第2話 は?
「は? 孝太、あんた何言ってんの。そんなんで陸上どうすんの」
席に着いた大河内孝太に小柴美織が心底呆れた顔で言ったが、彼は知らん顔を決め込んだ。
「本当に馬鹿なんだから。知らないよ、高校総体出られなくなっても」
小柴美織は大きなため息とともに、振り向きざまに「ねえ?」と風花の顔を見ながら言うので、風花は勢いで首を縦に振ってしまった。
「で、彼はなんの選手なの?」
知らない子のことで「ねえ?」と相槌を求められても風花とて困る。聞かれた以上とりあえず彼のことを少しは知っておかねばなるまい。
「陸上の八百と千五百メートル。で、去年の全中に出たのは八百。まあ、練習もしないで東京のかわいい女の子ばっかり追いかけて、予選で落ちちゃったけどね」
そう言う小柴美織のポニーテールに、「いらんこと言うなや」と言う小さな声とともに後ろの席から消しゴムが飛んできて、落ちたその消しゴムは床を何回か跳ね、音だけを残してどこかへ転がっていったのだった。
「痛ぁ」
小柴美織は片手で頭を押さえ、「だって本当のことじゃろ?」と抗議すると、
「そんなんじゃねえよ」と大河内孝太は少し不貞腐れたように机に突っ伏した。
「嘘つかんでもええわ」
笑いながら小柴美織は顔のまで右手を振った。そして風花に、
「孝太、あっ、孝太ってこいつね。全中行ってからさ、俺は東京で運命の人に出会って人生が変わった、だって。マジ笑っちゃう」
とコソコソと笑いながら小声で言ったが、これは孝太に丸聞こえだったようで、今度は速攻で彼女の椅子の足に後ろから蹴りが飛んできて大きな音を立てた。
「こら、そこ。静かにせえ」
さすがに今度は先生の声が響いて、小柴美織は舌をペロリと出して細い両肩をちょっとすぼめた。
「私、小柴美織。よろしくね」
「小柴美織さん—— あっ、私、大道風花です。よろしくお願いします」
しばらくして、また小柴美織が先生の目を盗んでコソコソと話しかけてきたので、風花もそう返すと、
「同級生なんだからさ、堅っ苦しいのなしにしない? 私、そういうの苦手で。えっととりあえず風花ちゃんって呼んでいい?」
と笑顔で言う。根っから気さくな性格らしい。
「うん、いいよ。じゃあ、私は——」
「ミオ。本当はミオリなんだけど、みんなミオって言ってる」
「じゃあ、ミオちゃん。よろしく」
それが風花と美織——ついでに孝太——との出会いだ。風花が尾道で初めてできた友達だった。
オリエンテーションが終わると教室に何組かの輪ができた。入学した生徒のほとんどが、尾道近郊にある中学から集まっているので、自然と中学単位のグループができているようだ。
東京からきた風花には尾道に友達どころか知り合いさえもいなかったが、すぐに隣のミオと、さらにミオと同じ中学だったという数人が風花の周りに集まってきた。
「ねえ、なんで東京からこんな田舎に来たん?」
ひと通り同じクラスになったことを喜びあう女子特有の儀式の後、かえす刀で風花に話が振られた。どうやらみんな、「東京の」中学からきたという風花のことを聞きたくてうずうずしていたらしい。
「なんでって……、まあ、こっちに一人でおばあちゃんが住んでるから、高校三年間ぐらい一緒に暮らそうかなあって。うん、そういうことで」
風花は、へへっと照れ笑いをするように少しごまかして答えると、
「えーっ! それで東京を捨てたん? ありえんわ!」
と、総ツッコミがすかさず入る。
「いや、別に捨てたわけじゃ——」あまりのみんなの反応にあわてる風花。
「いや、それは捨てたと同じよね。だって東京だよ?」
だって東京には○○たちがいるんだよ——
人気絶頂のアイドルグループの名前をいくつか出しながら、みんなに尾道に進学したことを全否定された。
いったいなんなのよ、みんなの東京愛! と心の中で風花は叫んでいた。
休憩の後に、先生がペーパーを一枚配った。
「今配ったのは、今日現在の君たちの進路希望調査です。僕が君達を一年間担任するにあたって、現時点でどんな夢を描いているかを知っておきたいと思ってね。だから全然リアルでなくてもいいです、本当に。今はまだ成績がイマイチだと思っても三年後には東大に入りたいでもいい。スポーツでオリンピックに出たい、漫画家になりたい、ユーチューバーとかなんでもいい。そしてもし、現在は夢でしかなかったものが、いつか現実にできる可能性があるなら、担任として背中を押してあげられたらと思っています。書いたものは僕しか読みません。他の先生にも、もちろん校長先生にも読ませません。だから、絶対に笑わないので、君たちが今まさに持っている夢を僕だけに聞かせてください。お願いします」
今から三十分の間に書いてください。そう言って先生が教室を出ていった途端に教室が騒ついた。
リアルじゃなくてもいい——
そう言われると気楽にかけそうな気もするが、良く考えてみると、大きなテーマをいきなり落とされた感じだ。
先生の言葉をそのまま受け取って、ちゃっちゃと書き始めたものもいるし、友達同士で適当に話を合わせながら書くものもいる。
確かになんでもいいとは、そういうことでもある。
もうミオも孝太も黙々と書き始めている。だが、風花は配られた白紙の前に何も思い浮かばずにいたが、そのうち先生が帰ってきて提出の時間になり、仕方なく一行だけ書いて提出した。
——私は夢を諦めたばかりです。だから今は書けません
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