私の髪が金髪な訳 因果応報編 その2

 竹芝桟橋に到着後、用意していたリムジンに私は橘と共に乗り込む。

 リムジンの前後にベンツ二台ずつ。

 更にその外に覆面パトカーが待機している。


「大事になったわね。

 で、そちらの方はどなた?」


 リムジンに乗り込んできた私服警官が警察手帳を見せて自己紹介をする。

 実に笑顔が胡散臭い。


「警視庁公安部外事課の前藤正一と申します。

 今回の件について、お嬢様の警護の担当と状況の説明をさせて頂きます」


「あら。

 名が轟いている特高の方が係る事件ですか。

 私は一体何をしたのでしょうね?」


 敗戦において政府組織で壊滅的な打撃を受けたのが、陸海軍と共に官僚組織の頂点だった内務省である。

 戦後の省庁解体で内務省が解体され、警察組織が内閣府に移された時に名前を変えた組織の一つが特高こと特別高等警察で、今は公安部と名乗っている。

 なお、この内務省の解体で官僚組織に君臨したのが大蔵省である。


「お嬢様が何かした訳ではありませんが、世の中にはお嬢様が何かしたと考えている輩がいるみたいで。

 お嬢様が保有している、『ムーンライトファンド』が狙われています」


 前藤正一警部の説明だとアジア通貨危機の余波でロシア経済も思わしくないらしい。

 知っていたが。

 とはいえ、それとロシアが出てくるのがいまいち繋がらない。


「失礼ですが、お嬢様はご自身の生まれについては?」

「前藤警部」


 橘が窘めようとしたのを私が手で制する。

 そして前藤正一警部の目を見て口を開いた。


「私の両親が東側と繋がっていた過去については知っています。

 それを踏まえて、この件とどう繋がっているのかお教え頂きたい」


 小学生らしからぬ言い回しに前藤正一警部も少し驚いたらしい。

 作られた笑顔が消えて真顔になる。


「なるほど。

 公爵家ともなるとお嬢様の教育も優れたものなのでしょうな。

 分かりました。

 話せる手札は晒しましょう。

 お嬢様のお祖母様がロシア貴族の血が流れているのはご存知ですか?」


 私が頷くと前藤正一警部は一旦視線をそらせて、車窓を眺めつつ続きを口にした。


「北日本国の資料から掴んだ所では、お母様も元はかなり高位のロシア貴族だった事が分かっております。

 そして、お嬢様がある家の継承権を主張できる程度の血筋となった」


 あ。

 すげー嫌な想像が出てきた。

 これも一昔前のロマンス小説のお約束だったな。

 だから、それを口に出した。


「ロマノフ家のことですか。

 もしかしたら程度には聞いていましたが。

『ムーンライトファンド』の資金源がロマノフ家の財宝から出ているとロシアは考えている訳ですね」


 スイスのプライベートファンドには、万一に備えてロシア皇帝の隠し財産が今も眠っているという。

 その引き出されない隠し財産を元に、スイスは金融立国の地位を確立したなんて怪しげな話もあるぐらいだ。

 89年のベルリンから始まった東側崩壊の過程で私は日本で生まれた。

 なるほど。

 日本の技術をスパイするだけでなく、この怪しげな話に食いつくぐらいに当時のソ連は追い込まれていたという訳だ。


「ロシアに妙な動きが出始めたのは、酒田市のコンビナートの話が出てからです。

 あの土地は因縁がありますからな。

 注目していたら、このニュースだ。

 動くのは当然でしょう?」


「それにしては速くないですか?

