第壱章

最終試験

 試験開始前、金刀比羅ことひら虎徹こてつ控室。


「あなた、好き勝手言ってくれましたわね」


 十二天将白虎として、初めての試合。

 殺してはなりませんよと言われてしまったので、それ相応の準備をしようと思っていたのだが、ノックも無しに入って来た訓練生主席。

 彼女を追って護衛騎士までやって来て、とても精神統一出来る状況ではない。


「殺しても構わないか、ですって? この私、レッドサファイア王室第二王女、アルベルティーヌ・ブオナパルテを軽く見過ぎなのではなくて? あなたも相当な手練れと聞いていますが、私は祓魔師協会マキナの歴代主席訓練生の中でもトップの成績。そう易々と殺せると――基、勝てると思わない事ですわ」

「……」

「史上最年少の十二天将に任命されて、随分と鼻が高いことでしょう。しかし、今からにでも称号は剥奪されるのですよ? 例えば、私に負けるとかね。でも、そうならないいい方法を教えましょうか」


 俯く虎徹の顎を持ち上げ、顔を近付かせる。

 呼吸と呼吸が混ざり合う程近くまでよって、口付けするかと思わせておいたアルベルティーヌは、虎徹の数少ない剥き出しの肌である耳へと、唇を近付けた。


「私の物になりなさい。勝っても負けても絶対服従。私のために尽くす奴隷マウスとなるのなら、私の権力であなたの――」

「逆だ」

「……はい?」

「俺が負ける確率より、おまえが負ける確率の方が高い。おまえが負ければ、レッドサファイアの数ある王家、延いては元フランス王家の顔に泥を塗る。そうならぬよう、おまえは俺を懐柔しなければならない。故に、おまえの取引は逆だ。そも、取引ですらない」


 今度は虎徹の方から、耳に唇を近付ける。

 アルベルティーヌは息を吹き込まれた耳を押さえながら赤面。一歩引いて、悔しそうに歯噛みしながら虎徹を見下ろす。


「懐柔するのではなく、へつらうべきだ。俺に二度と介入して来ないと約束するのなら、おまえが被る泥、俺が被っても構わない」

「っ……! 王族の! 第二王女たる私が! 一介の陰陽師程度に媚び諂えと?!」


 陰陽師差別。

 彼女だけでなく、祓魔師エクソシストには陰陽師を下に見る物が多い。

 しかし逆に、祓魔師エクソシストを下に見る陰陽師もいる。

 陰陽師と祓魔師エクソシスト。二つの組織は対等な関係の上で合併したものの、陰でどちらが上かハッキリしたいと言う者は少なくないのだ。

 彼女もまた王族であるプライドと同じくらいに、祓魔師エクソシストとして大きなプライドを持っているらしい。


「ふざけるのも大概になさい! そもそもが、こうして私とあなたが対等に話せている現状こそが、異常! 王女と言葉を交わせる事に喜び、王女の願望を叶えられる事に喜びを感じて――」

