隅田川花火大会

「おまたせ」


 浴衣姿の私を見て男子三人が褒める。

 このあたりはちゃんとしているのが素敵。


「似合っているじゃないか。瑠奈。

 紺地に月と色取り取りの花柄って家の家紋のアレンジか」


「そうよ。

 なかなか似合っているでしょう?」


 栄一くんの前でくるりと回ってみせる。

 浴衣は京都の着物メーカーからの特注品である。


「その簪も似合っているよ。

 その緑の宝石は何?」


「エメラルドね。

 良い原石が出たからって簪にしてもらったのよ」


 金髪の髪に映える緑色の飾り玉がついた簪を私は手で触る。

 これも京都の職人の特注品である。


「で、桂華院よ。

 歩く看板ご苦労さま」


「……本当にありがとうね。

 帝西百貨店の外商部から土下座されてさぁ……」


「瑠奈ちゃん、笑って笑って!」


 私の護衛たちが作る人垣を背景に、カメラを持った写真家の先生が盛大にフラッシュをたきながら飛び回る。

 鬱陶しい事この上ない。

 ちなみに、護衛たちが着ている夏服(全員別コンセプト)も帝西百貨店の商品である。

 すでに夏物なんてバーゲンの時期じゃないかと思うのだけど効果はあるのだろうか?


「問題ございません。

 公爵家の姫君が御贔屓にしてくださっているという事実が大事なのです。

 まあ、できればシーズン前の撮影に積極的にご協力いただきたいところではありますが」


 私の内心が顔に出ていたらしく、ついてきた帝西百貨店外商部の担当が営業スマイルで私に説明する。

 そう、何も好き好んでお洒落している訳ではない。

 北海道の新鮮な生鮮食料品で立て直しを図ろうとするスーパー部門と、消費者の近場にあるからこそ売上が急拡大しているコンビニ部門に比べて、バブル崩壊で売上が落ち込んだ百貨店部門は立て直しが遅れていた。

 そのためにあの手この手で客を呼び戻そうとしており、広告塔である私に白羽の矢が立った訳で。

 華族社会および財閥社会が生き残っているこの世界では、こういう上流階級の広告塔が居るのと居ないのでは売上が大幅に違う。


「花火大会が始まるまで少し時間があるわね。

 せっかくだから、出店を見て回りましょうか♪」


 ここは隅田川花火大会の会場。

 今日はその花火大会の開催日なのである。

 それぞれの護衛を立たせてのお祭り見物なのだ。


「しかし、まだ夕方なのに集合は少し早くないか?」

「あら?

 花火を見ながら出店を楽しんだら、私達囲まれてどうにもならなくなるわよ」


 栄一くんのぼやきに私も汗をハンカチで拭きながら、東京の茜空を眺める。

 東京でも屈指のお祭りの一つで早くから出店が開いているからこそ、こうして護衛を引き連れての買い物なんてのができるのだ。

 上流階級になるとお祭り見物も一苦労である。


「じゃあ、とりあえず出店を片っ端から見て回りましょうか♪」


 私が腕を上げて叫ぶと追随する三人だが、その視線は屋台に既に向かっていた。




「焼き鳥ねぇ。

 こんな所で食べなくても家で食べればもっと良い……うめぇ!」

「ははは。坊っちゃん。

 こんな所が何だって?」

「……謝罪する。

 すまない」


 食べ物屋につっかかって即落ち二コマ芸を披露する栄一くんに屋台の親父が破顔する。

 こういう華族や財閥のボンボンがやってきては、驚くのを楽しみにしているらしい元板長の人らしい。

 こういうのが居るから祭りは止められないのだ。


「金魚釣りじゃなくてヨーヨー釣りなんだ?」

「金魚は庭の池に放つと鯉に食べられるからね。

 けど、思ったより難し……あっ!」

「はい。

 残念賞。

 一つどうぞ」

「次、私!私!!」


 ヨーヨー釣りで盛り上がる私達だが、それぞれ数個のヨーヨーを抱えて『これどうするんだろう?』と我に返る数分前の事である。

 あの魔力は一体何なのだろうか?


「凄い!はいった!!」

「光也にこんな特技があるとはな」

「たいしたことじゃないさ。帝亜」

「あ。

 栄一くんのはまた外れたー」

「次だ!次!!

