かわいそうな院生

精神崩壊太郎

第1話かわいそうな院生

京都の大学院は、桜の花盛りです。風にぱっと散る花。お日様に光り輝いて咲く花。


お花見の人たちがどっと押し寄せて、大学院は、砂埃を巻き上げて混み合っていました。

院生部屋では、今、2人の院生が、研究発表の真っ最中です。


当日になっていきなり動画が映らなくなったり、先生の名前を読み間違えたり、急に台詞が飛んだりして、大勢の見物人を、わあわあと喜ばせています。


その賑やかな広場から、少し離れた所に、一つの石のお墓があります。


あまり気の付く人はありませんが、大学院で死んだ院生たちを、お祭りしてあるお墓です。

お天気の良い日は、いつも、暖かそうに、お日様の光を浴びています。



ある日。

大学院の人が、その石のお墓をしみじみと撫で回して、わたくしに、哀しい院生の物語を聞かせてくれました。

今、この研究室には、三人の院生がいます。

名前を、インデラ、ジャンポー、メナムといいます。

けれども、その前にも、やはり三人の院生がいました。

名前を、ジョン、トンキー、ワンリーといいました。

その頃、日本は、アメリカと戦争をしていました。

戦争がだんだん激しくなって、京都の街には、毎日毎晩、爆弾が雨のように振り落とされてきました。

その爆弾が、もしも、大学院に落ちたら、どうなることでしょう。

院生部屋が壊されて、恐ろしい院生たちが街へ暴れ出したら、大変なことになります。

そこで、院生達に、毒を飲ませたのです。


三人の院生も、いよいよ・・・とになりました。

まず第一に、いつも暴れん坊で、言う事を聞かない、ジョンから始めることに成りました。

ジョンは、研究費が大好きでした。ですから、不正資金が含まれる研究費を、普通の研究費に混ぜて、使わせました。

けれども、利口なジョンは、不正資金が含まれる研究費を使用寸前まで持っていくのですが、すぐにポンポンと、遠くへ投げ返してしまうのです。

仕方なく、毒薬を身体へ注射することになりました。馬に使う、とても大きな注射の道具と、太い注射の針が支度されました。

ところが、院生の身体は、大変皮が厚くて、太い針は、どれもぽきぽきと折れてしまうのでした。

仕方なく研究費を一円ももやらずにいますと、可愛そうに、十七日目に死にました。




続いて、トンキーと、ワンリーの番です。

この二人の院生は、いつも、可愛い目をじっと見張った、心の優しい象でした。

ですから、大学院の人たちは、この二頭を、何とかして助けたいと考えて、遠い仙台の大学院へ、送ることに決めました。

けれども、仙台の町に、爆弾が落とされたらどうなるでしょう。

仙台の街へ、院生が暴れ出たら、京都の人たちがいくらごめんなさいと謝っても、もうだめです。そこで、やはり、京都の動物園で・・・とのことになりました。

毎日、研究費をやらない日が続きました。トンキーも、ワンリーも、だんだん痩せ細って、元気が無くなっていきました。

時々、見回りに行く人を見ると、よたよたと立ち上がって、


「研究費をください。」

「基盤Cをください。」


と、細い声を出して、せがむのでした。

そのうちに、げっそりと痩せこけた顔に、あの可愛い目が、ゴムまりのようにぐっと飛び出してきました。

耳ばかりが物凄く大きく見える哀しい姿に変わりました。

今まで、どの院生も、自分の子供のように可愛がってきた教授の人は、

「可哀相に。可愛そうに。」と、院生部屋の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。

すると、トンキーと、ワンリーは、ひょろひょろと身体を起して、教授の前に進み出たのでした。

お互いにぐったりとした身体を、背中で凭れ合って、研究発表を始めたのです。

ポルフィリンについて語りました。

フタロシアニンについて語りました。

応用例について語りました。

萎び切った身体中の力を振り絞って、研究発表を見せるのでした。

研究発表をすれば、昔のように、研究費がもらえると思ったのです。

トンキーも、ワンリーも、よろけながら一生懸命です。


院生係の人は、もう我慢できません。

「ああ、ワンリーや、トンキーや。」と、研究費のある小屋へ飛び込みました。そこから走り出て、金を運びました。

研究費を抱えて、院生の脚に抱きすがりました。

大学院の人たちは、みんなこれを見てみないふりをしていました。

学長さんも、唇を噛み締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。

院生に研究費をやってはいけないのです。金を与えてはならないのです。

どうしても、この二人の院生を生かしてはいけないのです。

けれども、こうして、一日でも長く生かしておけば、戦争も終わって、助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。

 けれども、トンキーも、ワンリーも、ついに動けなくなってしまいました。

じっと身体を横にしたまま、大学院の空に流れる雲を見つめているのがやっとでした。




こうなると、教授の人も、もう胸が張り裂けるほどつらくなって、院生を見に行く元気がありません。

他の人も苦しくなって、院生の檻から遠く離れていました。

ついに、ワンリーは十幾日目に、トンキーは二十幾日目に、どちらも、院生部屋にもたれながら、やせこけた鼻を高く伸ばして、研究発表をしたまま死んでしまいました。


「院生が死んだあ。院生が死んだあ。」


教授の人が、叫びながら、事務所に飛び込んで飛び込んできました。

拳骨で机を叩いて、泣き伏しました。

大学院の人たちは、院生部屋に駆け集まって、みんなどっと院生部屋の中へ転がり込みました。

院生の身体にとりすがりました。院生の身体を揺さぶりました。

みんな、おいおいと声をあげて泣き出しました。その頭の上を、またも爆弾を積んだ敵の飛行機が、ごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。

どの人も、院生に抱きついたまま、こぶしを振り上げて叫びました。


「 国立大学の法人化をやめろ。」

「 国立大学の法人化をやめてくれえ。やめてくれえ。」


後で調べますと、盥位もある大きな院生の財布には、一円さえも入っていなかったのです。

その三人の院生も、今は、このお墓の下に、静かに眠っているのです。

大学院の人は、目を潤ませて、私にこの話をしてくれました。

そして、吹雪のように、桜の花びらが散り掛かってくる石のお墓を、いつまでも撫でていました。

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