031 ウォルターがゆく



「さーて、僕の言葉はこのくらいにしておこう――おい、イフリート!」


 ニコラスが手のひらで、その巨体をバシッと強く叩いた。


「貴様も挨拶の一つくらいしろ」

「ぐうぅ……ぐおおおぉぉーーーっ!!」


 イフリートの咆哮と同時に、体の真っ赤な体毛が揺れる。その瞬間、凄まじい熱が周囲に吹き荒れた。


「きゃあぁーーっ!」

「逃げろ!」

「全く、そんなに慌てる必要はないというのに」


 村の人々が慌て出す中、ニコラスはどこまでも余裕な態度を崩さない。そしてその視線は、イフリートの巨体へと見上げられた。


「イフリート、いきなりそんな力を出すんじゃない。村人が驚いてるだろ」

「ぐ、ぐうぅぅ……」


 ニコラスが窘めた瞬間、イフリートの体に紋章が浮かび上がる。イフリートから放たれていた力が、みるみる収まっていった。

 そしてニコラスは、未だ慌てふためく村の人々に向けられた。


「おい! やかましいのも対外にしろ、この田舎者どもが!」


 苛立ちを込めた声は、感情的な怒鳴りと化して、村人たちの声を鎮めさせる。その顔は完全なる恐怖に包まれていた。巨体の力の一角を見せつけられた挙句、ニコラスという傍若無人を形作った存在が目の前に君臨していれば、平然とした態度ではいられなくなるのも無理はない。

 子供の泣き声がしないのは、ある種の奇跡とすら言えるだろう。

 その子供さえも、恐怖のあまり泣くのを忘れてしまい、ただひたすら頭の中を空っぽにすることしかできないでいるのだった。

 結果、しんと静まり返る状況を作り出しており、ニコラスに余計な苛立ちを募らせないことに成功している。

 だからと言って、事態が好転するわけでもないのだが。


「僕が命令すればイフリートは大人しくなる。だから慌てる必要はない。もっとも、これ以上貴様らが余計な騒ぎを起こせば、僕もどんな命令を下していたかは全く想像もつかないがな」


 ニンマリと笑うニコラスに、村人たちは息を飲む。それは明らかな脅しであり、彼もそれを誤魔化そうとすらしていない。

 否――脅すとか脅さないという考えにすら至っていないだろう。

 彼からすれば、この村の人々のことなど、一ミリも考える価値すらないのだ。どうなろうが知ったことではない。もし自分が危害を加えることになれば、それは村人たちが悪いという図式が、簡単に設立されてしまう。

 仮に村人たちがどれだけ怒ろうが騒ごうが、彼の耳には届かない。

 獣がうるさく吠えている――それ以上でもそれ以下でもないのは間違いなく、それは他の仲間たちも同様であった。


「ニコラスさん。もういい加減、さっさと話を進めちゃあどうですかい?」

「アタシも待ちくたびれちゃいましたよー」


 ここまでずっと無言だった剣士の男と魔導師の女が、とうとう声を上げる。口調からしてうんざりしているのは明白であり、ニコラスは苦笑を浮かべた。


「ハハッ。確かにそうだな。ではそろそろ、我がしもべの力を――」


 ニコラスが右手を振り上げた、その時であった。


「――いやー、それにしてもホント久しぶりだよなぁ!」


 ウォルターが一歩前に出ながら、軽快な声を出してきたのだった。

 明らかに場の空気を完全にぶち壊す勢いであり、ほんの数秒前まで勝ち誇っていた表情のニコラスでさえ、目を丸くして絶句しているほどだ。

 しかし、当の本人はそれに構いもせず、懐かしの少女に視線を向ける。


「八年経つと、やっぱり随分と変わっちまうな――マーガレット」

「っ!」


 ニッコリと笑うその表情に、マーガレットは目を見開き、両手で口元を押さえる。


「ウォルター……やっぱりウォルターだったのね?」

「おう。改めて久しぶり。随分と立派に聖女やってるみたいじゃん」


 八年どころか、ほんの数ヶ月程度しか離れていなかったかのような口調に対し、マーガレットは思わず目から涙を零す。

 何も考えられなくなった。思っていることは、いっぱいあったはずなのに。


「わ、私、ずっと……ずっと生きてるって信じて……」

「生きてる? あぁ、そういえば俺、なんか死んだことになってるんだっけ」

「さっきも声をかけたのに、全然反応してくれなくて……ただの他人の空似なんじゃないかって、私……」

「あぁ、ゴメンゴメン。状況が状況だから、下手なこと言えなくってさ」


 嗚咽を漏らすマーガレットに対し、ウォルターはどこまでも軽い口調と態度を崩そうとしない。そのままおもむろに移動しながらも笑う姿に、村人たちも、そして勇者パーティの面々も、皆が注目している状態であった。

