032 イフリートの反撃
――ずどおおぉーーんっ!
重々しく、何かが崩れ落ちる音によって、周りは我に返る。視線を向けた先には、盛大な砂煙とともに、とある家の壁が崩れ落ちていた。
「ああぁーーっ! 俺の家があぁーっ!」
村人の男性が頭を抱えて崩れ落ちる。友達らしき他の男性たちに慰められるも、そのダメージは大きかったらしく、立ち直るには時間がかかるようだった。
その一方で――
「キサマ……」
吹き飛ばされたニコラスが、砂煙の中からゆらりと揺れながら姿を見せる。顔の半分が腫れ上がり、盛大に鼻血を吹き出させているが、それを拭うなどの気にする素振りは全く見せていない。
そんなことすらどうでもいいと言わんばかりに、イフリートを睨みつけた。
「主人であるこの僕によくも……仕置きが必要みたいだなぁっ!」
腰に携える長剣を抜き取り、ニコラスはイフリートに勢いよく切りかかる。しかしイフリートは、それを自身の硬い爪で難なく受け止めてしまう。
「なっ……」
まさか防御されるとは思わなかったらしく、ニコラスの表情は驚きに満ちる。
同時にそれは、致命的な隙となり――
「ぐわぁっ!」
大きな手と硬い爪が勢いよく振られ、ニコラスごと剣がはじかれた。
刃がクルクルと回りながら飛び、やがて地面にサクッと綺麗に突き刺さる。そしてニコラスは、砂煙とともに地面を転がっていく。やがて停止した彼の顔は泥だらけに加えて、鼻血の残骸があちこちに飛び散り、なんとも見るに堪えない汚れ切った姿と化してしまっていた。
おまけにその衝撃が効いたらしく、ニコラスはうめき声とともに悶えるばかりで、立ち上がることもままならない。
「ニコラスさん! テメェ、この獣ヤローが――ひぃっ!」
「あ……ああ……っ!」
剣士の男が加勢しようとした瞬間、イフリートに鋭い目で睨まれ、あっという間に恐れをなしてしまう。魔導師の女も同じくであった。
一方のマーガレットは、イフリートの視線から完全に外れている状態だった。
動くに動けず、静観することしかできない。そんなもどかしい気持ちに駆られていたその時――ウォルターの元に、双子たちが出てくる姿が見えた。
「パパ!」
「おとーさんっ!」
そう叫びながら双子たちは、笑顔でウォルターに抱き着いた。
「よしよし、よくやったぞお前たち! 流石は俺の子だ!」
ウォルターが笑顔で、アニーとノアを褒め称える。それと同時に、マーガレットの表情がピシッと硬直してしまった。
(え、なに? 今、確かに『俺の子』って……それにあの子たちも……えぇっ?)
意味が分からなかった。何かの間違いではないかと思ったが、それにしては互いに動きも反応も自然過ぎる。
これは一体どういうことなのか。
自分の知らない間に、彼は誰かと結婚し、子を成していたとでもいうのか。
そんな考えがマーガレットの頭の中を駆け巡る中――
「――我を助けてくれたのは、そなたたちだな?」
重々しい声が聞こえてきた。明らかに人間のそれとは違う声に周囲は驚く。
「おかげで我は悪い魔力から解放された。感謝するぞ」
「良かったー。精霊さんが助かって」
その言葉に対して、アニーが笑顔でイフリートを見上げる。それが何を意味しているのか、ウォルターは嫌でも理解せざるを得なかった。
「イフリート……喋れたんだな」
「無論だ。我にとってヒトの言葉を話すなど、造作もないことよ」
表情の変化はあまり読み取れないが、その口調からして、イフリートは少しだけ笑っているように聞こえた。
「我はずっと、悪い魔力によって操られていた。しかしそなたの子たちが、それを根こそぎ取り除いてくれたのだ。娘は浄化の魔法が使えるのだな」
「まぁね」
ウォルターは改めて、隣でニコニコとイフリートを見上げる双子たちを見下ろす。
(アルファーディから話には聞いていたけど……やっぱ凄いもんだな)
そして同時に思う。果たして二人の全てはこれだけなのか、と。
まだまだ自分の――それどころか、この子たちでさえ知らない『何か』を、二人は秘めている。そんな気がしてならなかった。
しかし、それならそれで、別に不思議でも何でもないとウォルターは思った。
子供の可能性は無限に満ち溢れている。二人に違う事情があったとしても、そこは変わらなかっただろうと。
