神戸ゼミ卒業コンパ

 新宿桂華ホテル。


「「「かんぱーい」」」


 お馴染みの掛け声と共に、皆が酒をあおり、会話が始まってゆく。

 ここは某私大経営学部経営学科、神戸教授のゼミの卒業コンパの席。

 神戸ゼミでは新歓コンパと卒業コンパは授業の一環として出席扱いにしていた。

 そのため出席率は高く、場所もホテルのホールを使う大規模なものになっていた。

 また、幹事を引き受けた者にはレポート免除の特典もあるが、その条件として『ホテルのホールを貸し切って盛大にやること』と『カンパの中で賄い、その収支をプラスにする事』が要求されている。

 これは、学生たちに本物の料理やホテルでのパーティーとはどういうものかを味わわせようという神戸教授の方針であり、ゼミ出席免除の条件のユニークさと共に神戸ゼミの名物となっている。

 なお、神戸ゼミ出席免除の条件は2つあり、『10万以上の時計を身につける事』と『オーダーメイドのスーツを作り、それを着て新歓・卒業コンパに出席する事』で、神戸ゼミの就職率は他ゼミと比べても良かったりする。


「しかし、新宿桂華ホテルってよく取れたわね」

「やっぱり幹事の一条さんのおかげでしょう?」

「そりゃ、親が桂華銀行の取締役で、就職先が桂華院家の秘書兼メイドだものな。

 ある意味当然だよな」


 やっかみもあるが、基本一条絵梨花はそれに気付かない天然系の女子だった。

 良い意味でも悪い意味でも空気が読めない。

 だから、幹事を押し付けられた時に、何も考えずに彼女は将来の上司にこう言ってしまったのだ。


「今度卒業コンパの幹事をやるんですよ。

 お嬢様。

 どこかいいホテル知っていますか?」


と。

 卒業前なのでインターン扱いで来ていた一条絵梨花に控えていたロシアメイドが、


(おいお前。

 うちの会社組織思い出せよ!

 というか、うちが持っているホテル事業あるだろうが!!)


と顔で語っているが、もちろん彼女は気付かない。

 そして、そんなメイドの上司もある意味天然だった。


「うちのホテル使えばいいじゃない」

「ああ。

 予約とか代金足りるかな?」

「足りなければ、領収書は私に回していいわよ」

「さすがにそれはまずいですよ。

 みんなが集めた代金からプラスにできるかというのも成績になるんですよ」

「なら、なおのこと割り引いてあげるわよ。

 うちに来る人がコンパの儲けが足りなくて成績落とすなんて雇い主の責任じゃない」


 お嬢様の前世は、超が付く就職氷河期でコンパどころか進路が決まっていない学生が大量に居た。

 お嬢様にとってその手の話は、己が得られなかった可能性の代替行為になっているのをお嬢様以外誰も理解できないだろう。

 大急ぎで急拡張されていっているお嬢様自身のスタッフの中で一条絵梨花の立ち位置は特殊で、寵愛されていると言っても過言ではない。

 それでも彼女がこの組織内に立ち位置を保持できていたのは、父親のおかげではなく彼女自身のおかげである。

 その性格から、彼女はできるスタッフから『お嬢様の道化師』として見られているのだった。

 そんな事を知らない一条絵梨花は、新宿桂華ホテルのホールに神戸ゼミの代表として予約を入れ、一条絵梨花の名前を見た桂華ホテルのスタッフが念の為とお嬢様に確認をとり、当たり前のように『割り引いてあげて』といわれた桂華ホテルは予算以上のものを用意する羽目になった。


 かくして、このコンパに出ている料理もお酒も一流品ばかりである。


「和食・中華・洋食。

 何でもありだな……」


「あ。

 これ、TVの『名人の料理』で見たやつだ!」


「これ話題になった北海道産のワインよ!」


「当たり前のようにメイドが居るけど、あれ桂華院家のメイドなの?」


 学生たちが感嘆しながら料理や酒を堪能している中で、席の中央でこのゼミを主催する神戸教授は淡々とその料理と酒を堪能していた。

 幹事だから教授のそばにいる一条絵梨花がそんな神戸教授に声をかける。


「もしかして料理が合いませんでしたか?」


「いや。

 料理もお酒もすばらしいものだよ。

 一条くん。

 私は、ちょっと私の研究課題について考えていた所さ」


「ああ。

 天才経済学ですね。

 『21世紀は天才の時代になる』でしたっけ?」


「正確には、インターネットによる個人の情報発信が社会に多大な影響を与える結果、個人が発信しうる影響が増大して社会を動かす可能性の果てという所だよ。

 これまでは、大量生産・大量消費の時代で、天才よりも秀才が必要だった。

 そのモデルが通用しなくなって、一人の天才が世界を動かすようになる。

 米国IT業界がそれを実現しているじゃないか」


 もちろん学会では異端扱いではあるが、私大教授として今の地位を維持できているのは、機能不全を起こしていた日本という社会モデルの理由の一つを主張できるからで、テレビのコメンテーター等でお呼びがかかるからだ。

