第14話 4月の風
「孝太君……なんで……いるの」
とにかく孝太のいる地点まで、風花は息も絶え絶えになりながらたどり着いた。
「昨日も言ったけど、ここはトレーニングでしょっちゅう登ってるんだ。今日はたまたま線路のところから君が見えたから、ちょっと追いかけたけど」
風花と違い、孝太は息ひとつ切らしていない。
歩いてるように見えるかもって、絶対嘘じゃん。声に出して強く抗議したい気持ちを風花はグッと堪えた。
「ほら、いきなり止まらない。少しずつでも動かして」
軽い足踏みを続けながら、孝太が「パンパン」と両手のひらを2回打って風花を鼓舞した。
それから2人で風花の家より高い場所にあるお寺まで風花のペースで駆け上がり、一息入れて2人でまた坂を下り、もう一度同じコースを上った。
「今日が初日なんだろ? いきなり無理はしない方がいいよ」
言われなくても、もう限界。風花はそういう返事さえもできなくて、苦笑いで返し両足を投げ出し、両手を後ろについてその場にへたり込んだ。
正直にいうと、自分ではもう少しはできると思っていた。だけど、去年の夏から家に篭る毎日でかなり体力が落ちてしまったことを、改めて自覚した。
「筋肉が固まるから、ストレッチだけやっとこうか」背中から孝太の声がした。「肩を押すけど、いいよね」
うん。迷わずにそう答えた。今の自分の体には、それがとても必要なことだと自分でもわかっていた。
「運動は苦手って言ってたけど、思ってたよりずっと体は柔らかいんだね」
風花は開脚のまま、ペタッと上半身を地面につけていた。
しまった——
「あっ、ああ、そうかも。きっと遺伝かも。お父さんと似てて」風花は慌てて取り繕った。「柔らかさと運動神経が繋がってれば良かったんだけどな」
「贅沢な悩みだね。僕は体が固くてさ」
交代して風花が孝太の背中を押してやる。本人が言うほどではないが、確かにアスリートとしては固い方かもしれない。じんわりと体重をかけながら、孝太の体を伸ばすと、「いててて」と孝太が悲鳴をあげたのだった。
バス停にミオが見えた。駆け寄っていこうと思ったが、今朝のダメージで体が重い。風花は平気なフリをしながら、ゆっくりと歩いてバス停へ向かった。
昨日は平気だった学校まで立ちっぱなしのバスが、結構辛い。やはりいきなり走ったのが堪えたのだろう、ガクガクと膝が笑いそうだった。しゃがみ込みたくなったその時、沿線の歩道を走る孝太の後ろ姿が目に入った。
彼は何事もなかったように、風になって走っていた。今朝も私より長い距離を走っていたはずだ。
私だけ弱音は吐けない。
座席に座っている他の生徒同士の隙間から身を乗り出し、バスの窓を上げ、
「孝太! バスに負けるなあ!」
と、風花は思わず大声で叫んでいた。
走っていた孝太が右手を突き上げて「いつか追いつくからなあ」と返事をした。
「ひゃあ、寒い!」
誰かが大声を上げた。一気にバスの車内に入り込んだ4月の朝の風は、まだだいぶ冷たかった。風花は慌てて窓を閉めた。
「おやおや。いつの間にそこまで。昨日なんかあった?」
ミオが戯けながら、風花の顔をジロジロと見ている。
「特に何も」
ツンとすました顔で風花は答え、2人は目を合わせて笑った。
そして今日もバスは勝った。
昨日何もできなかったので、風花は授業中もコソコソと決まり字の紙を取り出して、ひとつだけでもと思いながら暗記にチャレンジすることにしたが、高校の授業はそれほど甘くなく、かるたの決まり字など、覚えた端から忘れてゆくを繰り返し、結局部活の時間までに1字決まりの7首さえも覚えきれなかった。
「さて、いくつ覚えた?」
中堂先輩に問われ、「まだ、あまり……」とひたすら小さくなった。
「まあ、仕方がないか。急なことだしね。とりあえず今日は、競技かるたのルールを覚えてもらうからね。ミオちゃん、正面に座ってあげて」
風花の正面に、ミオが座った。
「読み札と取り札は昨日説明したよね?」
「はい」記憶を探りながら小さく返事をする。
「まず、最初に100枚の取り札を裏返したまま、対戦者同士でかき混ぜる」
中堂先輩に言われるまま、ミオが「一緒に」と声をかけるので、取り札をかき混ぜた。それをミオがまた100枚重ねて2人の真ん中に置いた。
「あらかじめ、先に札を取る人は決めておきます。今日はミオちゃんから」
ミオがまず5枚の札を取った。
「決まりはないけど、普通はだいたい5枚ずつ交互に札を取って、それを5回繰り返して25枚の札をそれぞれ取るのね。風花ちゃんも同じように取って」
手順を忘れないように、ブツブツと言葉にしながら札を取った。
「競技に使うのは、今2人が取った50枚の札ね。後の50枚は脇に避けておきます」
先輩の言われるまま、ミオが中央に残った札を後ろに避けた。
「ここで、大事なこと。読手は、100首の札を読むけど、場には50枚しかないわけよ。この、場にない札のことを、
そう言ってジロリと睨んだ。中堂先生はなかなか手厳しい。
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