ウォルターが思わず、しみじみとそう考えていたところに――
「てて……くそっ!」
ニコラスが鼻血を拭き取りながら、ゆっくりと立ち上がった。
「しもべのくせに、よくも勇者であるこの僕を――貴様!」
イフリートの前に立つウォルターを見つけ、ニコラスはギロリと睨む。
「貴様が来てから全てがおかしくなった。イフリートがおかしくなったのも、貴様が何かしでかしたからだろう? その傍らにいる子供も、実に怪しい」
「別にどう捉えてくれても構わないが――」
ウォルターはアニーやノアを守るようにして、ニコラスの前に出る。
「俺の大切な子たちには、指一本触れさせないぞ!」
その瞬間、マーガレットの表情が強張った。イフリートの影でニコラスには見えていなかったのは、幸いと言えるだろう。
一方、ウォルターの言葉に対し、ニコラスはニヤリと笑みを浮かべた。
「ほう? そのチビどもは、貴様の子だったというのか」
「それが何か?」
「フッ、簡単な話だ。貴様ら親子を、僕の剣のサビとしてくれる。勇者であるこの僕に恥をかかせた。その罰はしっかり受けてもらうぞ!」
改めて長剣を構えるニコラス。それに対してウォルターは、臆することなく双子たちの前に立ち、堂々と相手を見据えていた。
すると――
「ふむ。若いなりに、父としての務めを果たそうとするか……見事だ」
再び重々しい声が響き渡る。同時に大きな影が、ウォルターたち三人を包み込み、地面が揺れるほどの足音がずしんと鳴る。
その巨体の視線は、ニコラスたちにまっすぐ向けられていた。
「そちらが来るというなら、我が相手になろう」
「何?」
「助けてくれた恩は返さねばならん。貴様らに散々弄ばれた礼もしたいからな」
「ぐっ……」
ギラリと鋭い目で見降ろされ、ニコラスは思わずたじろぐ。他の仲間二人もまた、完全に腰が引けており、とても戦える状態ではない。
「ニコラス様!」
その瞬間、凛とした声が響き渡る。同時にマーガレットが飛び出してきた。
「イフリートはもう、私たちに従うことはありません。ここは大人しく引き下がるべきです!」
マーガレットはニコラスを見据えながら、そう言い切った。それまでずっと目を逸らして黙っていた彼女とは、まるで別人のようだ。
ザカリーやドーラも、そして長老も、ウォルターでさえも驚く中、二人は数秒ほど睨み合う。
「――あぁもう、止めだ止め!」
やがてニコラスは、興ざめしたかのように剣を収めた。
「よくよく考えてみれば、別にイフリートがいなくとも魔王は倒せる。勇者であるこの僕と、聖女であるマーガレットがいれば楽勝だ。こんなシケた村なんぞにもう用も興味もない。さっさと王都へ戻って、魔王討伐の準備を立て直すぞ!」
ニコラスはそう言いながら歩き出す。挨拶一つすらせず、村を去ろうとした。
「お、おい! 待ってくれよ、ニコラスさんっ!」
「そんなに急がなくても……ちょっ、待ってくださいってば!」
剣士の男と魔導師の女も、慌てて彼の後を追う。そしてマーガレットも、振り向いて深々とお辞儀をし、踵を返して村の出口へ向かい出した。
「マーガレット!」
ドーラが手を伸ばして叫ぶも、マーガレットは一瞬だけ立ち止まり、振り返ることすらせず、そのまま街門から去っていった。
もはや声すら届かない――それを肌で味わったドーラは、膝から崩れ落ちる。
ザカリーが慌てて彼女の肩を支えるも、その視線は村を出て行った娘の後ろ姿に、釘付けとなっていた。
「――選ばれし勇者と言えど、所詮はあの程度か」
去りゆく背中を見つめながら、イフリートはボソリと呟く。そして改めて、助けてくれた恩人たちのほうに視線を向けた。
「心優しき家族たちよ。改めて礼を言わせてもらう」
「こちらこそ。おかげで助かったよ」
ウォルターもニッコリと笑い、アニーとノアも笑顔を見せる。そしてその表情は、大好きな父親にも――
「ねぇパパ、精霊さん助かって良かったね」
「うん、本当に良かった」
そんな子供たちに笑顔を向けられたウォルターは――
「あぁ、そうだな」
ニッコリと暖かな笑みを浮かべ、二人の頭を優しく撫でるのだった。
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