 その関係から神戸教授は、別の大学だが武永信為教授と親しかったりする。

 経済の効率化と適者生存、弱者救済ではなく強者優遇による環境変化対応は武永教授の方向性とも一致しており、『百万人の秀才の犠牲の上に一人の天才が登場するのならば、その収支は国家にとってプラスとなる』という過激な主張が話題をさらっていた。

 とはいえ学生たちにとっては、TVで呼ばれた後のゼミなどが自習になるから単位的にありがたい先生で、一条絵梨花もそれ狙いでこのゼミに所属していた口である。


「私はね、一条くん。

 ここ数年の日本の経済モデルが一人の天才によって転換しようとしている。

 そう思っているのだよ」


「?」


 TVに呼ばれるという事は、マスコミ経由の情報が入るという事で。

 一条絵梨花よりもはるかに神戸教授は桂華グループの事を知っていた。

 そんな桂華グループの中枢に、己のゼミ生が入る。

 研究対象としてこれほどありがたい事はないのだが、それをストレートに言わずにさりげなく尋ねた。


「一条くんは、桂華院家付きのメイドになるのだったね?

 お父さんの務めている桂華銀行では無く」


「はい。

 正確には桂華院家付きではなく、そのご令嬢である桂華院瑠奈様専属のメイド兼秘書になる予定です。

 瑠奈様いわく、直接スカウトしたのは私で三人目だそうで、父もそうやってスカウトしたとか」


「小学校に入ったばかりの頃に一条頭取を抜擢したということかね!?」


 あるいは幼稚園の頃なのかもと推測しつつも、小学校に入りたてでヘッドハントを実行できるほどの能力があることが確定した。

 政財界でまことしやかに囁かれている『小さな女王陛下』の噂が本当であると神戸教授が確信した瞬間である。

 それはつまり、今や巨大政商財閥となった桂華グループを実質的に差配しているのがあの小学生であるという事を認めた事になるのだが、彼の研究課題である百万人の犠牲を払ってでも手に入れたい天才を発見したと言い換えてもいいだろう。


「一条くん。

 何かあったら極力相談にのるよ。

 だからその際に、話せる範囲でいいから、彼女のことを教えてくれないだろうか?」


 興奮していて震える手が皿を揺らしているのに気付かない神戸教授だが、同じく気付かない一条絵梨花はあっさりと爆弾発言をした。


「それ、直接お嬢様に尋ねたらどうでしょうか?

 時間ができたとかで、来るみたいですよ。

 お嬢様」


 神戸教授がナイフとフォークを床に落としてしまい、メイドがじゃまにならないように拾うが、神戸教授は固まったままだった。




「宴もたけなわでは御座いますが、ここでゲストをご紹介させてください。

 ここのホテルの予約と料理がよくなった代償に、『私に一言喋らせなさい』という取引を持ちかけてくれた、桂華院公爵家令嬢。

 桂華院瑠奈様です!」


 空気の読めない一条絵梨花が考えなしに盛り上げるように言い放ち、空気の読めるメイド達がちゃんとお嬢様を迎えるように入口付近から綺麗に並びドアを開け、空気の読める学生たちと神戸教授が見事に固まる中、桂華院瑠奈は華やかに厳かに壇上に進む。


「あれ?

 ここはみんな喜んだり拍手する所じゃないの?」


 一条絵梨花からマイクをもらった桂華院瑠奈の第一声に拍手と爆笑が混じり、やっと場の空気が和んだ事を確認して桂華院瑠奈は挨拶を始める。


「神戸ゼミの皆様。

 卒業おめでとうございます。

 皆様の多くが新しい進路を決めているとの事で、我々桂華グループとも取引があるかもしれません。

 その際にはどうかよろしくおねがいします」


 じつに可愛らしくぺこりと頭を下げ、美しい金髪が宙に舞う。

 また拍手が起こり、彼女は続きを口にした。


「神戸先生の著書や論文は読ませていただいております。

 百万の秀才より、一人の天才をという主張は、その世界を目の当たりにするであろう私にとっては無視できないものがあり、こうして縁ができたことを喜びたいと思っております。

