冬の略奪者

oyama

1 共存

 「わん公、行くぞ」

 「わんっ!」


 山で仕事をする機械共が落とした廃材を貰い、持っていたオイルライターを使って焚き火にする。トドマツを携帯鋸で倒した簡易的な小屋の中、真っ白な狼の子供と、同じく真っ白な瞳や髪や肌をした少女が、焚き火に背を向けて暖まっていた。少しでも寒さを凌ぐため、上着を腹側に着直し、背中を火にあぶる。


 「ふぅ……あったかいのぅ……」

 「わふ……」


 狼は少女にとても懐いているようで、少女がする行動をなんでも真似をしていた。少女が寝転ぶと、狼も少女にくっつくように寝転んだ。


 「お前は天然のカイロだの。知っとるか? カイロって言う体を温めてくれる物があったらしくてな。今じゃあ全部機械化しとるからの、カイロなんていう柔そうなもの、珍しい所か滅亡したんじゃないのかのぅ」


 「わふっ?」

 「ふっふっふっ……まあ、ゆうてわしも見たことも触ったことも無いがね。本当にあるのか危ういの。わしが調べた歴史書には色々載ってたから本当かもしれんが……まあ……遺跡でも行かん限りは、な。お前も見たいか?」


 「わふっ」

 「そうかそうか。んなら手始めに博物館でも行くとするかの」

 「わふっ!」


 少女は狼をわしわし撫でながら言う。彼女の提案に狼は嬉しそうに尻尾を振った。そして一人と一匹は焚き火の温かさに守られながら眠りについた。


 ふと目を覚ました少女は、がばっと起き上がると、「飯だ‼︎」と叫んだ。その声に狼も飛び起きた。


 「腹が減ってはなんとやらだ! 昼間採った山菜を飯盒で炊いて、捕ったリスはチタタプにしよう! お前が食べれるように味付けはシンプルにしような」

 「わふっ!」


 はっはっと舌を出しては口周りをぺろりと舐める。早く食べたいと言っているようだ。


 「お前知っとるか? チタタプっていうのはな、古代の北海地方に住んでいた先住民族の民族料理のようでな。彼らの伝統的な料理にチタタプやオハウっていうのがあるんじゃ。ついでにそのオハウも作るぞ」


 少女は持っていた、肉切り用まな板にリスを乗せ、ナイフで切れ込みを入れると手で皮を剥いた。その後ナイフを持ち直し、捌いていく。脳みそを後で食べれるように残しておき、食べられない臓器を取り除いて、細かく切り刻み、もうひとつナイフを持って骨や身を砕き、肉と共に細かく刻んでいく。


 「オハウは温かい汁物という意味らしい。チタタプは我々がたくさん叩いたもの、という意味らしいな。今回はチタタプも半分入れるからそれと、行者ニンニク、ナズナ、ノビルを飯盒に入れて煮炊きする。味付けはシンプルに塩のみだ」


 肉を刻む手を止め、飯盒で湯を沸かした後そこへ山菜を入れていく。塩をひとつまみ回し入れ、食べ頃になるまで待つ。


 狼にチタタプにした生肉を半分分けてやり、少女はオハウにスプーンで残ったチタタプを丸めて入れ、もう一度炊く。器はそのままにスプーンで掬い上げ、口いっぱいに頬張った。


 「うんまいっ! 美味いなあ!」


 狼も嬉しそうにがつがつとチタタプを食べた。オハウを食べ終えると、少女はとっておいたリスの脳みそに塩をかけて食べた。「食後はやっぱこれだな! 美味だ美味だ!」美味しそうに頬張りながら、最後にスープを飲んでまた寝転んだ。


 「明日はどこへ行こうか。機械共が植林やら伐採やらしとるから、ろくに動けもしないな……」

 「わふ……」

 「まあ、明日のことは明日考えよう。よし、今度こそ寝るぞーわん公」

 「わふっ」

 そうして、再び一人と一匹は眠りについた。


 焚火は静かになり、外の空気は澄んでいて、空も晴れていた。時計を持たないので明確な時刻は分からない。

 少女・マシロは相棒の狼のわん公を起こすと、荷物を持って簡易小屋から出発した。

 マシロはわん公の背中に乗り、町の方へ向かう。


 「折角昨日博物館へ行こうなどと話していたのだからな、行かない手はないな」

 「わふっ」


 森では木を伐採する機械共が忙しなく働いている。木に降り積もった雪がところどころに落ちる音が反響する。わん公は上からの雪、下の積雪に気を配りながら歩いた。ふと、先の方で何かが動いた。わん公は耳をそばだてる。


