幸せは、逃げてない

うた

幸せは、逃げてない

「あ~、しんどい……」


 高校の保健室で一人、ベッドに横たわりながら呟いた。昨日、夜遅くまで勉強したのがまずかった。春らしく暖かい気候だと思っても、夜はまだ寒い。さっさと暖房器具を片付けてしまったので、寒い部屋の中にいて、体が冷えてしまったのだ。

 熱はそんなに高くないのだが、体の節々が痛い。保健の先生は、これから熱が上がって来るかもしれないと言っていた。先生は今、私の担任に、私が早退する話をしに行ってくれている。


 キーンコーン……。


 予鈴が鳴った。今日は数学のテストがあったのだ。それも終ってしまった。ちなみに、担任が数学担当だ。ぼんやりと学校中に響く電子音を聞いていると、頭が痛くなる。


「準備万端にしてたのになぁ。はぁ」


 ため息が一つ出た。幸せが一個、逃げちゃったなぁ。難しい所だったからしっかり勉強しないと、と思っていたのに。結局、体調不良で受けられず。これはこれで悔しいぞ。


 じわり。なんか悔しすぎて、涙が出て来た。



「あれ、せんせーいない?」



 ガラッと扉が開き、誰かが入って来た。声からして男子生徒だ。元気な声なので、ケガか、仮病によるサボりか。さして気にする事もないだろう。私が寝ているベッドの周りはカーテンを閉めてるから、病人が寝てると分かれば、きっとすぐ出て行くだろうし。


 ジャッ!


「お、石山さん、みーっけ」

「はぁ!?」

 いきなりカーテンを開けるという無礼な行為に、私の名前を呼ばれた。驚いて声の主を見れば、同じクラスの男子。

久家くげくん……」

 彼は久家春樹。普段は物静かだが、友達と楽しく話しているのを見た事がある。確か、野球部に所属してたっけ。短い黒髪がスポーツマンらしくて、放つオーラがなんだか眩しい。

「しんどそうに教室出て行ったろ? 熱あんの? え、泣いてる?」

「ちがっ……! 体はしんどいけど、これは関係ない」

 目の端に涙が溜まっていたのを見た彼は、驚いた表情をしていた。恥ずかしくて、彼に顔が見えないよう、布団の中で体を回転させる。すると、後ろの方で、ぎしっと音がした。そっと様子を見てみれば、久家くんは隣のベッドに腰かけている。


「大丈夫?」


 私の目に映った彼は、心配そうに眉を寄せ、優しい声だった。久家くんは、ただのクラスメイト。そんなに話した事もないし、仲良くもないのに、なんで?


「あ、えっと……。薬を飲めば、治ります」

「泣いてたの、大丈夫?」

 風邪の事ではなく、涙の訳が気になったようだった。

「今日のテスト……。昨日の夜、勉強頑張ったの。でも、体が冷えちゃって、風邪引いて……。自信あったのに、受けられなくて、悔しいなって……」


 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。こんな事を話すなんて、恥ずかしすぎる。真面目に勉強するなんて、って笑われるかな。勉強して風邪引くなんてバカだなって、言われるかも。


「そっか。残念だったな」


 ん? 思ってた反応と違う。


「笑わないの?」

「なんで? むしろ、勉強をちゃんとしてるなんて、えらいと思った。風邪を引いたのは、まぁ、しょうがないよな。昨日は確かに寒かった」

 腕を組んで、うんうんと頷く。

「あんまり気にすんなよ。テストなんて、またあるんだから」

「久家くんは、さっきのテスト、どうだったの?」

「聞くな。返ってくんのが怖ぇよ」

 眉間に皺を寄せて、やだやだ、と首を横に振る。その仕草がおかしくて、つい笑ってしまった。

「ふふ」

「!」

 久家くんの動きが止まった。少し、驚いた表情をしている。笑ったの、まずかったかな。少し不安になった。

「あの、そう言えば、何でここに? 久家くんも体調不良?」

「えっ、いや、俺は元気だけど」


「ん? 久家までいるのか?」

「あらぁ。彼女が心配で、様子見に来たの?」


「!!」

「先生」

 担任と保健の先生が二人そろって入って来た。

「石山、大丈夫か? とりあえず、今日は帰って寝ろ。家には連絡してあるから。今日のテストは、元気になったら受ければいいからな」

「はい」

 むくりと起き上がる。やっぱり、まだ節々が痛い。喉もイガイガする。

「久家、答案の丸付けが楽しみだ」

「せんせー、ちょっとおまけしてよ」

「それは答えを見てからだな」

「うわぁ~」

 担任と久家くんのやりとりに、つい笑みがこぼれてしまう。しんどいけど、気持ちは少し元気になれた。

「石山さん、彼氏が心配して来てくれるなんて、嬉しいわね♪」


「かっ!?」

「ち、ちがうって!!」


 保健の先生の爆弾発言で、私と久家くんの顔が真っ赤に染まる。私、熱が出て来たのかな。顔だけじゃなくて、体も熱くなってきた。久家くんも否定してるけど、けっこう赤い。

「ほぅ、青春だなぁ」

「青春ですねぇ」

 二人の大人がほっこりしている。どうしてこうなった? 私、風邪でここにいただけですよね!?


 でも、心臓の鼓動が速い。痛いくらい高鳴って、ドキドキしてる。風邪のせいでは、ないみたい……。


 久家くんをちらりと見る。ばっちり目が合ってしまった。


「教室まで一緒に戻ればいいんでしょ。石山さん、行こう」

「は、はい」

 何故か敬語になってしまった。

「じゃあ、先生、失礼します」

「お大事に」

 先生二人の視線を背中に感じながら、保健室を出て久家くんの後ろを着いて歩いて行った。




「石山さん」

「はいっ」

 廊下で話しかけられた。久家くんが振り向く。彼は身長が高いので、私の視線は上を向いた。

「数学……今度、教えてくれる?」

「え、あ……うん。良いよ」



 やったね、と嬉しそうに笑う彼から目が離せなくなった。

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