第28話

 ずるずるとその場に座り込んだシグレの横を通り過ぎ、スマホを耳に押しあてる。アカネさんは存外早く電話に出た。後ろ手に事務所の扉を閉める。部屋の中とは違い、廊下はひんやりとした空気が満ちていた。


 何をどう説明すればいいかわからずに、ひとまず目の前で起きたことをありのまま話す。アカネさんはじっと押し黙ったまま俺の話を聞いていた。


 それからはとんとん拍子に、俺が西日本支部へと行く話がまとまった。今までアカネさんがこちらに来るのも、俺らたちが向こうに行くこともやんわりと拒否していた彼女の態度はなんだったのか。


 電話が切られてから、俺の頭の中でぼんやりと浮かんでいた映像が途端に鮮明になった。少し前にナオヤが話していた、黒災の跡地に立っていた人型の何かの映像だ。それまで思い描いていたものが、バラバラになったフウカにすり替わった。


 フウカも、かつてナオヤが見たそれのように、体が維持できなくなって崩れたのかもしれない。だから、フウカへの認知の歪みが消えて、アカネさんの対応がまともになった。


 つまり、フウカは死んだのかもしれなかった。


 彼女たちに死の概念があるのかもわからないし、そもそも今までが生きていたと言えるのかどうかすら疑問だ。それでも俺は、あの瞬間そう感じた。


 アカネさんはさっきまでフウカだったものを西日本支部まで持って来いと言った。連れてこいではなく、持って来いと。そんな些細な部分まで彼女はきっと気にしていないだろう。


 戸惑う3人の姿が見えなくなったからか、時間差で動揺がおとずれた。冷たい壁に背をつけ、ゆっくりと目を瞑る。


 俺が戸惑っていたら、他の3人も不安がる。今はとにかく、やらなければいけないことに向き合わなければ。


 しっかりしろ、と自分に言い聞かせて事務所に戻る。3人はバラバラになったフウカの前に集まっていた。ナオヤが泣いているらしいシグレの背をさすっている。



「アカネさん、なんて言ってた?」



 戻ってきた俺に気が付いたゴウが振り返って言葉を投げる。



「とりあえず……それを西日本支部に持って来いって」



「持って来いって、そんな、物みたいな……!」



 シグレが泣きはらした顔をこちらに向けた。俺もさっき同じことを思っていたのだ、何も言えない。ナオヤが彼女をなだめている。シグレは自分の発言が正しくはないとわかっているのか、それ以上何も言わずにぐっと唇を噛んだ。



「しょうがないですよ、もう動いてないなら物ですもん」



 ナオヤの軽口に言い返す元気もないのか、シグレはふるふると首を振ってうつむいた。



「……なにが、悪かったんでしょうか」



 絞り出すような声で、シグレはそう言う。俺も、この場にいる誰しもがその答えを持っていなかった。


 フウカが来てからはイレギュラーなことばかりで、何が正しかったのか、どれが間違っていたのか誰にもわからない。そもそも彼女がいたこと自体「正しいこと」かどうかわからないのだ。



「わからない。それがわからないから、調べてもらいに行ってくる」



 あとはもう、アカネさんや本島の研究者たちがフウカの存在を見極めてくれることを祈るしかなかった。


 シグレは俯いたまま小さく頷く。俺たちはしばらくフウカの残骸の前で呆然としてから、島を出る準備を始めた。


 部署の全員がいなくなるのはまずいということで、行くのはやはり俺だけになった。それぞれのパーツだけになったフウカの体を丁寧に包み、鞄に詰める。一つ一つを手に取ると、余計にただの物に見えてしまった。


 その日は全員を早くに帰し、次の朝カイに本島へ向かう船を出してもらった。見送りに来たシグレに後を任せると、船に乗り込む。


 空は皮肉なくらいに晴れ渡っていって、海はびっくりするほど穏やかだった。道中なんのトラブルもないまま、俺は本島の土を踏んだ。


 そこからは電車に乗り込み、数回乗り換えを繰り返して西日本支部を目指す。乗り慣れない電車と、島ではありえない人の多さから路線を間違えたりしていたら、支部に着いたのは夕方になってしまった。


 何年かぶりに見るその大きな建物は、数年前と変わらず物々しい様相でそこに建っている。聞きなれない方言が耳に入ってくるのをぼんやりと流しながら、白い門をくぐった。

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