「わかった」


 ベンチでずっと座っていた虎徹が、このとき初めて立った。

 その時の事をアルベルティーヌは、隣で二人のやり取りを見ていた護衛騎士は記憶に刻む事になる。

 相対した彼との大きさを。単なる背の高さではない、彼女と彼の存在のを。


「アルベルティーヌ・ブオナパルテ。おまえの口からは戯言しか出て来ない。聞いていても何も得られない。試験会場で会おう」

「待って! 待ちなさい! あなた、下僕でも王族の一員として迎えられる事がどれほど名誉な事か、わかって――」


 一切無視。

 振り返る事無く、控室から聞こえて来る雑音も雑言も無視して、虎徹は先に会場へと向かって行った。


  ★  ★  ★  ★  ★


 仮想対戦訓練場。

 魔性との戦いを想定した仮想対戦シミュレーションが行なえる、施設の一つ。本日はここが、虎徹の最終試験会場となる。


「んん? おやおやおや、これはこれは、珍しい事もあるものですね。道満どうまん先輩が私より先に来ているだなんて」

 陰陽師連合デウス二枚看板、安倍あべの晴明せいめい。本名、芦田あしだ未来みらい


「先に来ていると、何かマズい事でも?」

 陰陽師連合デウス二枚看板、蘆屋あしや道満どうまん。本名、杉崎すぎさき佳子かこ


 陰陽師連合デウスの陰陽師全てを統括する二大巨頭。

 歴史上最高とされる陰と陽の術師の名前を与えられた、当世の大陰陽師だ。


「いやいや、マズいも何もないですけど、先輩いつも私より後に来るでしょう? 珍しいなぁって純粋に思っただけですよ」

「史上最年少の十二天将だ。祓魔師協会むこう十二星将じゅうにせいしょうに張り合えるだけの実力でなくては困るからね」

「そんな意地悪言って、本当は虎徹くんが心配なだけ――はい嘘ですわかってます。陰陽師のトップとして心配なんですよね先輩優しいですもんねはい」

「……ふん」


 まだ明かりも点いていない会場に、一人、先に入る。

 時間まであと一時間近くあったが、彼はそういう人間である事を道満は知っていた。何せ連合が、彼を


 聴覚と触覚以外の感覚器官を除去。胃の九割摘出。脳の電気信号を弄り、生殖器を切除した。

 結果、彼は過敏に発達を遂げた聴覚と触覚を手に入れ、食事も睡眠もほとんど必要とせず、食欲にも睡眠欲にも性欲にも翻弄されない。

 ただ戦うためだけに生きる兵器となった。


 悦もなければ楽もない。

 ただ戦い、ただ殺し、ただ殲滅するだけの人間兵器。

 古くより禁忌とされて来た生物兵器が、近代科学と医学の両立によって完成した。完成してしまった。

 ならばせめてもの責任として、最後まで彼を――


「彼を陰陽師として鍛えたのは、私だ。彼を人間でなくしてしまったのは、私達の落ち度だ。気に掛けるのは当然の事だよ……そうは、思わないのかい? 晴明」

「仰る通りですね! えぇもうはい! だからその……殺意ドーマン切るの、やめて貰っていいですか?! 死んじゃう! 先輩がやったら、私確実に死んじゃうから!」

「……そうだな。すまなかった」


 向かいの席に祓魔師協会マキナの関係者も着いたようだ。


 祓魔師協会マキナは三人の統治者から成っている組織だが、今日は一人だけ。しかも代役を立てている。

 そこから察するに、今年の訓練生の中には主席を含め、満足のいく成績で卒業した者はいなかったようだ。

 あくまで見るのは虎徹の実力。試験相手の王女様には、さほど期待していないらしい。


「金刀比羅虎徹!!!」


 王女らしからぬ声を荒げて入場したアルベルティーヌは、既に槍を抜いていた。

 力の練り上げも万全。装備も十全。戦いの最中で整えるはずの物を全て揃えて、彼女は光もまだ点灯していない会場に踏み入って来た。


 完全なる違反行為。これには協会も、失望した様子で吐息している。


「私を侮辱したおまえを、私は絶対許さない!!!」

「おい、早く照明点けろ!」

「は、はい!」


(馬鹿が! 急に明暗が反転すれば、視界が混乱するだろうが!)


 晴明の思い通り、そして王女の思惑通り、照明が一斉に照らす会場は一瞬、眩い白い光沢に包まれて何も見えなくなる。

 その一瞬こそ、目を瞑りながら入場して来た王女の狙いであった。


「後悔して逝きなさい! エィメン!!!」


 風を切って振り被られた槍が、振り下ろされる。

 頭からつま先まで両断せんと振り下ろされた槍の切っ先は空を切って、宙を舞って、虎徹の後背のずっと奥の壁にぶつかって、落ちた。


 何が起きたのかわからなかった王女は、恐る恐る顔を上げる。

 視界にまず飛び込んで来たのは、先端が両断された槍。次にあらぬ方向へと吹き飛んでいる槍の切っ先。そして、人差し指と中指を立てた手を高々と掲げる、虎徹の姿。


(アルベルティーヌ王女。貴女の策は、規律もルールもない本来の戦場において最適の一手だった。しかし、彼には通用しない。彼はそもそも、君を見る目がないのだから)


 大きく振り下ろされる手。

 真っ直ぐに縦一閃を描く指の軌跡に沿って、繰り出された力が王女の体を吹き飛ばし、纏っていた力も衣服も全て縦に両断。体の表皮を剥き、血飛沫を弾く。

 背中から倒れた王女は数度痙攣すると、そのまま死んだように気絶して動かなかった。


「……どうします? やり直します?」

「本人は不要だと吐き捨てるだろう。私も、同意見だ……金刀比羅虎徹」


 階層を一つ挟んだ距離で囁かれても、虎徹の耳には充分に届く。

 道満を見上げた虎徹は軍人のように両足の踵を合わせ、姿勢を正して命令を待つ。


「これにて君を、十二天将、白虎として正式に任命する。これより先の任務は、今までと比較にならない程過酷な物となるだろうけれど、君は決して臆してはならない。怯んではならない。踵を返す事を許されない。その事を胸に、強く刻み給え」

「謹んで、拝命致します」

「……いつか君の牙が、恐怖の大王へと届かん事を」


 十二天将、白虎、金刀比羅虎徹。就任。

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