回想を終えて、真実と向き合って。
『久し振りだね。小学校以来かな。この公園に来たの。俊くん』
「なんでいきなり下の名前?」
『ずっと結城くん、って呼んでたけど、本当は、こう呼んだりしてみたかったんだよね。ほら、小学校の時、誰にでも下の名前を呼ぶ女の子っていたでしょ。結構そういう子、って女の子から嫌われたりしてたけど、実は私、ちょっだけ、憧れてたんだ。だから文芸部で一緒になって、チャンス、って思ったんだけど、ね』
屋敷を出て、僕たちはふたり並んで歩いた。夜の町で、白くぼやけて浮かび上がる葉瑠は、どこか幻想的だ。周囲には誰もいない、仮に誰かいたとしても不審者だと思われるのは、僕だけだろう。彼女はきっと、他の誰にも見えないはずだから。
幽霊屋敷をあとにして、僕たちが目指したのは、むかし、僕たちがかくれ鬼をした公園だ。特別な理由があったわけではない。古い記憶を語り合う中で、懐かしさが萌したのだろう、葉瑠が、行きたい、と言ったのだ。
雨は変わらず、まだ降り続いている。
僕の差す傘の下に、葉瑠も入っている。あの頃を思い出すような相合傘だ。
「思うんだけど、さ。幽霊なんだから、傘に入る必要ある?」
『空気の読めない男は嫌われるよ。良いじゃない。こういうのは、雰囲気が一番大事なんだから』
「そうは言っても、さ。こっちは肩が濡れて――」
『はいはい』
と言いつつ、葉瑠はとても楽しそうな表情だ。その表情を見ていると、もう死んでいるとは思えない。
僕もこの公園に来るのは、本当に久し振りだった。最後に訪れたのは、確か葉瑠が死んですこし経った頃だ。冬に入ったばかりの時期で、小雪がちらついていたのを覚えている。小高い丘から、ただ景色を眺めていた。感傷に浸ることで、ほんのわずかでも葉瑠に関するあらゆることから逃れたかったのだ。だけど結果は、葉瑠との記憶を、より鮮やかにするだけだった。
深夜の雨降る公園に、ひとの姿はない。僕たち以外は。
「結構、寂しくなったね……」
公園に入ってすぐに、ぽつり、と葉瑠がつぶやく。以前はあった遊具の多くは撤去され、公園は、遊び場らしさをうしなっていた。
「どこ、行こうか?」
僕の言葉に、葉瑠が小高い丘に向けて、指を差す。そこには当時のまま、屋根付きのベンチが残っている。隣に並んでベンチに座る。街灯を頼りに見える景色は、雨の音をともなって、寂しげだ。葉瑠がベンチの前に置かれたテーブルの表面を撫でた。かくれ鬼をした時、葉瑠はこの下に入っていたわけだ。思ったよりも狭く、子どもの頃だから入ることができたのだ、とあらためて感じる。
『私に何か聞きたいこと、あるでしょ?』
なんで、葉瑠は死を選んだのか。
僕はそれをずっと聞きたい、と思っていた。葉瑠とふたたび会うまでは。
だけど僕は、勘違いしていたのだ。記憶にしかない過去をめぐる中で、僕は違和感を覚えていた。たぶん彼女に聞くべきは、そんな言葉ではなく、もっと別のものだ。
「……さっきは言えなかったんだけど、さ。数子さんの日記の犯人、って誰なんだろう」
『どうしたの、急に』
脈絡もない僕の言葉に、葉瑠が戸惑った表情を浮かべている。
あの屋敷でむかし僕が見つけた日記。あそこに書かれていたのは、浮気を疑った数子さんが義理の両親に相談して、それをきっかけに夫である弘也さんから、強い怒りを買ってしまう、というものだ。もともと嫉妬深い性格だった弘也さんは、数子さんを叩いたりもしていたらしい。久し振りに叩かれた、という表現を使っていた以上、一回や二回のことではない、と考えるべきだろう。
そして日記の最後には、自身の死がほのめかされている。
かつて僕と菱川はそれを見ながら、どっちが犯人か語り合った。幼い頃は、好奇心に駆られて探偵ごっこを楽しんでいたけれど、いま思えば、そんな過去こそが憎らしくなってくる。
「あれの犯人、僕はやっぱり日記に書かれている通り、夫の弘也さん、だったんじゃないかな、って思うんだ。言葉の内容は、すべて真実だったんだ」
嘘、だった。
日記の内容なんて、実はどうでも良かった。彼女に何があったのか、僕はすこしずつ気付きはじめている。
この言葉で、同じような境遇にあったのかもしれない葉瑠が、どういう反応をするだろうか知りたかったのだ。
だけど彼女に、動揺した素振りはない。
何故、かつての僕たちは、あの屋敷で未来の葉瑠を見たのか。さっき彼女と話した時は、ここが特殊な場所だったから、不可思議なものを引き寄せていたのかもしれない、とそんなふうに答えてみた。でも僕のあの想像は間違っていたような気がする。これも結局は想像でしかないのだけれど、もうひとつ浮かんだ考えがある。
いつか訪れる葉瑠の未来が、屋敷に住む数子さんの人生と重なり、その共鳴が、ほんのわずかな幻想を浮かび上がらせたのかもしれない。
ただの想像に過ぎないのだけど、僕はそちらの可能性を信じたくなった。
『言葉を読む時、ね。言葉をそのまま読むんじゃなくて、言葉の先にいるひと、その心を想像してみるといいんじゃないかな。そうしたら、同じ言葉でも、まったく違う何かが浮かび上がってくるかもしれないよ』
彼女がちいさく笑って、言った。
それは高校時代にも、何度か聞かされたことのある、彼女の口癖のような言葉だ。
僕はもっと考えるべきだった。
言葉の先にある、その心について。
「ずっと、なんでだろう、って思ってたんだ」
『何を?』
「なんで、みずから命を絶ったんだろう、って」僕のせいかもしれない、と自分自身を責めた回数は数えきれないくらいだ。「僕は前提から間違っていた。だからすべてがおかしくなる」
『どういう前提?』
葉瑠が、僕をじっと見る。僕の口から出る言葉が何か、もう察しているような表情だ。
どこかで気付いていたような気もする。でもそんなことはない、とこの前提だけは、意識の外へと弾いていたのかもしれない。
「葉瑠、きみは殺されたんだね――」
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