうから。


「……ご存知だったのですか?」


 低い声で私が確認する。

 これこそ、恋住総理と私が対立する第二の軸なのだから。

 神戸教授は空になったコーヒーカップを机に置いて、私から視線をそらしてぼやく。


「ケインズではないけど、今の米国の開戦準備がITバブル崩壊の痛手を緩和しているのは事実だ。

 武永大臣と泉川副総理が唖然としていたよ。

 君がイラクの開戦を見抜いた上で、それに合わせた準備と投資を行っていた事にね。

 総理と大統領が君に返り血を浴びせないようにしたのを責めてはいけないよ」


 神戸教授は諭した上で笑顔を作る。

 ここで話が一度戻ってくる訳だ。


「つまり、君と総理の問題は、突き詰めればここに行き着くのさ。

 『元服前の稚児が手柄首を上げるのを是とするべきかどうか』とね」


 一条絵梨花が冗談ともつかない言葉を呟く。


「……元服でもすれば良かったのでは?」


 パン!

 神戸教授が手を叩いて一条絵梨花が驚く。

 どうも正解を言ったらしい。


「そのとおり!

 全てはそこが問題なんだよ!!

 桂華院くん。

 君が元服していれば、いや、女子だから裳着か。

 それをして大人になっていれば全て解決する事なのだからね」


 神戸教授はそのまま立ち上がって窓の外を眺める。

 そこから見える大学のキャンバスには、多くの大学生が往来しているはずだ。

 彼らの半分は未成年という事を私は思い出す。


「この国では、満20歳を以て成年とすると法律によって定めている。

 そこに君という特例を許すかどうかという訳だ。

 おまけに、事は戦争という殺人行為のへの関与が背景にある。

 戦争は置いておいて、殺人は基本犯罪だ。

 つまり、君を犯罪者として裁く時に、成年として扱うかという問題でもあるのだよ」


「最悪、華族の特権……あっ!?」


 私の口が止まったのは、恋住総理の打った手にある。

 彼は『華族特権の剥奪』も掲げて、枢密院や外務省に切り込んでいたからだ。

 成年になるのはいいが、今までの特権である不逮捕特権などは使えないだろう。

 私の気付きを理解した神戸教授が楽しそうに頷く。


「総理は君をいじめているわけじゃない。

 権利を主張するなら、義務を背負いなさい。

 大人と見られたいのならば、大人となりなさい。

 つまり、そう言っているのだよ」


 大人とみられること。

 その道を恋住総理は一つだけ残していた。

 ああ。

 あの人は本当に政局については天才だ。


「君の父上及び兄上を引退に追い込んで、君が公爵家を継ぎなさい。

 総理と同じ立場に立ちたいならば、そこから枢密院を抑えなさい。

 君の愛する者を、君の手で葬りなさい。

 そうすれば、総理は君の話を聞いてくれるはずだよ」




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『姫巫女』や『修羅の国』や『龍神様』あたりを書き続けていつも思うのだが、この国そもそも根本的な所がまったく変わっていねぇ……


ITバブルの痛手を癒す

 『アメリカの論理』(吉崎達彦 新潮新書)142Pより。


『大胆な利下げと財政政策の大盤振る舞い、さらにはそれ以前に決まっていた「ブッシュ減税」による可処分所得の増加などに支えられ、悲観的だった市場のコンセンサス裏切ってアメリカ経済は底割れを回避する。個人消費は堅調に推移し、金利低下を追い風に自動車や住宅がよく売れた。ITバブル崩壊で冷え込んでいたエレクトロニクス業界にとっては、国防支出の伸びが「干天の慈雨」になった。今日のミサイルには数多くの半導体が使われているのである』 


 なお、ここで登場する自動車や住宅購入で多くの人が群がったのがあの悪名高いサブプライムローンである。

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