 ニュースが出たのは今日ですよ?」


 私の素直な疑問に、前藤正一警部はその理由を教えてくれた。

 少なくとも、彼は私を子供扱いはしなかった。


「この手の話は、ニュースになった時点で、半分以上絵図面が出来上がっているんです。

 酒田市のコンビナートは、その場所から樺太かロシアの天然ガスか原油を使わないと採算が取れない。

 そこから、手繰られてお嬢様の名前にたどり着いた」


 前藤正一警部は楽しそうに笑う。

 それに気づいて慌てて口元を引き締めて、更に話を続けた。


「今のロシアは経済が悪化し政情不安も囁かれています。

 かの国にとって、貴女の身体に流れる血は特別な意味を持ちます。

 金銭目的なり、名を売る目的なり。

 まだ具体的な所までは分かりませんが、我々はそのあたりを考えています」


「お話は分かりました。

 その上で、私に何を期待しているのですか?」


 私の質問に前藤正一警部がにこりと微笑む。

 その微笑みに背筋が寒くなった。


「何も。

 お嬢様は守られるお方だ。

 それをご自覚していただけるならば、それ以上は大人の仕事です」


 前藤正一警部が意図的に隠した事に私も気付かないふりをした。

 そのろくでもない連中に、ロシア政府が手を貸している。

 もしくは、ロシア政府がこれを主導しているという可能性を。



「瑠奈。

 無事だったか」


 日比谷公園の見える桂華製薬本社ビルの重役室で私は仲麻呂お兄様に抱きしめられる。

 地味に強く抱きしめられて苦しい。


「仲麻呂お兄様。瑠奈は大丈夫ですから。

 安心なさってくださいな」


「ああ。

 すまなかったね。

 前藤警部もご苦労だった」


 仲麻呂お兄様のこの心配は私を心配しているのか、私に流れている血や金を心配しているのかどっちなのか分からない。

 とはいえ、そんな風に人間を見てゆくと疑心暗鬼の果てに壊れるのが目に見えている。

 子供らしく私を心配しているという事にしておこう。私の精神衛生的にも。

 仲麻呂お兄様から離れると、一条と藤堂の姿が見える。

 事態がこうなった以上、お兄様にはある程度の説明は必要だろう。

 という事で、橘、一条、藤堂の三人が仲麻呂お兄様と前藤正一警部に事情を説明する。


「ムーンライトファンドの運営は、日本及び米国のIT企業の株で運営しているのですが、その資金管理口座はスイスのプライベート・バンクに置かれていました。

 それが、ロシア帝国の財宝と結びついたのが、今回の一件の原因の一つです」


 一条の説明を補足するならばプライベート・バンクの信頼は伝統と同義語であり、信頼できるプライベート・バンクを選んだら必然的にロシア帝国が存在していた時の銀行にぶち当たったという訳だ。


「それがロシアの経済悪化と共に注目され始めた。

 ムーンライトファンドの開設そのものは探れば近年なのは分かりますが、経済悪化が建前を取り除いている感じがしています」


 総合商社という情報機関に居た藤堂がさらりと怖いことを言う。

 アジア通貨危機が進行中の中、その火はロシアにも飛び火していた。

 この時の成長はアジアが引っ張っており、その成長によって資源価格は高値圏を推移し、石油や天然ガスを輸出していたロシアはそれが経済の立て直しの中心になっていたのである。

 その成長エンジンであるアジアが通貨危機で打撃を受けたら、アジアの成長を見越して高値だった資源価格は暴落し、その輸出で国家経済を回しているロシアにも飛び火するという訳だ。