 「うん? どうしたんだ、わん公?」

 「わんっ!」


 マシロはわん公が注視する方を見遣る。そこから角が見えた。奥の木の影で鹿が何匹かいるようだった。


 「鹿だな。わん公、確かに朝餉あさげは食べていないが、今は町へ向かうんだ。鹿は追うな」

 「くぅん」


 残念そうに鳴くと、とぼとぼと方向転換をする。

 「よしよし、いい子だ」

 手を伸ばし、わん公の頭をやさしく撫でた。


 森はさほど広くはなく、開けた場所まで着くと、わん公は尻尾を振った。そこは崖になっていて、町を一望できた。

 「偉いな、わん公。ここだ」


 高床式で、自然落雪が可能な屋根がついた建物が多く並んでいる。屋根からは氷柱が垂れ、道路では雪上車が走っている。家屋周辺は積雪は少なく、それは地面を下の方から温め、雪が積もらないようにする工夫の一つで、この町・ニクスタウンではよくある光景だった。外を歩く人間はほとんど見かけることはない。決まった時間に雪上車の各停留所まで移動している為だろう。


 「大昔ではバスという乗り物が主流だったようだが、今じゃあそれも不可能だろう。雪上車がバス代わりだ。 ……よし、行くぞ。町の入り口へ行くんだ」

 踵を返し、町へ降りた。


 「ふむ……博物館は、……えーっと」


 森の中へ一度戻り、違う道をたどると、直接町の中へ通じていた。出入り口なのだろう場所には町の案内が書かれたホログラムがあった。マシロは背伸びをして、そのホログラムとにらみ合いをしていた。


 「どこだぁ?」

 「わふっ」


 わん公はマシロのすぐ後ろで座り込み、尻尾を振っている。ホログラムには地図と何言か文字が書かれていて、地図上には記号で施設や地域の位置や説明が書かれている。森に隣接する地域はほとんどが住宅地な為、施設がある場所まで行く為に、町の人は雪上車を利用している。施設が密集する地域は少し遠い距離にあるようだ。


 博物館、美術館などの施設はあまり人気もなく、来館者はほぼいない。少し前の世代では繁盛していたようで、建物自体は残っているが。手入れも行き届いておらず、廃墟同然となっていた。初めこそ地図に載っていたが、この頃は地図から消されてしまったようだった。例によって、このホログラムには載っていないようだ。


 「くそぅ……は博物館の偉大さが分からないようじゃな!」

 背伸びをやめ、ぷっくりと頬を膨らませる。

 「行くぞわん公。この地図は役立たずだっ」

 「わふっ」

 再びわん公の背中に乗り、町の中を歩き始めた。


 きょろきょろと辺りを見る。

 「この町は、本当によく分からんな。歩く人々はいない、だが雪上車はそこら中を走っている。本当に決まった時間くらいしか外を歩かんのだな。この町の人間は面倒くさがり屋ばっかりのようだ」


 住宅地を抜けると商店街に差し掛かる。

 商店街は屋根がついているので、ある程度人や人の手伝いをするためのロボットなどは見えるが、やはり歩く人は少ない。

 マシロはわん公の背中から降り、歩いて商店街の中を通ることにした。


 「あまり気は進まんが、ご老人なら、博物館とか、施設の場所くらいはわかるのでは」

 珍しく生身の人間が営む店の店主だろう老人や近くを通る何人かに話を聞いて回るも、「知らない」「行ったことがないのでわからない」「聞いたこともない」のオンパレード。地べたに手をつき、「もう、だめだ……」とマシロは弱音を吐いた。

