第42話

 シノ代表から改めて入った連絡で、例の黒災への対処は2日後に決まった。本部の部隊も北海道へ向かうらしく、随分大規模な作戦になりそうだった。


 俺は眠っているフウカを抱きかかえ、カイが出してくれる船に乗り込む。人間になって随分背が伸びたから抱えづらい。見送りに来たシグレが、やけにそわそわとしていた。



「あの、北海道には中央の第1部隊も行くんですよね?」



「ああ、そうみたいだな」



「その……ミオに会ったら、あの、よろしく言っておいてください」



 ミオというのはシグレの妹だ。中央本部の第1部隊に所属しているらしく、シグレは長年会っていないのだという。俺が本部にいた頃はまだ新人で、顔もぼんやりとしか覚えていないが、シグレの言葉に頷いた。シグレはほっとしたような表情を浮かべて深々とお辞儀をする。


 今日の海は静かだった。これから何が起こるかわからない作戦に向かう自分を送り出すように追い風が吹いている。


 本島に降り立って電車を乗り継ぎ、空港に着くころフウカが目を覚ました。



「ここ、どこ?」



「空港。今から飛行機に乗るんだ」



 フウカは初めて見る大きな建物と飛行機に興奮してはしゃいでいる。ここしばらく暗い表情しか見ていなかったから、彼女の笑顔が見られて安心した。


 今は母親の声も聞こえていないのか、フウカは飛行機で窓の外を見ながらにこにこしている。頭痛を我慢しているわけでもなさそうだった。


 しかしそんな彼女とは正反対に、俺は北海道が近づくにつれて胸がざわつくのを感じていた。嫌な予感が頭の中を支配している。


 背もたれに体を預け、深く息を吸い込んだ。一度乗り掛かった舟だ。もう下りるわけにはいかない。



 北海道に降り立ってからは、空港までアカネさんが迎えに来てくれる手筈になっていた。少し遅れる、との連絡を受けて、俺とフウカは空港内のベンチに座ってアカネさんを待つ。


 フウカは長時間飛行機に乗っていて疲れたのか、何も話さない。俺も何を言えばいいかわからずに黙っていた。


 体がずんと重い。覚悟して来たはずなのに、帰りたくてしょうがなかった。


 しばらく待っていると、アカネさんの車が空港の前に止まった。フウカと後部座席に乗り込み、やや荒い運転に身を任せる。



「あんたの報告書見たんやけど、結局どういうことなん?」



 アカネさんにとシノ代表には、あらかじめフウカの母親に関する発言をまとめて送っていた。



「いや、俺もよくわかってないんです。多分フウカも」



 隣に座るフウカは少し気まずそうな顔をしている。アカネさんは片手でハンドルを握りながら、ふうんと相槌を打った。



「まあ、行ってみなわからんか」



 それから1時間近く車を走らせて、今回の作戦に携わる部隊が待機しているらしい建物に入った。やけに大きなコンクリート造りのそれは、普段何に使われているのか想像もつかない。きっと委員会の所有物なのだろう。



「正面から入ったらあんたらはちょっとあれやから、裏からね」



 そう言ってアカネさんは俺たちを裏口に連れて行き、さらに外付けされた鉄製の階段を上って建物の中に入った。案内された部屋に入ると、アカネさんにいつの間にか手に持っていた書類を手渡される。



「これ、明後日の作戦概要な。っていってもとりあえず大人数で燃やすぞってことしか書いてへんけど。あんたは実働部隊に入らへんからね。フウカと一緒に後方で一旦待機しといて」



 アカネさんはそう言って、必要事項を並べると、ごゆっくりと言って部屋を出て行った。アカネさんがいなくなると、階下のざわめきがぼんやりと聞こえてくる。フウカは慣れない場所で落ち着かないらしく、居心地悪そうに突っ立っていた。



「ほこりっぽいな……窓あけるか」



 カーテンを開き、曇りガラスになっている窓を開けて目に入った光景に、思わず鳥肌が立った。


 ここから既に、例の黒災が見える。かつてフウカが生まれた黒災とは比べ物にならないくらい大きなものだった。これを、ハイセは隠して実験に使っていたというのか。そんなことが正気でできるのだろうか。


 俺は開いた窓を慌てて閉じ、カーテンを閉める。鼓動がやけに早くなった。


 2日後、あれに近づいて燃やさなければならないのだ。俺が実働部隊に入っていたら逃げ帰っているかもしれない。腕の鳥肌がまだ収まらなかった。


 怯えていてもしょうがない。フウカのためにもあれは燃やさなければならないのだ。それから、おそらく中にいるであろうフウカの弟とやらも何とかしなくてはいけない。


 何が起きるのか想像もつかなかった。嫌な想像がいくつもいくつも頭に沸いては、ただ俺を漠然と不安にさせる。フウカがいるのだからしっかりしなければ、という事実だけが俺を正気に保たせていた。



 そして、作戦の日はあっという間に訪れた。

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