 すでにこの時点で経済は世界を繋げてしまい、何処で何が誘爆するかまだこの時代の人間はその意味を本当に理解しているとは言えなかった。


「ロシアは、経済の悪化で賃金の未払いが起きて、炭鉱労働者を中心にストライキが発生しているみたいですね」


 さらりという藤堂の一言に背筋が凍る。

 賃金未払いというのは会社で言う所の倒産寸前という奴だ。

 これが国家破綻まで行くから、経済危機は怖いしヤバい。


「何となく、背景が見えてきましたな。

 炭鉱の人足とかも裏社会が集めていた時代がある。

 こっちに悪さを仕掛けてきた連中は、そのあたりでしょうな」


 社会主義の総本山であったソ連は計画経済の結果、崩壊し、闇市を取り仕切っていたマフィア連中が新興財閥の一角として財を成していたなんて状況になっていた。

 ちょうどこの国の戦後の混乱が今のロシアで起こっていると言った方がいいだろう。

 なお、そんな怪しい連中から華族の公爵にクラスチェンジしたのが我が桂華院家。

 橘が懐かしそうに言うが、彼も戦後から経済成長に至るまで時代を生きてきた人物なのだ。

 人は目で見える現在を知るがゆえに、その人に記録されている過去までは中々見ることはしない。


「それにしても、大使館を巻き込むとはかなり大掛かりじゃないか」


 仲麻呂お兄様の言葉に藤堂が返事をする。

 その返事の意味を理解してしまうがゆえに、状況は思ったより深刻だった。


「それの意味する所は一つです。

 つまり、それぐらいの金をかけられる所が仕掛けてきている。

 そして、それぐらいの金を以ってしても、おそらくは金が足りない」


 沈黙が少しだけ場を制する。

 軽く咳払いをして、前藤正一警部が己の仕事を通告した。


「ご迷惑をかけると思いますが、しばらくは警護第5係がお嬢様のお側につく事をお許しください。

 我々公安部外事課は事件解決に向けて全力を尽くすことをお約束します」


 警護第5係が盾であり、外事課が矛という訳だ。

 で、全体指揮は外事課が担うと。

 私は口を挟まずにはいられなかった。


「ねぇ。

 何を以(も)って、事件解決とするのかしら?

 相手は大使館ナンバーを持ち出しているんでしょう?」


 公安の動きが早すぎる。

 つけられているという通報でロシア絡みの話がここまで出てきたという事は、かなり前からこの情報を掴んでいたという事だ。

 私がそんな事を考えているとは知らず、前藤正一警部は淡々と公安としてのこの件の終わりを提示する。


「一応お嬢様の周りをうろつく事が無いようにというのが我々の考える終わりです。

 そこから先は外交の仕事になりますからな」


 ドアが静かに開くと、一条の下に就ていた桂直之がメモを一条に渡す。

 それを見た、一条は表情を変えずに橘と藤堂の両者にもメモを見せる。


「お嬢様。

 よろしいでしょうか?」


 こういう場面で口を挟まない橘が、私にそのメモを渡す。

 私はそのメモを読んで凍りついた。

 起こることは知っていた。

 だが、このタイミングは悪すぎる。


「瑠奈。

 どうしたんだい?」


 私はそのメモを仲麻呂お兄様に渡すと、私と同じように顔色を変える。

 先程までの説明を聞いていたならば、このメモはロシア経済が爆発する導火線に火が付いた事を意味する。

 アジア金融危機の次にやってきたのがロシア金融危機だ。

 この金融危機は簡単に言うと、通貨を買い支える資金が用意できるかどうかにかかっている。

 『ムーンライトファンド』にはその資金となるハイテク企業の含み益が大量に眠っていた。

 それが分かっているからこそ、橘はこのメモを私達に渡してきたのだろう。


「そのメモは見せてもらっても?」


 前藤正一警部も興味を示し、仲麻呂お兄様はそのメモを渡す。

 私達の顔色を変えたそのメモにはこんな事が書かれていた。



『バンコク発

 タイ政府、変動相場制へ移行。

 通貨暴落他のアジア諸国に波及』 




────────────────────────────────


外事課

 日本の公安警察の中で、外国諜報機関の諜報活動・国際テロなどを捜査する課。

 敗戦後の介入が微妙だったせいで、スパイ防止法とかが生きていたり。


変動相場制

 通貨の価格が需要と供給によって上がり下がりするシステム

 この反対のシステムが固定相場制


アジア金融危機

 基本は固定相場制諸国通貨を売り浴びせ、変動通貨制に追い込む事で暴落した通貨を買い戻す事で差益を得る事が目的。

 タイ・インドネシア・マレーシア・韓国等がこの犠牲になったが、主役のヘッジファンドはこれに味をしめて次々に売り浴びせを狙うようになる。



2019/5/6 大規模加筆


2019/10/25

前藤警部の名前決定。

前藤正一

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