小さな女王様

小さな女王様(リトル・クイーン)

 本当の金持ちは買い物に行かない。

 デパートの外商部の人が屋敷にやって来るからだ。

 とはいえ、現在お金持ちとはいえ庶民な前世持ちの私なので、買い物は当然行きたい訳でして。

 執事の橘と新しい護衛をつけて池袋のデパートにショッピングと洒落込んだのである。

 まさかこんな出会いイベントがあると知っていたら、行かなかったのだが。


「わぁ。

 人がいっぱいね♪」


 季節は冬。

 クリスマスシーズン真っ只中である。

 桂華銀行を使った不良債権処理が進んでいる事もあって、現在の株価はアジア金融危機の最中というのに二万円台を維持していた。

 財閥が残っている事で強固な持合で株価が下がりきらないのと、日本の金融護送船団が表向きは無事に進んでいるので、アジア金融危機におけるマネーの避難先の一つに選ばれたからだ。

 そのおかげか、人々も消費税の不景気は感じているが、パニックには至っていない。


「それでは、お嬢様。

 今日は何をお探しに?」


 営業スマイルで外商部の担当が私に尋ねる。

 お忍びというか、ウィンドウショッピングの気分だったから担当はいらないのだけど、桂華院家のお嬢様なんて大客を放置する百貨店は百貨店ではない。

 ましてや、不良債権処理で身売り中で、その救済に名乗り出た桂華銀行の要人がやって来ているのだから。

 橘のことなんだが。

 あくまで、私は橘の操り人形というふりである。


 戦後財閥の雄である帝西鉄道は、その創業者の死後に兄弟間で分割相続がなされて、その一つがこの帝西百貨店グループである。

 百貨店からスーパーやコンビニを持ち、バブル期には帝西鉄道グループと重複するホテルや不動産に手を出し、それが致命傷となった。

 その不良債権の金額はおよそ一兆七千五百億円。

 帝西百貨店にとって不幸だったのは、メインバンクの一つであるDK銀行が総会屋事件で身動きが取れず、動けるのが桂華銀行しか残っていなかったというのがある。

 桂華銀行もこの財閥丸ごとの救済は無理と判断し、桂華ルールで不良債権を再建処理機構に送り、残った部分を買収するというスキームが取られることになる。

 それでも、中堅財閥の桂華院グループ以上の規模になることからこの救済に懐疑的な意見も多い。

 

「そうねぇ。

 とりあえずは、時計でも探そうかなって。

 懐中時計」


 懐中時計を持つ小学生というのも、中々嫌なものである。

 とはいえ、機械式のあのちくたくという音は嫌いではなかった。

 『時計は高級なものを持て』という話を聞いたことはないだろうか?

 社会人の嗜みという話だがその実は、質屋に換金しやすい手持ち財産としての側面がある。


「それでしたら、お嬢様。

 こちらの品はどうでしょう?」


 差し出されたのは銀の懐中時計。

 シンプルなのが良い。

 スターリングシルバーの懐中時計で、蓋の中に刻印が可能となっているのも好みだ。

 お値段六桁なり。


「うちの家紋を入れましょうか。

 身分証明になるわね」


 ほとんど印籠扱いである。

 なお、桂華院家の家紋は『月に桜』である。



「ねぇ。あなた。

 モデルになってみる気はない?」



 どこからやって来た?こいつ。

 こっちのジト目なんか気にせず、その男性は指で四角を作って私を捉えたまま、まったく人の話を聞こうとせずにまくしたてたのだった。


「その時計を選ぶセンスはいいわ。

 けど着ている服がだめ。

 たしか、ここが用意したプリンセスドレスがあるからそれを着て頂戴。

 その時計は持っていっていいわよ」


「あの先生。

 こちらの方は……」


 慌てた外商部の人が私の正体を告げようとするが、その彼を手で拒絶する。

 橘にいたってはこの狼藉者と不機嫌を隠そうとしない。


「何よ。

 帝西百貨店の将来を決める冬のキャンペーンを撮りたいというのだから私を呼んだのでしょう?

 だったら私の好きにさせなさい!

 この娘はきっと、この百貨店の将来を決めるわよ」


 ある意味間違ってはいない。

 現在絶賛破滅方向に爆走中だが。

 思わず素で、声が出た。


「あなた、私の何を知っているって言うのよ?」


「何も知らないわよ。

 ただ、あなたがいい女になるって事だけしか知らない。

 それで十分でしょう?」


 呆れて笑いたくなり、そして負けを認めた。

 芸術家だからこそ、自分の世界にこだわりを持つ。

 そして、相手のことなどお構いなしに、色々な物言いができるというのは、それだけの実績を積み上げているカメラマンという事だ。


「橘。

 負けよ。負け」


「しかし、お嬢様……」


「帝西百貨店はこの人に賭け、この人は私に賭けた。

 見る目がある人みたいだから、私達も賭けましょう」


 なんて事を言っているが、ここで帝西百貨店が傾くと救済する桂華銀行にも迷惑が行くのだ。

 アジア金融危機と大蔵省のスキャンダルで金融行政が脳死しているこのタイミングで、一兆七千五百億円もの不良債権が炸裂するなんて悪夢は見たくない。

 下手すればというか、確実にDK銀行がぶっ飛ぶ。

 私のため息なんて気にせず、先生と呼ばれたカメラマンは胸を張った。


「ほら。

 この娘いい女だったでしょう?」


 すげぇぶん殴りたいのだが。




「なぁ。

 瑠奈……」

「桂華院さん……」

「桂華院……」


 言わないで。分かっているから。

 というか他の生徒もヒソヒソと視線をこっちに向けていたり。

 仕方なかったのよ!




 帝西百貨店グループ冬のキャンペーン

 --欲しい物はありましたか?小さな女王様--




 私のあだ名が『|小さな女王様(リトル・クイーン)』に決定した瞬間である。

 帝西百貨店グループのデパート・スーパー・コンビニ各店に一斉にはられたポスターには、プリンセスドレス姿で王座にちょこんと座り挑発的な目で懐中時計を手に取る私の姿が写っていた。

 このキャンペーン、近年稀に見る大成功を収めたらしい。

 それ以後、ちょくちょくこの先生は私をモデルにとやって来て困らせるのだがそれは別の話。




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帝西百貨店

 元ネタは某百貨店グループ。

 この頃の物流業界は当たり前のように数千億単位で負債があるから困る。

 百貨店やスーパーやコンビニの他に牛丼屋なんかも持っていた。


DK銀行

 『金融腐蝕列島 呪縛』(高杉良 角川書店)の舞台となった銀行。

 映画でひな壇の人間が一斉に頭を下げるシーンは今でも覚えている。


桂華院家の家紋

 桂華グループの社章にもなっている。

 『月に星』をベースに、星の所が山桜になっているのが特徴。


先生と呼ばれるカメラマン

 ヌードを撮って話題になった写真家。

 性格はこっちで作ったから違うので注意。

 多分大きくなったら裸を撮らせろと言って派手に揉めるのが目に見える。

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