第45話

 途端に周りの音が聞こえなくなった。フウカが何を言っているのかわからずに、ただ重苦しい絶望感が体を支配している。


 フウカは俺に、自分を殺してくれと頼んでいる。自分がパパと呼んで懐いた人間に、そんな酷なことを懇願している。できるはずがない。悲しみと同時に怒りが湧きあがって、フウカの肩を強く揺らした。



「お前っ、自分が何を言っているのかわかってるのか!!」



「わかってるよ!!」



 フウカはその大きな瞳から涙を流していた。ぐしぐしと乱暴に擦った目は赤くなっている。



「でも、私は人間じゃないんだもん。みんなといたらパパたちはずっとあれを消し続けなきゃいけない。それに、私がいつあの子みたいになるかもわかんない。

だから……だから、そうなっちゃう前に燃やしてよ……」



 自分を殺してほしいと駄々をこねる子供が、一体この世のどこにいるのだろうか。気づけば、俺の目からも涙がこぼれていた。


 俺は、フウカをいかせたくない。一生黒災の対処に追われることになったって、フウカをそばに置いておきたい。もう、あの子のときのような目に遭うのは嫌だった。


 けれど、それで苦しいのはフウカの方だ。自分のせいで巻き込まれた人間や、家を失くした人たちが出てくるのはつらいだろう。その気持ちは理解できるが、納得はできなかった。


 ぐずぐずと鼻をならすフウカを抱き寄せる。その見た目も、すっぽりと腕の中に納まる小さな体も、やっぱり人間のものにしか思えなかった。



「行かないでくれ」



「行かせて、パパ」



 ぐっと力を込めて抱きしめる。こんな子供にすべてを背負わせるなんて間違っている。けれど俺達にはきっとどうにもできないのだろう。それがどうしようもなく悔しくて、申し訳なかった。


 周りの音がぼんやりと聞こえるようになってきた。叫ぶ声、逃げ惑う足音、何とか抗おうとしている炎の熱気。



「すまん……任せても、いいか」



 俺がそう言うと、フウカは真っ赤に腫れた目のまま、笑って頷いた。それから別れを惜しむように俺の首元にすがりつく。その頭をそっと撫でる。柔らかい髪が指の間を通り抜けた。もうこんな風に触れることもないのかもしれない。



「大好きだよ、パパ」



「ああ。俺も、大好きだ」



 フウカは頷いて、ゆっくり俺から体を離した。


 何か言わなければ、と思ったのに、涙で言葉が詰まって何も言えない。フウカはまるで目に焼き付けるみたいに俺をじっと見つめてから、覚悟を決めてあの怪物へと振り返った。


 随分距離が縮まってしまっている。俺のいる場所にも黒災が現れそうだった。早く逃げて、と叫ぶ声が遠くから聞こえる。


 フウカは走り出した。黒災の間を縫い、まっすぐ怪物へと。涙でにじんで、その背中はあっという間に見えなくなる。


 すう、と地面が吸い込まれるような感覚がして、俺も立ち上がった。ここで死んではいけない。近くで腰を抜かしている隊員の腕を引っ張り上げ、共に走る。


 振り向くと、小さな体の足元に、黒災が湧きあがるのが見えた。



「フウカ!!!」



 思わず名前を叫んだが、その声は喧騒にかき消されて届かなかっただろう。フウカの小さな体はあの怪物と共に、黒災の中へと飲み込まれた。


 そしてその瞬間に、次々と生み出されていた黒災がぴたりと止んだ。

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