 するとそこに、子供の声が聞こえてきた。


 「わー! なんだこれー!」

 「うん?」

 狼が珍しいのか、子供数名がわん公の背中に乗ったり、ひげや耳を引っ張ったりしていた。

 「こぅらぁーッ‼ 動物を無闇矢鱈にいじめるんじゃなーいッ‼」

 マシロはすぐに立ち上がり、子供たちに叫んだ。


 「わーっ! チビが怒ったー!」

 「やーいチビー!」

 「チビぃ!? チビだと貴様ぁッ‼」


 大人げなくマシロは子供たちを追い掛け回す。わん公は子供たちの握力ではびくともしないのか、座り込んで耳の裏を掻いて欠伸をした。


 「わふっ、わんっ、わふっ」

 わん公は子供たちを追い掛け回すマシロに鳴いた。

 「なんだい、わん公。こいつらをとっちめないと気が済まなくてな! 用なら後にしてくれ!」


 「なんだこいつーっ! 変なしゃべり方ー!」

 「変なのー!」

 「ガキのくせにー!」


 「うるさいぞ阿呆あほうがッ‼」

 「わふ……」

 彼らの、どんぐりの背比べとも思えるじゃれ合いに、わん公はため息をついた。


 散々構ってもらえて楽しかったのか、子供たちは満足した様子で「じゃあなー!チビー!」「また遊ぼうなチビー!」と吐き捨ててどこかへ走っていった。

 「……」


 一方、マシロはその場に倒れこんだ。

 「こ、子供というのは……恐ろしい生命力、だ……」

 肩で息をしながら呼吸を整える。


 「わふっ?」

 「まあ、いい。とりあえず、博物館探し再開、だな……」

 「わふっ」


 わん公はマシロの服を噛んで持ち上げ、自分の背中へと乗せ、歩き出した。

 商店街の中を歩き続け、道中不思議そうに見てくる通行人もいたが、マシロはそういった人たちに声をかけ、話を聞いて回った。しかし、有益な情報を持つ人はいなかった。


 「はぁ……やはり、歴史に興味を持たない人が多いんだな。この町がどういう経緯でこうなったのかとかも、微塵も興味ないんだろうなあ。ロボットとか、……いや、こんな世界になってから生まれたものに聞いたところで、無意味だな」


 狼の白い毛並みにしがみつき、埋もれながらため息をつく。

 「孤立無援、四面楚歌……そういうことか。だとしてもしなくとも、知識も興味もなさすぎる」

 「わふっ」


 不意に、わん公が立ち止まる。

 「ん? なんだいわん公」

 顔をあげ、背筋をピンと張る。商店街はまだ先に続いているようだが、何やら騒ぎが起きているようだ。野次馬が何かを取り囲んでいる。


 「何だろうね。行ってみようか」

 わん公は傍まで歩いて近づき、マシロはその場でわん公を待つよう言い残すと、野次馬の中へ消えた。


 「ちょ、と、通してくれ!」

 百二十あまりの身長な上に非力な少女であるマシロは、野次馬たちに揉みくちゃにされるも、なんとかその先へ行くことができた。

 ――嫌に騒がしい。


 「研究者だってよ!」

 「神の反逆者め、身の程を知れ!」

 「我々は天より授かった尊き命であり、この降り積もる雪も、神が我らに与えし試練ぞ!」


 「忌々しい御託を並べんで外界フォリスへ帰れ‼︎」

 マシロは、ああ、と納得した。

 野次馬が取り囲んでいるのは、書類をぶちまけたれた白衣を着た研究者の男だった。


 男は無感情な、何も写さないような瞳で書類をかき集め、通行人や野次馬に踏まれた書類を大事そうに拾い、抱えながらマシロの方へ走ってきた。


 マシロの存在に気が付いていなかったようで、男は足元にいたマシロに驚いた。避けるタイミングが合わず、マシロは男とぶつかり転倒した。野次馬はその様子を見て、「可哀そうに」「小汚い男、どこを見て走ってる」「走るなよ、危ないな」「お嬢さん大丈夫かい?」と手を差し伸べることもせず、決まり文句のように男を侮辱し、少女に同情した。


