お嬢様飛翔 その1

 極東銀行東京支店支店長室。

 ITバブルの波に乗り、叩き出された収益報告に、私は当然と思いながらも目を剥いた。

 想像は付いていたものの実際に耳にすると、なにそれという金額だったからだ。


「米国ブラウザ企業の上場で、ムーンライトファンドには1億ドルの含み益が発生しました。

 また、同時期のIT企業に出資及び株式の購入に伴ってやはり1億ドル近い収益を確保しています。

 それと、外貨為替取引での収益がこちらです」


 一条の報告に私は表面上は落ち着いたふりをするが体は震えていた。

 米国で眠らせているお金がこの時点で2億ドル。

 ここまで利益が膨れ上がったのも、知識として知ってはいたが、時代の大波のおかげである。

 1ドル80円を切ったあたりでドルに変換し、出資したIT関連企業は数百倍のリターンとなり、外貨為替取引でのリターンは1ドル100円を回復した今では500億円に膨れ上がっていた。


「で、極東銀行東京支店としてお嬢様に全力で乗らせていただいたのですが、そちらの収益は500億円になります」


 IT企業株という担保を元に、極東生命を巻き込んでジャパンプレミアムもなんのそので金を借りまくっての外為勝負。

 そのあまりに華麗な大当たりに、関係者は『極東のヘッジファンドマネージャー』や『日銀を助けた男』なんて名前をつけて、一条の事を評価しだしていた。

 バブル崩壊でどこもかしこも青息吐息の銀行業界で、これほどの高収益を叩き出した例は他にない。

 時代に乗るとここまで金は積み上がる。

 それを私は思い知った。


「一条はこれで上に上がれそうね。

 更に色々悪巧みに付き合ってもらうから」


「喜んで良いのやら悲しんで良いのやら」


 そこまで言って、一条の目が鋭くなる。

 このあたり彼がトレーダーではなく、バンカーなのだとふと思った。


「不良債権処理。

 やっていいんですね?」


「もちろんよ。

 あぶく銭だからこそ、泡として使っちゃいましょう♪」


 桂華グループに取り込まれている旧極東系グループ企業は、極東銀行をはじめとして極東土地開発に極東ホテル、そして極東生命の四社。

 極東ホテルの建設費用を極東土地開発が出資し、極東土地開発の土地取得費用を極東銀行が融資していたために、バブル崩壊に伴って三社にまたがる巨額の不良債権が発生していた。

 さらに極東銀行の子会社だった極東生命は、資産運用先と保有株に極東銀行があったために、不良債権処理に苦しむ極東銀行の含み損をもろに被って経営が悪化しているという関係である。