 ですが、百万の秀才が不要になることはありません。

 少なくとも、我が桂華グループにおいては、百万の秀才達の力が無ければ、グループが回らない事を私はよく理解しています」


 彼女は小学生のはずだが、その言葉には説得力があった。

 その特異性をまざまざと神戸教授は見せつけられている。


「ですが、百万の秀才でも、その他大勢の人たちがいなければ、この社会が回りません。

 自分の身を大事に、あなた達は会社の、社会の歯車かもしれませんが、意志を持つ人間です。

 それを忘れないでください。

 そんなその他大勢の皆様に受け入れられるよう努力するのが、桂華グループとしての使命であると私は思っております。

 私の挨拶は短いですが、これで終わらせていただきます。

 本日はありがとうございました」


 再度桂華院瑠奈は頭を下げ、今度は万雷の拍手を浴びる。

 頭を上げた際に見せたその笑顔を神戸教授は忘れることはできなかった。 


 


 2001年、秋。

 神戸教授の机の上の受話器がなり、彼は電話を取った。


「やぁ。武永大臣。

 相変わらず時の人じゃないか」


「よしてくれ。教授。

 精々間違って舞台の上で踊る間抜けな脚本家でしかないよ。私は」


「そのあたりはひとまず置いておいてだ。

 この大変なご時世に、一介の大学教授に電話を掛けるという事はどういう要件かな?」


「君の主張する論文を思い出してね。

 それで尋ねてみたくなったんだ。

 桂華院瑠奈公爵令嬢。

 彼女は君の主張する論文のモデルになりえるかい?」


「……ああ。

 おそらくは、百万の秀才、一千万の凡人を生贄に捧げてもお釣りが来る、百年に一度の大天才だ。

 大臣。

 研究者として警告しておくぞ。

 おそらく、君が仕える総理も彼女と同じような大天才なのは間違いがない。

 問題は、彼女と総理の方向が別れてしまった場合だ。

 両方潰れでもしたら、この国の21世紀はろくでもないことになるぞ。

 君は彼女と総理を調整できる位置にいる人間だ。

 絶対にあの二人を敵対させるな」


「……驚いたな。

 そこまで読んでいたか」


「このご時世に分からない方がおかしい。

 警告はしたぞ」


「感謝する。

 総理にも伝えておこう。

 では」


 電話を置いた神戸教授の机には新聞があり、テロ組織に対して世界が揺れている中、国内で新たな政争が静かに幕を開けていた。

 聖域なき構造改革と称してそのやり玉に上がったのは、桂華院瑠奈が親しいとされる端爪派の牙城の一つである道路公団と言った。




────────────────────────────────


このコンパはフィクションなのです (棒)


神戸教授

 私の創作オリキャラ。

 彼の主張のモデルになったのは実はSF作家の秋山完の『吹け、南の風』(ソノラマ文庫)である。

 かの本で、出てきたキャラクターは戦争を個人が引き起こすと言い切り、そのトリガーとなる人間を殺せと主張していた所にものすごい衝撃を受けた覚えが。

 これを経済に転換すると、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが出現するなら、一千万の犠牲すら百年の文明国家の勝利でお釣りが来るという……あ。これ『シヴィライゼーション』のプレイ方針だ(笑)。

 なお、ニコニコ視聴勢でゲームはまったく触っていないあたりがまた……

 某ガチャゲーことFG○よろしく、特異点ならぬ特異人を狙い撃ちにするという考えで、その特異人の選択が世界線を変化させるという考え方だから、『シュタインズゲート』とかも思想的には入っている。

 かと思えば、初音ミクやバーチャルユーチューバーなんかの説明に使えるなこれと考えていたり、神戸教授はこれからもちょくちょく私の作品に出してゆこうかな。

 フルネームは、神戸総司。


 なお、どーでもいい情報だが、秋山完先生の一連の小説で悪役令嬢役をやっている、ジルーネ・ワイバーお嬢様が作者的どストライクである。



 時計とスーツ。

 いい時計やスーツを身に付けろというのは2000年あたりまではたしかに言われていた。

 ある種の拡張現実の一つであり、それによる心の余裕というのは、それ相応の効果をもっていたのは事実。

 問題は、この後、その手の物すらつけられないぐらい学生が窮乏した上に、その価値を認めないOR知らない世代が社会に入ったことで、その効果が陳腐化したという所。

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