 マシロはこの一連のやり取りに苛立っていた。

 「す、すみません! お怪我は?」

 男はマシロに尋ねる。


 「大丈夫だ。お前こそ、大丈夫なのか? 書類なんて珍しいものを持っているから、そんなに目立っているのか? それとも、別の理由か?」

 姿勢を直し、男にまっすぐ目を向けた。そのまっすぐに目を見て話す少女に男は驚いていたが、すぐに目を伏せ、そうだな、と答えた。


 「少し話がしたい。どこか静かに話せる場所はないだろうか?」

 まるで生気がない男にマシロは問う。男は躊躇なく、「分かりました」と答え、立ち上がると、マシロに手を差し伸べた。


 手をとって立たせてもらうと、野次馬をかき分けてわん公の元へ戻った。

 「わん公、こいつはいい情報を持っていそうだぞ」

 「え?」

 「わふっ?」


   *


 マシロの問いに、男は「それなら、私の研究所などどうでしょうか。この近くにありますので……」と答えた。

 「よし、案内してくれ!」

 マシロはわん公にまたがり、男が案内する方向へ向かう。商店街を抜けると、交差点が現れる。


 「ここを渡ってすぐの場所です」

 信号に従って渡り、手前にある建物の前で男は立ち止まる。

 「ここです」

 「本当にすぐだな」


 見た目は普通の住宅のようだった。

 「どうぞ、中へ……」

 階段を上がると男は扉を開け、中へ入るように促す。


 「わん公は家に上がることは出来なさそうだから、お前は目の届くところにいて欲しいな」

 そう言うと理解したのか、わん公は裏手の方へ歩いていった。


 マシロは男とともに家の中へと入る。二重の扉を抜けると、屋内の暖かい空気が体にまとわりついてきた。

 「こちらにお掛けしてください」


 リビングへマシロを通すと、男は荷物をソファに置き、キッチンの方へ歩き出す。マシロは男が荷物を置いた反対側の玄関に近い、手前のソファに座った。男の様子を見て、マシロは言う。


 「悪いが」マシロの声に男は立ち止まる。「人が淹れた茶は飲まないようにしているんだ。勿論、食べ物もな。一応断っておくぞ」

 「そう、ですか。わかりました」


 そう言うと男は踵を返して先ほど自分の荷物を置いた方のソファに座り込んだ。

 「ええっと……では、改めまして。私はウィリアム・ロフスキーと申します。この町……いえ、世界では数少ない学者のひとりです。いや……もう、ほとんど学者も、研究者も、いないの、かな……」


 語り始めた刹那、自身が置かれている状況に切なくなってきたのか、元々猫背だった背中がさらに丸くなっていく。

 マシロはその男の様子を見て少し距離を置こうと身を引いた。


 「……そ、そう。だが、まあ。安心しろ、わしも学者だ。歴史学者だ。お前と似たような境遇だろう」

 マシロの言葉にロフスキーはハッとして顔を上げた。


 「が、学者……? 貴方が、ですか?」

 「そうだが?」

 何でもないように、きょとんとした。 


 「お、驚いたな……まさか、こんな小さな少女が、学者だなんて……」

 ロフスキーが小さく呟く。その言葉を聞いて、マシロはムッとした。

 「人を見た目で判断するのか。それはと同じだぞ」


 まるで説教をする母親のようにできる限り背を伸ばし、腕を組んで上からな態度をとった。

 「ああ……そうですね、確かに、そうだ。すみません……」


 「別にいい。ああ、そうだ。わしはマシロという。あの狼はわん公、あの大きさでもまだ子供のメスだ。わしはここら一帯の森で狩りをしたりして暮らしていてな、あとはほとんど町を転々としながら歴史について調べているんだ。もちろん、町の歴史ではなく、この世界の全てな。この現状の理解をしたいと思っているんだ。お前も学者なら分かるだろう? 突き止めたい、この衝動は他人によって止められるようなものではない、と」


 「ええ……ええ、分かりますとも。なんだ……こんなところに同志が……。学者、あるいは研究者という生き物は孤独です。孤独であり、全ての事象と向き合い続けるが故にそれらと連帯というものです。仲間は当然おりません。しかし、マシロさん。貴方がもし手伝ってくださるのなら」


 「ああ。だが条件があるぞ」

 「条件……そういえば、話がしたいと」


 「そうだ。実はな、わしはわん公と共に博物館へ行こうと思っていたんだ。少なくともこの町の歴史が記された資料があるのではないかと思っていたんだが。地図には載っていない、博物館の存在を知る者もゼロに近い。だから、同業者でもいれば話が早いと思っていたところなんだが」


