ソメイヨシノ
澄田こころ(伊勢村朱音)
第1話 懇願
「あのさあ、
俺の懇願など素知らぬ顔で目の前に立つ女子生徒は、ポニーテールの毛先をゆらしながら窓の外へ視線をむけた。
あいている窓から梅雨時の湿気をふくむ重たい風が吹き込み、白いセーラー服のリボンをゆらす。まるで、俺をあざ笑っているようだ。
くっそ、こっち見ろよ。新任教師だからってなめやがって……。
などと職員室で生徒を口汚くののしったら、一巻の終わり。クビを切られること間違いなし。
お嬢さま女子高の教師という楽な職を、手放すわけにはいかない。あくまでもお上品に、生徒の模範となる教師像を演じなければならない。
八重津さくらの表情のない横顔をみあげながら、内心の憤りをうちにかくす。大人の余裕をにじませ、ほがらかにほほ笑んだ。
渾身の
「別にノート出さなくても、評価できるでしょ。私、このあいだの中間テストで学年一位だったんですけど、吉野先生の古典」
点数さえとれば、教師への横柄な態度が許されると思っているのか。舌打ちをのみこみ、ことさら優しい声で語りかける。けっして頭ごなしに怒ってはならない。なんせ、JKとは大人に反発したい難しい年ごろなのだ。
「テストの点数だけで成績はつけられないんだ。日頃の授業態度とか、提出物の有無なんかを加味する。だから君のノート、国語係に提出してくれないと困るんだよ」
この高校は教科ごとに係が決められており、授業で使う教材の用意やプリントの配布、提出物を集めるのが主な仕事。
昨日、俺の指示通り該当のページを開いたまま積み重ねたノートを、国語係が職員室まで運んで来た。その時、八重津さくらだけ出してくれなかったと、俺に泣きついたのだ。
国語係は、「何回出してって言ってもお、八重津さん聞いてくれないんですう。吉野先生どうしよう」と俺にしなだれかかる勢いで訴えた。
俺は国語係をなぐさめながら、いぶかった。八重津さくらがちゃんとノートをとっていると、授業中確認している。教科書を暗唱しながら教室をまわり、各自ノートをとっているか見て回ったのだ。
ここは、お嬢さま女子高だ。生徒も真面目な子が多く、さして問題のある生徒はいない。八重津さくらは去年の成績をみると、学年トップクラスの成績。素行が悪いわけでもなく、無表情なことをのぞけば模範的な生徒だ。
とにかく感情が表に出ないタイプで、何を考えているかちっともわからない。
四月、教室の窓の外はちょうどソメイヨシノが満開で、思わずほんの数秒心が桜へ吸い寄せられた。ふと、教室に意識をもどすと八重津さくらと目があった。
呆けた顔を誤魔化すため俺はぎこちなく笑いかけたのだが、その能面のように整った顔はピクリとも表情を変えず、ふっと視線をそらせた。
桜に耽溺していた顔を見られた気恥ずかしさから、それ以後かかわらないようにしていたのだが。はからずも、かかわらざるをえない事態が発生した。
なぜ、提出をこばむ?
本人が嫌がるなら、ノートなんて別に無理やり提出させなくても、テストの点だけで評価してもいいのだが……。しかし、ひとりだけ特別あつかいもできない。
俺は教師の威厳を最大限アピールすべく腕ぐみをし、指で顎をつまんだ。
「期末テストの後、もう一回ノートは提出してもらう。今回を含め二回もノートの提出がなければ、どんなにテストの点がよくても成績は『4』をつけざるをえないな。君、一年生の時はオール5だったんだよね? 二年生でもオール5、とりたいよね」
八重津さくらのプライドをくすぐる作戦は、功を奏したようで、弓なりの眉がピクリと動く。薔薇のように赤い唇の隙間から、深いため息とともに言葉が吐き出された。
「わかりました、ノートは提出します。でも、先生に直接わたしたい。誰もいないところで」
かんねんしたように眉をひそめる横顔を見て、勝ったという喜びよりも、頭にはクエスチョンマークが踊る。
誰もいないところ? なぜ……。
いっしゅん、鋭いナイフを持った姿が脳裏にフラッシュバックされたが、すぐさま妄想を追い出す。
軽蔑する教師から言いくるめられ、いたくプライドを傷つけられた。その腹いせに……じゃないよな。
ゴクリと唾をのみこみ、乾いた唇をひらく。
「わかった、明日の放課後、生徒指導室に来るように」
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