お嬢様飛翔 その3

『株価から見ると実質的に破綻しています』

 --97年3月 報道番組『日曜プロジェクト』 コメンテーターの一言より--


 北海道開拓銀行が破綻に向けてカウントダウンを進める中、私の資産は唸るほど増え続けていた。

 すでに1ドル120円を突破した時点で一旦ポジションを解消し利確に動いたのだが、極東銀行の不良債権を処理してもなお、同額の日本円が私の手元に残っている。

 その上で、ムーンライトファンドのドル資産にはまだ手を付けていない。


「証券会社を買うのは仕方ないわ。

 けど、不良債権を丸ごと抱え込んでの買収はお断りよ」


 私は橘と一条に指示を出す。

 この時点で、私は証券会社を買収する腹を固めていたが、それゆえにきちんとしたルールを作る必要があった。

 狙うのは、国内準大手証券会社で不良債権に苦しんでいる三海証券。

 市場から狙い打ちされながらも大蔵省が必死になって救済を模索していた。


「相手先の役員は全員退職させる。

 不正行為をしていた連中はちゃんと罪を背負わせる。

 飛ばしを含めた不良債権は全額切り離して整理回収機構に渡す。

 金融危機安定化の為に合併や買収時に日銀特融を受ける。

 この条件ならば、三海証券を買うと大蔵省に伝えて頂戴」


 規模は小さいが、大蔵省としては、その面子にかけて三海証券を救済をせざるを得ないのだ。

 三海証券は92年から赤字に転落し、94年から大蔵省証券局が主導して護送船団防衛の再建計画を推進しているのだが、未だに赤字を出し続けており、経営状態は一向に好転していない。

 計画を推進した大蔵省証券局は、その面子を守るためにもこの条件を飲むだろうと私は読み、それは見事に的中した。

 後に『桂華ルール』と呼ばれる一連の不良債権処理の指針は、三海証券救済という前例があったからこそ、大蔵省に受け入れられたのだ。

 大蔵省証券局がこのルールの受け入れを決めたのは、6月の事だった。



『極東銀行三海証券を買収!

 山形県酒田市に本社を置く極東銀行は、東京都に本社を置く準大手証券の三海証券の買収を発表した。

 買収金額は400億円と見込まれており、三海証券側の役員は全員責任を取り辞職することとなる。

 不良債権を大量に抱えていた三海証券はこの買収の前に、傘下の子会社で同じく不良債権を抱える三海ファイナンスに会社更生法を申請した。

 他の不良債権も全て時価で整理回収機構に売却し、その損失を計上する見込みである。

 極東銀行はこれに対し、減資によって株主責任を取らせた上で、債務超過分を出資し補填する予定とのことだ。

 また、この措置を実施したとしても、なお自己資本比率の低さがネックとなるため、金融安定化の為に日銀特融で補うとしている』



 袋小路に追い込まれる前に三海証券を助け出した事は、三海証券・北海道開拓銀行・一山証券と続く、悪夢の連鎖破綻のトリガーを外した事を意味する。

 連鎖しなければ、個別に爆弾処理は行える。

 この時はそう思っていたのだ。



「助けてください。お嬢様」


 7月。

 北海道開拓銀行と、道内大手地銀との合併交渉が破局したという報道が流れた、その翌日のこと。

 今、私の前で見事な土下座をしている彼がやってきた。

 桂直之。

 うちのメイドの桂直美さんの息子さんである。

 その直美さんも私の隣で、何がどうなっているのか分からず、おろおろとするばかり。


「いきなり助けてくれって言われても、こちらもはいと言えないじゃない。

 せめて、何がどうなっているのか説明して頂戴な」


 まだ三十路という彼の顔は痩せこけ、窶れていた。

 ろくに眠れていないのか、目の周りには濃いクマまでできている。

 過酷な業務に心身ともに疲れ果てているのだろう。


「私が勤めている北海道開拓銀行についてはニュースである程度ご存知かと思いますが、今、うちの銀行は預金流出に苦しんでおります。

 どうかお嬢様の資金の幾らかを北海道開拓銀行に預けて頂けないでしょうか?」


 今年の春に実質的に破綻しているとTVで名指しされてから、北海道開拓銀行は大量の預金流出に苦しんでいた。

 その為、ありとあらゆるコネを総動員して、北海道開拓銀行の行員は預金確保に走っていたのである。

 コネを嫌って北海道開拓銀行に入行した彼が、そのコネに縋って私に土下座するという社会の理不尽を、私はまざまざと見せつけられていた。


「お嬢様……」


 主である私と、土下座する息子を見る直美さんの目には、涙が浮かんでいる。

 親を泣かせてまで資金集めに奔走する彼の姿を見て、私の過去の記憶に火が灯った。

 長い長い不況に入り、義理人情も全て金と自己責任という言葉の下に押し流された弱者の私は、最後には何も縋るものも無く、一人寂しくこの世を去ったのだという事を。

 その記憶を思い出した時、最初に湧いた感情は怒りだった。

 己をそんな末路に追い込んだ社会に対する怒りではなく、努力をしても報われない社会を生んだ時代というものに対する怒りだった。

 私は悪役令嬢だ。

 少なくともこの生ではそういう設定の元で、私は悪役令嬢に成るように人生を歩いているはずである。

 その役割については、実は納得している私が居た。

 いずれ出てくる主人公に悪役令嬢である私は負けて破滅する。

 それはある意味、当然のお約束であり、美しい物語である。

 派手に華麗に負けるのであるならば、その役割を受け入れてもいいと思っていたのだ。


 だが、この眼の前の光景は何だ?


 時代という大波に飲まれた多くの人間が、前世の私の姿が、今、目の前にあるではないか。

 こんなものを見たくて私は悪役令嬢なんて役を引き受けたつもりはない。

 私が負けるのは主人公だけだ!

 時代なんてどうしようもないものに負けたくはない!


「……橘と一条を呼んで頂戴。

 とりあえず1億。

 それでいいかしら?」


「ありがとうございます!

 お嬢様!

 ありがとうこざいます!!」


 桂親子は泣きながら私の手を取って感謝していた。

 今の私は、二人を救う事ができる。

 いや、起こる波を知っていたから、更に金は稼ぐことができる。

 救うことができる。

 北海道開拓銀行を。

 一山証券を……



 ……日本経済を、かつての私達を救うことができる。



 ため息をついて軽く首を振った。

 それをしなくても私は悪役令嬢として、破滅するまでは裕福に過ごせるだろう。

 それぐらいの基盤は既に築いている。

 だが、それを再度全部賭ける事ができるならば、もしかして日本経済を救う事ができるかもしれない。


「お嬢様。

 お呼びとの事ですが何か?」


 桂親子を下がらせてから小一時間ほどして一条が到着し、橘と一緒にやって来る。

 直美さんからある程度聞いているだろう二人が絶句する一言を、私は淡々と告げた。


「北海道開拓銀行を買収するわ」



────────────────────────────────


ポイント

 三洋証券の破綻は97年11月3日。

 この話で三海証券が買収されたのが97年6月。


 拓銀が地銀大手の北海道銀行との正式な合併破局が9月。

 もっとも、最初からスタンスがずれていて、「これ無理」となったのが7月だったりする。

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