ノブレス・オブリージュ

「この国を救うに足るお金は幾らか知っているかい?」


 神戸教授のゼミ室に遊びに行った時のこと。

 神戸教授はそんな事を言ってきた。

 私が首をかしげるのを見て、神戸教授はホワイトボードに数式を書き出す。


「こういう時はね、お嬢様。

 まずは仮でいいから数字を先に作ってしまうことだよ。

 たとえば、年四百万で八十年生活する場合、必要な金額は三億二千万だ。

 これでこの国の人口一億四千万人をかけてやると、四京四千八百兆円。

 一方、日本国の金融資産は一千兆円を越える程度さ。」


「見事に足りませんね」

「と思うだろう?

 数字にはからくりがある」

「からくりですか?」


 私は首をひねる。

 数字の持つ圧倒的な説得力にただ言葉を失い、桁の大きさに無理だよなと納得してしまったからだ。

 年間四百万の生活ならば、贅沢しなければそこそこ幸せに暮らせるだろう。

 この国を救うお金は集められない。


「簡単な話さ。

 それだけお金を刷ればいい」


「インフレになるじゃないですか」


 私のツッコミに神戸教授はいたずらっぽい笑みを浮かべて言い返す。

 つぎの言葉でその手があったかと気付かされたのだ。


「じゃあ、金融市場で行われているレバレッジをかけてみたらどうだい?

 日本の金融資産全てかき集めて50倍のレバレッジを掛ければ、5京円だ。

 ほら。

 届いた」


 そう。

 国際金融市場において、データ化された虚構のお金は既に京を突破している。

 だからこそ、疑問が発生する。


「それ、実際にできるんですか?」

「無理だろうね。

 けど、思考実験としては面白いだろう?」


 そう言って神戸教授は笑った。

 そんな雑談でふと気になったことを口に出す。


「元手は既にあって、それを行う方法があるなら、なぜ私達は皆で幸せになれないのでしょうか?」


 私の質問に神戸教授は、煙草に火をつけて答えた。

 紫煙の匂いをメイド達が嫌がるのだが、神戸教授に禁煙を言うほど傲慢でありたくもない。

 私は彼に教えを請う側なのだから。


「なかなか難しい質問だね。

 じゃあ、今度はその幸せについて考えてみようか。

 君が言う幸せとは何だい?