 何か知っているかね、とそのまっすぐで芯のぶれない、澄んだ瞳でロフスキーをとらえた。

 見た目からは想像もつかないような圧力に、生唾を飲み込んだ。


 「博物館……ええ、確かにあります」

 前向きな回答にマシロは前のめりになる。

 「本当か⁉︎」

 「ええ、ですが、少々着くまでに時間はかかることでしょう」

 「構わない。だが、そうだな、道中で野宿ができそうな場所でもあれば、わん公と二人で行くつもりだ」


 「そうですか……うーん。民宿ならありますが、それでも彼女を連れて行く事は不可能に近いでしょうね。野宿と言えば、キャンプ場でしょうか。しかし、キャンプ場だってもう過去のもの、町の人からすれば野宿は自殺行為も同義ですから。野宿できる場所なんてせいぜい森くらいではないでしょうか? あとは、そうですね。電気供給が止まっている廃墟とか……廃墟なら、町の端の方にいくつか点在していますよ。確か、北の方にある繁華街とかもいいと思いますよ。最悪お店もありますし……ほとんどは廃墟ですが」


 「廃墟か……あまり出入りしたことはないな。だが、まあ……」

 「食べ物なら私がいくらか資金を分けましょう。このロボットをお使いください」


 ロフスキーがそう言うと、彼の背後から静かに人型に近しいロボットがやってきた。顔面が電子パネルになっていて、パネルは通常、目や口といった“顔”が描かれている。普通のロボットだと、パネルをタップするとある程度操作ができるようになっている。出かけている際、もしくはロボットに買い物を依頼した際などに手持ちの端末で遠隔でロボットを操作して、頼み事をすることが可能な便利なツールで、この町では安易に外を出歩くこともできないと考える人々が多く、こう言ったロボットを愛用している家庭がほとんど。そもそも町で住民登録をした時点でこういった用途を持つロボットが配布されるので、一般的と言えばそうなのかもしれない。


 ロボットはロフスキーの前までやってくると、「ゴ主人様、何カ御用デショウカ?」と機械音声で喋り出した。

 「ええ、彼女についていってあげて欲しいんです」


 「マシロだ。よろしくのぅ、機械さん」

 「初メマシテ。ワタクシハ、オ手伝イロボットノ“リトル・ダンテ”ト申シマス。ヨロシクオ願イシマス」


 リトル・ダンテと名乗るロボットは器用にお辞儀をした。

 「変な名前だなぁ!」

 「あはは、彼の名前は私の兄弟が勝手に名付けたんです。特に意味はないそうですよ」


 「そうかそうか! まあいい、よろしく頼むぞ」

 マシロは立ち上がると、リトル・ダンテの手を握り、握手を交わした。

 「ところで、マシロさん。今から向かうんですか?」


 そう聞かれて、マシロは窓の方を見やる。大きめの窓だ、外の様子が見えやすい。生垣の手前にはわん公の耳が若干見える。生垣の向こうは商店街、隙間に見える空は薄暗くなっていた。

 「やはり暗くなるのも早いな……」


 「ええ。今日のところはうちに泊まって行くのはどうでしょうか? 時間的に、これから向かったところで移動中に夜を迎えるでしょうし。少し休んでからでも遅くないと思いますよ。わん公さんもリビングにあげてもらっても構いませんので」