 自然と、イフリートから視線が逸らされるような形で。


「ウソだろ……本当にウォルターなのか?」

「死んだって聞いてたのに……」

「言われてみれば、なんか面影があるような気も……」

「でも、なんで突然帰ってきたんだ?」


 再び村人たちの間で、ざわざわとした声が広がり出す。八年前に村を追われた少年が目の前にいる――その事実が衝撃的過ぎて、多くの者が戸惑いを浮かべるのも、無理はない話だろう。

 中でも――


「ふ、ふざけるなっ!」


 ニコラスは特に黙っていることができず、感情に任せて怒鳴り散らしてきた。


「貴様が八年前に追放された、あの『スキルなし』だというのか? バカバカしい。冗談も対外にしろ!」

「残念ながら、冗談でもなんでもないんだなぁ、これが」


 肩をすくめてやれやれのポーズを作るウォルター。その姿はどこか芝居がかっているようにも見えるが、頭に血が上っている状態のニコラスには、それを読み取ることはできていない。


「ええい、黙れ黙れ黙れえぇーーっ!」


 ニコラスは思いっきり首を左右に振りながら叫ぶ。


「あの『スキルなし』は確かに死んだんだ! 僕がこの目で見たのだから、それ以外にあり得ない! このニコラス様をおちょくるのもいい加減にしろ!」


 自分こそが全て正しい。何かが間違っているとしたら、それは自分以外の誰かに原因がある。

 それがニコラスの映し出している『世界』そのものであった。

 故にこの状況は許し難い。

 決してあってはならない現実があるのならば、それを正さなければならない。

 それこそが自分のするべきことだと、ニコラスは心から信じていた。他人の意見など聞くつもりは、皆無であった。


「もう勘弁ならん! こうなったらイフリートで、貴様もろともこの村を――ん?」


 ここでニコラスはようやく、従えているはずの精霊の様子が、少しばかりおかしいことに気づく。

 普通なら唸り声を上げ続けているはずが、何故か今は途轍もなく大人しい。ついでに言えば、何故イフリートに『オーラのようなもの』が、その巨体を包み込むようにして纏っているのか。


「これは――!」

「なっ、何なんだ!?」


 ニコラスたちやマーガレット、そして村人たちが驚きを隠せない中、ウォルターだけがニヤリとほくそ笑む。


(よし! アニーとノアがやってくれたみたいだな!)


 ウォルターも初見ではあったが、その光が双子たちの力によるものであることは、すぐに察した。


(ちょっとあからさまなやり方だったけど――時間稼ぎは大成功だ!)


 その手段は単純明快。ウォルターが周りの注目を集めれば、それで良かったのだ。自分の正体をマーガレットに明かすことが、それをするのにうってつけであり、見事にウォルターの目論見どおりの結果を作り出した。

 双子たちがイフリートを助けるには、その体に近づかなければならない。

 少しでも変な動きをすれば、怪しまれるを通り越して、即座にイフリートによる攻撃を仕掛けてしまう。

 それをさせないために、双子たちを動きやすくするために、ウォルターもまた動いていたのだった。


「ぐおおおぉぉぉ……」


 イフリートが呻き声を出すとともに、その光が巨体を包み込んでいく。そして巨体に浮かび上がっていた紋章が、少しずつ塵と化して消えていった。


「なっ――バ、バカな!」


 ニコラスが目を見開き、大いに狼狽えている。それほどまでにこの現象は、完全に予想外だったのだ。

 イフリートは完全に落ち着きを取り戻す。それと同時に、巨体に隠れるようにして張り付いていたアニーとノアが、二人揃ってニュッと姿を見せる。


「えへー、もう大丈夫かな?」

「ん。きっと」


 見上げる双子たちと、見下ろすイフリートの視線が交錯する。まるで、何かが通じ合っているような雰囲気を醸し出していた。

 するとそこに――


「おい、その子供! 僕に大切な精霊に、一体何をしでかしたというのだ!」


 イフリートがおかしくなったのは、間違いなくこの双子たちの仕業だ――ニコラスはそう思い、アニーとノアに近づこうとする。

 しかし――


「ぐおおおおぉぉぉーーーーっ!」

「えっ?」


 その瞬間、イフリートが思いっきり拳を振り上げ、それをニコラスに思いっきり叩くように打ち込む。


「ぶはぁっ!」


 間抜けな叫びを吹き出しながら、ニコラスは思いっきり吹き飛んだ。


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