第17話 決まり字の坂道
「じゃあ、もし私が相手の陣の札を取ったとき、相手が私の陣の札にお手つきをしたらどうなる?」
中堂先輩のウルトラクイズは続く。
「まず、相手の札を取ったから1枚送り札、でいいんですよね?」
様子を伺うように顔を覗き込む。先輩は黙って頷く。
「次に、相手がお手つきだから、もしかしてもう一枚送るってことは、いくらなんでもない……ですよね」
あはは、まさかですよね。
「それがあるんだなあ。よくできました。ちゃんと理解できてるよ。それをダブルって言って、カルターの間ではダブって呼ぶの。逆に、私が自陣の札を取って、相手が相手の自陣にお手つきをしても2枚送ることができちゃう。それはセミダブって言って、結果はダブと同じだね」
「一気に2枚差ができちゃうってことですか。ダブって怖いんですね」
「それを怖がってたら競技かるたはできないよ。確かに全部覚えて完璧に取れることは理想だけどね。でも、相手がダブとか怖がって突っ込んで札を取りにこないってわかったら、かなり楽な試合展開に持ち込めるし。結局、競技かるたって相手との駆け引きなんだよ」
そう言って中堂先輩は微笑んだ。
「覚えることがいっぱいあり過ぎて、駆け引きなんて考えられそうもないです。これで6月の大会に間に合うんですか? なんか自信がないです」
ふう、と風花が少し弱気なため息をついた。
「でもね、ルール自体は今日教えたことぐらいのものよ。もちろん、あといくつかはあるけど、難しくはないと思うよ。風花ちゃんは身長も高いし、手が長いからそれだけで相手に威圧感を与えるから、かるたではかなり有利だと思うよ」
「えへっ、そうですかあ」
褒められると悪い気はしない。ついニヤつく風花。結構単純だな、私。
「百首の暗記はこれから毎日がんばってもらうとして、まずは素振りを欠かさないことね。体の使い方を筋肉に覚え込ませないと」
「かるたの素振りって、手でシュッとやるあれのことですか」
さっきの中堂先輩がかるたを払ったところを真似てみた。
「そうだよ。どの方向にも手を伸ばせるように、あの場所ならこの体の使い方、とか、シミュレーションをしながらかるたに必要な体を作っていくの。じゃあ、今日はここまで。ミオちゃん、そっちはどう?」
先輩は隣のミオに声をかけた。
「もう大丈夫です。じゃあ、孝太。今日はここまで」
ミオがそう返事をした途端、
「うわあ。むずい!」
と叫びながら、孝太が後ろに倒れ込んだ。
「こら、かるたは礼に始まり礼に終わる。まずは正座して」
ミオに怒られて孝太は渋々起き上がって正座をした。
「試合の前、試合の後。必ず読手さんや相手に礼をして終わること。絶対に忘れないで。それができない人は、かるたをやる資格なしだからね」
「わかった」
そう言って孝太は、きちんと背筋を伸ばして「ありがとうございました」と礼をした。案外と素直なところがあるのだ。
それから始まった中堂先輩とミオの対戦形式の練習を風花と孝太は観戦することにした。だが、いまルールを教えてもらったばかりではあるが、ふたりのかるたを見ていると、自分たちに教えているものとは別の競技ではないか。そんな感覚さえ覚える。
そのスピードに圧倒されながら、合間にコソコソと孝太が話した。
「やっぱり最低でも百首は覚えんと勝負にもならんよな」
ちょうど風花も孝太と同じことを思っていたので、さっきからその方法を考えていた。
「ねえ、孝太くん。ちょっと提案があるんだけど」
⌘
翌朝、眠い目を擦りながら風花がまた坂道を下ると、昨日と同じ場所に孝太が待っていた。
実は、昨日の朝に2人でトレーニングをしたことをミオには言ってない。風花が体をちゃんと動かすのが久しぶりであり、いつまで続けられるかわからなかったからだ。だが、心が折れそうな時に誰かと一緒だと続けていけそうな気がして、ミオには内緒で昨日、そっと孝太に頼んだのだ。
坂道ダッシュを1往復半。そして最後にストレッチを交互にやって終わるのは昨日と同じだが、そこに風花の提案で百首の暗記も取り入れた。走りながら、片方が上の句の最初を言うと、もう1人が下の句で答えるという、いわばゲーム要素を加えた。
「せをはやみ」
風花が問題をだすと、
「われてもすえに」
と孝太が答える。
「ふくからに」と風花。
できるだけ間髪を入れずに答えること。それが決まりだ。
「えっ、あーっと、なんだっけ」
「ブブーっ。時間切れ」
坂道を駆け上がるというトレーニングも兼ねて、究極に酸素が薄くなった脳にはなかなか厳しいが、同時になにか楽しくもある。
まずは一字決まりから覚えてくると約束をしていた。これを数日繰り返して完璧になったら、少しずつ増やすつもりだ。少しでもトレーニングを楽しく、そして同時に、早くかるた部の戦力になれるように頑張ろうという目標を立てた。
それがふたりの朝の日課となった。
そして長く長く眠っていた風花の体が、ようやく少しずつ目覚め始めていた。
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