 次の輪投げをもってこい!!!」


 栄一くんは輪投げは下手らしい。

 大物ばかり狙って、しくじってと更に輪投げを購入する悪循環。

 光也くんは上手いというよりも大物を狙わずに確実に取りに行くスタイルみたいだ。

 お菓子とか小さな玩具とかそこそこ取れたものを紙袋に入れると結構な量になった。


「次はかき氷に行こう!かき氷!!」

「おう。

 俺はメロン」

「え?レモンでしょう?」

「ミルク金時だろう?」


 そんな事を言いながらかき氷屋で騒いでいると、すっと護衛の人が私達を守る姿勢になる。

 マスコミに勘付かれたらしい。


「あーあ。

 ここまでかぁ……」

「まぁ、仕方ないか。瑠奈。

 かき氷は後で執事にとどけさせよう」

「急ごう。

 マスコミが騒いで周囲の人が騒ぎ出してる」

「これだから、好きにはなれないんだよなぁ。

 あいつら」


 護衛に先導されて退路を進むと後ろから記者の声が響く。

 彼らも仕事なんだろうが、もう少し配慮して欲しい所なんだが。


「桂華院さん!

 今回発表された三行統合について一言!

 こら!邪魔をするな……ちょっと!!!」


 記者が私にコメントを貰おうとしたのは、先ごろ発表されたDK銀行・芙蓉銀行・工業銀行の三行統合で、不良債権処理の遅れとオーバーバンキングで非難を浴びていた銀行業界の生き残りサバイバルレースの号砲でもあった。

 この発表に政財界は歓迎のコメントを出していたが、彼らの視線は他の銀行の合併や統合、その相手になりかねない桂華銀行に視線が注がれていた。

 桂華銀行を食べて主導権を握るならば、最低でも食べる方も大きくならないと飲み込まれるからだ。

 不良債権を債権回収機構に送り込んで私が買収した桂華銀行は、旧北海道開拓銀行・長信銀行・債権銀行と三行もの都市銀行に旧一山証券を抱えているからこの時点でのトップクラスの優良銀行に化けていたのである。

 この三行統合は、帝都岩崎銀行についで桂華銀行買収に名乗りを上げたとも取れなくもない。


「たしか、芙蓉銀行は芙蓉財閥をはじめとした複数財閥の連合体だったよな?」

「で、DK銀行が山水財閥等をはじめとした複数財閥の連合体」

「ええ。

 帝都岩崎銀行は言わなくてもいいでしょう?

 元々財閥としてはうちは中規模だから、食べたいと思っている連中はごろごろ居るわよ」


 車の中で栄一くんと裕次郎くんが呟き、私は気にすることもなしに返事をする。

 銀行のサバイバルレースは、不良債権処理がセットになる。

 それは、大規模な貸し渋りと貸し剥がしを引き起こすから、ここから一気に企業倒産が顕在化してゆく。


「お嬢様。

 到着いたしました」


 車が止まりドアが開くと目の前には屋形船。

 こんな状況なので花火見物は屋形船でと洒落込んだのである。

 料理も飲み物も出るのがいいし、万一があったらそのまま川を下れば桂華証券本社ビルに逃げ込める。


「とりあえずこの話はここまで!

 屋形船に乗り込んで花火見物と洒落込みましょう」


 すっかりあたりも暗くなり、私達が乗った屋形船が会場についた時に花火が空に上る。

 この街は地上の星で溢れているが、空に輝く一抹の花に誰もが息を呑む。


「綺麗ね」

「ああ」

「本当だね」

「凄いな」


 屋形船に飾られた風鈴が夏の音をたてる。

 その音も花火の可憐さにかき消されるが、耳に残って離れない。

 川岸から花火が上がる度に歓声があがる。


「瑠奈。

 来年もまた見に行こう」


 栄一くんの素直な声に気づかず、私は夏の幻影に囚われたまま頷いてしまう。

 ここから金融で修羅場が待っているのに、その嵐の中心に飛び込むというのに。


「そうね。

 また見に行きましょう」


 その声は儚く、切なく、自分の声でないような気がした。




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簪の色

イメージしたのが『はがない』の柏崎星奈の髪飾り。

あの蝶の髪飾りは金髪に映えて本当に魅力的だった。

で、思ったが、彼女も日本人離れした容姿だったな。


芙蓉銀行

 元が財閥の連合体だから中が結構バラバラ。

 とはいえ、この世界だと財閥同士の合併という事になる。


DK銀行

 同じく中がバラバラな財閥の連合体。

 ここの総会屋事件が大蔵省不祥事の引き金になり、ここの脳死から始まった債権回収の動きがこの後の大型物流の倒産に繋がってゆく。


工業銀行

 重工業育成のために作られた銀行で、名だたる企業のメインバンクとして名を連ねる。

 この三行合併は一応の成功……なんだろうなぁ。


 なお、このあとシステム屋にとって『サクラダファミリア』と唾棄される悪夢のシステム開発プロジェクトが始まることになる。


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