第1話 水泳部を作ろうと思います!
ただひたすらもがいた。必死に手を伸ばしても、どこへも届かない。
離れてく——
たくさんの泡に包まれながら、私が大地から離れてく——
⌘
入学式が終わって振り分けられた教室で、風花は自分の席についた。窓際の後ろから二番目。窓から見える風景がなかなか見晴らしが良くてよろしい。
「担任の長谷川です。保健体育を担当してます」
オリエンテーションの最初に、教室の一番前に立った担任の先生は、まず「長谷川康二」と大きく板書した。
「康二と書いて、ヤスジと読みます」
わざわざ丁寧に読み方まで教えてくれた。かなり日焼けしていて、ツヤツヤと肌艶もいい。とっても爽やかな感じの先生だ。
「ちょっと自己紹介をすると、学生の頃からずっと水泳をやってて、こう見えて平泳ぎで国体に出たこともあるんだよ」
と、長谷川先生は少し得意げに教室を見渡した。
「じゃあ、みんなもまずは自己紹介をしてもらおうかな。名前と出身中学、できれば得意なことや入りたい部活などを。はい、君から順番。次はその後ろな」
先生はそう言って廊下側の一番前の男の子を指差した。いきなり指名されて、その男の子が慌てて立ち上がる。えーっという騒めきが教室に広がった。
順番だとすると、あと三十四人。早い順番ではないことに風花は胸をなでおろした。まだ少し考える時間がある。
風花の右隣の席は女の子だった。
「尾道南中からきました、
背筋をピンと伸ばし、明るくはっきりとした口調で彼女が言った。座る時に短めのポニーテールが少し揺れて可愛い。
「尾道南中からきました、
小柴美織の後ろの席の男の子はやたら背が高い。頭は丸刈りだ。
「おお、君が大河内くんか。聞いてるぞ。全中の大会まで行ったんだって?」
先生が言うと、「はあ。まあ」とやたら背の高い「大河内くん」が背を丸めて頭を掻き、照れ笑いをしながら席に着いた。すると、
「高校総体も狙ってますって、ちゃんと言っときんさいよ」
と、前の席の小柴美織が大河内孝太を振り向いて小声で言った。
「うっせえ」大河内孝太がボソッと答えた。
そっか。同じ中学の知り合いなんだ。仲がいいんだな、この二人。
まだ友達がいない風花は、ちょっと羨ましかった。
風花の順番がきた。大きく息を吸って少し緊張しながら立ち上がった。
「
コソコソと「東京だって」と声がする。
「結構背が高いなあ。アスリートって感じだな。得意なスポーツは?」
と、長谷川先生が聞く。
「あっ、いえ。運動はとても苦手で……」消え入りそうな声。
「へえ、なんか得意そうだけどな。じゃあ、部活は文化部か?」
「あっ、はい。そのつもりです」
「そっか。まあ若いんだからスポーツも頑張れ。はい、じゃあ次。最後だな」
ふう。やっと先生から解放されて、静かに風花が席に座る。そのとき視線を感じて横を見ると、斜め後ろの大河内孝太が何か驚いたような顔で風花をじっと見ていた。
——えっ、なに?
思わず風花も目を合わせてしまった。
「孝太、なにをガン見してんのよ。もしかしてまた一目惚れ?」風花たちの様子に気がついた小柴美織が横から言う。「こいつ、一目惚れ体質だからマジに相手にしなくてええよ」
風花にそう言って彼女が笑った。屈託のない笑顔。絶対いい子だ。
「ちげーよ」
彼はそう言って風花から視線を逸らした。
ひと通り自己紹介を終え、先生からこれからの学校生活のことなどを詳しく教えてくれた。
そして週番が出席番号の若い順から二人、男女のペアで指名され、教室がもう一度騒ついた。
「じゃあ、今のうちに何か先生に聞いておきたいことがあるか」
そして最後にそう言って先生は「質問があるなら手をあげて」というように、自分で左手を上げてみせた。でも、始まったばかりで、おそらくみんなもまだ何を聞いたらいいのかもわからないのだろう、じっと黙っていた。
「はい」
そんな中、風花の右後ろから声がして、振り向くと大河内孝太が手を挙げていた。なかなか勇気があるなと感心する。そしてやっぱり手も長い。
「ほい、大河内。なんだ」
すぐさま先生が指を差した。
「部活のことでもええですか」
「もちろん。陸上部のことか」
「いえ、そうじゃなくて。あの、この学校は水泳部はありますか」
「水泳部? いや、残念ならがないんだよな。水泳部があったら顧問をしたかったんだがなあ」先生は本当に残念そうな顔をする。「水泳部がどうかしたか」
大河内孝太はちょっと考えて、
「じゃあ、自分が水泳部を作りたいって言ったら許可を貰えますか」
「お前は陸上部じゃないのか。全中の大会まで出たのに」
全中とは毎年東京で行われる、全日本中学校体育大会のことだ。
「いや、陸上を止めるつもりはないけど、全中も結局予選落ちじゃし。だから今のうちに違うスポーツもやってみたらええかなと思うて」
「まあ、昔から二兎を追うもんは言う諺もあるもんじゃがの。まあええ、聞いてみとくわ」
と先生が言い、「お願いします」と大河内孝太が背を丸めて頭を下げた。
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