 「いいのか?」


 「はい。仲間がいるのは、心強いので……」

 嬉しそうな顔をして下を向いた。マシロはロフスキーを訝しげに見るも、窓の方へ歩き、開けてやった。


 わん公は嬉しそうに尻尾を振り、マシロを目掛けてリビングの中へジャンプして入った。

 「わっ!」

 衝撃で倒れ、わん公はすぐにマシロから飛び退き、頬を舐めた。


 「ふふ、くすぐったいぞ〜わん公」

 「わふっ」

 嬉しそうに戯れ合うマシロとわん公を見て、ロフスキーはキッチンへ向かった。

 「ゴ主人様、オ手伝イ致シマス」


 「ありがとうございます、リトル・ダンテ」

 孤独であると言った学者にも、寄り添うように働く家族ロボットがいた。


 上着やマフラー、帽子を暖炉の近くに椅子を設置し、それに掛けて暖め、その近くでわん公は夕餉ゆうげをご馳走になっていた。彼女の大好物である鹿の生肉だった。


 マシロは先程座っていたソファに座り、テーブルに並ぶご馳走を頬張った。

 「そんな薄着にあの上着一枚で過ごしているのか……逞しいな」

 「そうか? いつもこうだぞ」


 湯気のたつ、真っ赤なビートルートのスープに浮かぶ乱切りのじゃがいもを美味しそうに頬張る。

 「本当に貴方は分からないな。おいくつなんですか?」

 「さあな。誕生日だって知らないからな」

 「ずっとこの見た目というわけでもないでしょう?」


 「そうかもしれない。だが、ずっとこうだ。気がついたらこうだった、が正しいか」

 適当に答えつつ、今度は焼き立てのパンに齧りつく。ほくほくと湯気が出ている。悴んでいた手で持つも、温度の差に少し驚きつつ、パクリと大きく一口。香ばしい匂いが鼻を抜ける。


 「……なんとも、悲しい」

 「そうか?」

 そう言いながら鹿肉のステーキを堪能した。口に広がる芳醇な旨味、ソースの塩味、野生的な味わいが口の中で溶け合う。手間を加えただけで、ただ焼いて食べるよりも格段に味のレベルが上がる。


 ロフスキーはきょとんとしたマシロの顔に驚いたが、当の本人は何一つ気にしていない様子だった。

 「そういえば、先刻まで他人ひとが出したものには手をつけないと仰っていたのに」


 「ああ。そうだな」

 「良かったんですか? あなたはそれで」

 「お前を見ていて、特に害はないと判断したんだ。それにわしもわん公も腹が減っていたしな。今日はまだ飯を食べていなかったもんで」


 食器同士が当たって音が鳴るほど、がつがつと勢いよく食べ進めるマシロ。

 「いやしかし美味いなあ! 二人で作ったのか?」

 「ええ、まあ……ほとんど、リトル・ダンテですが」


 「ハイ。ワタクシガ」

 「機械だからか? それとも、二人で作ったから美味いのか?」


 「どうでしょう。マシロさん、普段は森で過ごされているんですよね? それならとても野生的なメニューを食べてらっしゃるんでしょう。だからきっとこの味付けとか、相当上品なものに感じるのではないでしょうか?」


 「そういうもんかのぅ」

 会話をしつつ、あっという間に料理を平らげた。ロフスキーは未だスープを飲み干してもいなかった。

 「ああ、ごめんなさい。私、食事が遅い方で……」


 「気にするな。食事は味わうべきだからな。わしは、ほら。野生児だから」

 「そ、そうですか……そんなふうに言っていただけたのは、初めてです……」

 今にも泣きそうな声色で頭を下げた。


 「やめろやめろ、辛気臭い! ああ、そうだ。今夜、どこで寝ればいい?」

 「この階だとこの部屋しか広いスペースはなくて、2階は狭いですがベッドがあります。地下もありますが、地下は私の研究部屋なので……」

 「そうか。ならここでいい」


 「わかりました。リトル・ダンテ、毛布を持ってきてください」

 「カシコマリマシタ」

 電子パネルの顔がにこりと綻ぶと二階へ上がっていった。


 静かに、丁寧にロフスキーは料理を食べ進めていく。

 マシロはわん公の元へ行き、頭を撫でた。隣に腰を下ろし、暖炉の火に当たる。

 「温かい。とても」


 ――暖炉の火を見るのはいつぶりだろうか。

 「わふっ」

 マシロの膝にわん公は顔を置いた。マシロを囲い込むように丸くなり、浅い眠りについた。可愛らしい寝顔を見て、微笑むともう一度頭を撫でてやった。


 ロフスキーが食べ終える頃に、リトル・ダンテは毛布を持って戻ってきた。彼に向けて、しーっと口に指を当てる。「静かに、彼女に優しくそれをかけてあげて、寝かせてあげてください」とロフスキーは頼んだ。


 リトル・ダンテはにこりと微笑み、無言でお辞儀をすると、マシロの方へ向かい、すぅ、すぅと寝息を立てる少女を、クッションに頭を乗せる形で寝かせ、持ってきた毛布をかけてやった。わん公は静かに起き上がり、マシロの横に添うように再び浅く眠りについた。