 極東グループが桂華グループ入りした事で、これらの取引に桂華グループの債務保証が付いていた。

 つまり、極東グループの不良債権の根本は極東土地開発にある。


「極東土地開発の会社更生法申請。

 いいですね?」

「かわりに、こっちは極東ホテルを買収するわ。

 高値で」


 不良債権処理の仕組みはこうだ。

 まず極東土地開発が保有している極東ホテルをムーンライトファンドが300億円で買収する。

 既に極東銀行管理下に置かれている極東土地開発だが、これで返さないといけない所の金を返済した上で、会社更生法を申請し精算する。

 この結果、負債総額は150億円ぐらいに目減りするのだが、それについては極東銀行が負担し、東京支店の叩き出した収益で帳消しにする。

 そして、ムーンライトファンドは残った資金200億を使って極東銀行に出資しつつ、極東生命の保有している極東銀行株を買収し、株主として一条のサポートをする。


「橘」


 私が橘の名前を呼ぶと、控えていた橘が静かに頭を下げた。

 私が表立って動けないので、実際に動くのは橘や一条の仕事である。


「はい。

 関係各所には根回しは既に済んでおります。

 不良債権処理ですから、誰も泥は被りたがりませんよ。

 お嬢様以外には」


 親の不始末を子の執事が処理する構図だから、誰もがそこから先を突っ込まない。

 まだ私は橘と一条の影に隠れることができた。




『山形県酒田市に本社を置く極東土地開発は今日、山形地裁に会社更生法を申請し事実上倒産した。

 負債総額は150億円。

 極東土地開発は極東ホテルの親会社としてバブル期に事業を拡大させ、バブル崩壊時の地価下落に伴って巨額の不良債権に苦しんでいた。

 申請前に極東ホテルはムーンライトファンドという米国ファンドに300億円で買収されており、残った負債は全て極東銀行の融資で処理された。

 極東銀行は150億円の特損を計上することになるが、収益予想に変化はないとコメント……』


『山形県酒田市に本拠を置く極東銀行は桂華院家の出資を受け入れる事を決定した。

 極東生命が保有する極東銀行株の取得だけでなく、極東銀行本体へも第三者割当増資を受け入れる事で保有比率は33%になる予定だ。

 第二地銀の極東銀行は不良債権処理に苦しんでおり、一番の問題だった極東土地開発の会社更生法申請でその処理を終わらせたばかり。

 桂華グループを率いる桂華院家が傘下企業の不良債権処理の責任を取った形となり、地元経済界は極東銀行の不良債権処理が片付くことに歓迎の意を示している』




 でん!

 家の居間のテーブルの上にどんと置かれたものを私はただじっと見る。

 わざわざ一条に頼んで警備員付きで持ってきたそれを眺めていた私に、グレープジュースとケーキを持ってきたメイド長の佳子さんが呆れ声を出す。


「まだ見ていたんですか?

 お嬢様?」


「お金の魔力ってのを味わっている所。

 一緒に見る?」


「結構です」


 そこに置かれていたのはビニールできちんと梱包された一億円。

 日本銀行から運ばれてきたそれを極東銀行東京支店が受け取り、預金引き出しという形でこの屋敷に持ってきてもらったのだ。

 そのため、万一に備えた警備員は部屋の隅で一億円を眺める幼女というシュール極まりない図を眺め続けることに。

 幼女の仮面は既にとっている。


「これで下手したら一人の人生が買えるわよ。

 それを思い知っている所」


「私はそこそこ贅沢をさせてもらえましたからね。

 今は、慎ましくお嬢様を見守るだけで十分ですわ」


 そのそこそこの贅沢というのは、佳子さんがお祖父様の寵愛を受けていた時の事だろう。

 当時、銀座で名を馳せていた佳子さんはお祖父様の力で自分の店を持つこともできたらしいから、そこそこどころではない贅沢をこの人は味わったのだろう。

 なお、膨れ上がったあぶく銭の最初の使い道が、佳子さんの娘さんらしい時任亜紀さんの大学費用の工面だった。

 大喜びの亜紀さんを見ていた佳子さんの目に涙が光ったのを私は見逃さなかった。

 経済基盤は既に確保した。

 このままでもうらぶれた旧家のお屋敷という箱庭は、私が成長するまでちゃんと機能し続けるだろう。


「無理に大人にならなくていいんですよ。

 お嬢様」


 グレープジュースとケーキを置きながら、佳子さんは諭すように私に言う。

 私の豹変をあらあらで片付けたこの人は強い。


「橘さんや私がお嬢様が大きくなるまでお仕えしますから、お嬢様はお嬢様らしくゆっくりと美しいレディーになってくださいませ」


「……うん」


 自然とこくりと頷いた私が居た。

 そんな私を見て、佳子さんは嬉しそうに微笑む。

 多分、ここで終わっていたら良かったのだろう。

 だが、歴史は、勝者をさらなる高みへ押し上げる事を好む。

 その勝者が最後に破滅するまで。


「お嬢様。

 極東銀行の一条支店長がお見えになっていますよ」


 桂直美さんの声に私は首をかしげた。

 ん?

 この一億を受け取りに来たのかしら?

 警備員の方を見ると、知らないらしく首を横に振った。


「まぁいいわ。

 お通しして。

 直美さんにはお茶菓子を用意してと頼んでおいて頂戴な」


 佳子さんに頼んで、一条を通す。

 一条はテーブルの一億にも目もくれず、私の方を見て言い切った。


「うちのMOF担からの緊急報告です。

 『大蔵省がうちの不良債権処理に目を付けた』と。

 場合によっては、介入してくる可能性もあるそうです」


 え?

 何で大蔵省がうちに絡んでくるの?



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ジャパンプレミアム

 不良債権に苦しむ日本の銀行にお金を貸す祭につけられたプレミアムの事。

 『危ないから、利子高くするね』と言っている訳で、市場は実にシビアである。


外貨為替取引

 FX。

 95年時に一ドル80円を切っていたからこそできた超大裏技。


MOF担

 『対大蔵省折衝担当者』の俗称である。

 ノーパンしゃぶしゃぶ事件で叩かれたが、今でもFSA担(金融庁折衝担当者)として存続している。

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