 その定義によって答えは変わってくるよ」


 私は一条絵梨花が入れてくれたミルクティーを飲みながら考える。

 うん。

 こういう嗜好品が飲めない生活は幸せではないな。

 とはいえ、私の生活を前提に幸せを考えだしたら、それこそ幸せが標準化できない。


「そうですね。

 TVでやっている長寿アニメの家庭生活あたりを幸せの基準に」


「いいね。

 そういう視点の基準化は大事だよ。

 万人が受け入れやすい基準は話の前提としてとても大事だ。

 まぁ、もっとも、その長寿アニメの生活も昨今は難しいと言われたりしているがね」


 都内庭付き一戸建て二世帯住宅。

 もしくは首都圏一戸建て一家族。

 私の前世ではもはや夢とまで言われた生活である。

 もうこの時代ですら、その夢に半分ほど入っていたが。


「そうやって、基準を出せば、皆で幸せになれない理由が見えてくる。

 たとえば、物理的な理由。

 全人口が都心に集まって生活なんてできないからね。

 次にハンデ。

 このハンデがすごく大事なんだよ」


 神戸教授は『ハンデ』と書いて大きく丸を付けた。

 この人、間違いなく私を子供扱いしていない。

 そういう意味でも、居心地が良かった。


「たとえばどういうハンデですか?」


「君に分かりやすいのは、物理的理由のハンデだろうね。

 都心部に全人口が住めない以上、椅子取りゲームが発生する。

 この椅子取りゲームはスタートが一緒ではない。

 最初からそこに住んでいる人はその椅子を手放さなければ、自動的に勝者になる。

 そういうハンデさ」


 神戸教授は授業が上手い。

 それはこういうたとえ話で生徒に具体的な想像を生起させるからだろう。

 かくして神戸先生は話の本題に入る。


「新自由主義。

 この国では自己責任のイメージが強くなるけど、その本質はハンデの付け方にあるんだ。

 もう少し言い換えると、機会の平等と結果の平等だね」


 今日の話はこの新自由主義である。

 絶対に小学生に教える話じゃないと思うんだよなぁ。これ。


「最初に話した、全国民に400万をばらまくのは、結果の平等だ。

 それは共産主義・社会主義と呼ばれ、東側諸国という社会実験が大失敗に終わったのは君が生まれたぐらいの話になる。

 新自由主義は群れなどの生存競争からもモデルを取っているんだ。

 『チャンスはあげよう。だが、ハンデはあげない』。

 これが新自由主義の本質さ」


 ある意味当然で、だからこそ容赦のない生存競争の掟。

 分かってはいたが、私が思わず漏らす。


「何だかずるくないですか?」


「そうだよ。

 そもそも、『人は平等でない』のだからね」


 この人はこういう考え方の人だった。

 神戸教授は煙草を灰皿に押し付けて、そんな生存競争を語る。


「多くの獣の群れでは、冬を越せない場合弱者を殺してその肉を食べたり、食い扶持を減らすという犠牲を払って種の存続を図る。

 人間はどうして弱者を保護するようになったのか分かるかい?」

「人間が特別だからですか?」

「いや。

 自分が特別であると思いたいからさ」


 こうやって話が特別である私の所に降りてくる。

 この人の話術は本当に面白い。

 そりゃ、TV局は引っ張りだこにするわけだ。 


「『私は特別なんだ』。

 そう思える最たるものの一つが、仲間を助けることだ。

 利害関係もあるが社会格差のある場合、強者が弱者を助ける理由の一つが『自分が特別である』という分かりやすい証拠というわけだ」


 神戸教授はホワイトボードにある言葉を書いた。

 四文字熟語で『特権階級』と。


「おおむね、特権階級とはそういう連中の事をさす。

 彼ら特権階級は弱者を食い物にするだけでなく、弱者なくして成り立たないから施しをする訳だ。

 この国ではそういう連中の事をまとめて華族という。

 だからこそ、君には今日、この言葉だけはしっかりと覚えて帰って欲しい」


 その外国語を神戸教授はわざわざ赤マジックで書く。


『ノブレス・オブリージュ』


と。


「君はいずれ弱者と相対するだろう。

 その弱者を助けようとするだろう。

 だが、君の手は二本だ。

 日本人全てを助けるには足りないんだよ。

 弱者を見極めなさい。

 そして、その弱者を助けるか、犠牲を強いるか、とにかく君の手が足りる弱者を選びなさい。

 そうすれば、君は特別なままでしばらくはいられるだろうね」


 私は知っている。

 私はその弱者に破滅させられる事を。

 足掻いても届かずに敗者として記憶させられるならば、せめて良き敗北者であるように。

 今日の話は神戸教授の意図とは違うだろうけど、とてもためになる授業だった。

 そんな私の心を知ってか知らずか、神戸教授はその言葉を言って今日の授業を終わらせた。


「ノブレス・オブリージュ。

 君が真の華族たらん事を私は心から祈っているよ」




────────────────────────────────


日本人全人口にばら撒くお金。

 計算間違いかと目を疑って、この話を書くきっかけになった計算。

 ベーシックインカムの流れも実は分流としてこのあたりから来ている。


追記

 見事にずれていた。

 ずれていた用のストーリーに差し替え。

 良かった。良かった。


都内庭付き一戸建て二世帯住宅

首都圏一戸建て一家族

 『サザエさん』と『クレヨンしんちゃん』。

 まさかクレヨンしんちゃんですら上級国民入りするとは思わなかった……

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