 「リトル・ダンテ、先程のこと、すみません。今度こそ……彼女が家を出るタイミングでついて行ってあげて欲しいです。大丈夫ですか?」

 「ハイ、問題アリマセン」

 「そうですか、良かった」


 ロフスキーは皿を重ね合わせ、キッチンへ持って行こうとする。リトル・ダンテも同じようにしてロフスキーの後ろをついていった。


 翌日、時刻は十一時。

 外は晴れていて、比較的温かい。朝早くから起きていたロフスキーとリトル・ダンテは昼餉の準備を始めていた。


 「マシロさん、なかなか起きないですね」

 「起コシマショウカ?」

 「うーん。もし、昼食の際にまだ寝ていたら起こしましょうか」


 「了解シマシタ」

 暖炉の傍でうーんと唸って寝返り、わん公の背中に足を乗せる。しかし、起きる気配はない。わん公は起こそうと立ち上がり、マシロの足は床にどんっと音を立てて落ちる。


 「いっ、たい! うー……」

 流石に痛かったのか、痛みに堪える表情をし、声を漏らすも、まだうーんと唸ってばかりで起きない。

 その様子を見兼ねて、わん公はマシロの頭を噛んだ。


 「っ⁉︎ いったぁーいー‼︎」

 「わんっ!」

 わん公自身、軽く噛んだつもりだったが、柔い肌をしているマシロには充分な痛みだったようで、あまりの痛みにその場で転げ回っていた。


 「痛い、痛い、痛いっ」

 「ど、どうしたんですか?」

 ようやく起きたかと思えば、何やら痛みに悶絶しているマシロの声を聞きつけ、ロフスキーとリトル・ダンテは彼女らの元へ駆け寄った。


 「噛マレタンデスカ?」

 「そうだよっ‼︎」

 頭を押さえながら、逆にマシロが今にも噛みつきそうな勢いでリトル・ダンテに吠える。


 「そ、それは……マシロさんがなかなか起きないからでは?」

 「だからってぇ! 噛むことはないだろうっ!」

 当の噛んだ本人はマシロから目を逸らしていた。

 「……まあ、特に出血や傷は見当たらないようですし。大丈夫なんじゃないですかね」


 そう言うロフスキーの横で、リトル・ダンテは「一応診テアゲマショウ」と言ってマシロのそばに片膝をつく。

 「ココニオ座リクダサイ、マシロ様、診マスノデ」とリトル・ダンテはマシロを座らせ、頭部を診た。彼女らのことは任せようと思い、ロフスキーは再びキッチンへ向かい、昼餉の準備を続けた。


 わん公はマシロとリトル・ダンテのやり取りを眺めた後、キッチンの方へトコトコ歩いて行った。

 「わふっ」

 「わん公さん、もう少しで昼食ですからね」


 「わんっ」

 了解したのか、わん公は昨日マシロが座っていたソファへ向かい、何の気なしにソファの上に座った。わん公の大きな体躯を支えるソファは大分凹んでしまっている。

 「わん公さん……、わん公さんはソファを降りて、せめてクッションに座りましょうか」


 数分後。先にわん公用に昼餉を持ってきたロフスキーが言った。ロフスキーに言われ、わん公は移動してソファの横の大きめのクッションの上に座った。

 その足元に生の鹿肉を載せた皿を置くと、わん公はガツガツと嬉しそうに食べ始めた。


 ふふ、と微笑み、マシロたちの方へ振り向く。

 リトル・ダンテはマシロの頭を優しく撫で、「大丈夫ソウデスヨ。モウオ昼ノ時間デスカラ、シャントシマショウネ」とマシロを立たせた。「はーい」と間延びした返事をすると、とぼとぼとソファへ向かって歩いてくる。


 「今料理持ってきますからね」

 「おー」

 キッチンへと戻り、マシロの前に料理を並べる。


 昼餉は、焼き立てのパンと鹿モモ肉のソテー。マシロは手を合わせ、お辞儀をした後パンを片手に頬張り、鹿肉をフォークで刺して口へ運ぶ。バターの風味、鹿モモ肉の柔らかな食感、舌触り。臭みはなく、昨日のステーキとはまた違った旨味がある。


 「ん〜! 最高だな、ロフスキー!」

 「ありがとうございます」

 ロフスキーも自分用の料理と、リトル・ダンテは彼が飲む為のワインとワイングラスを持ってきた。

 「む? ワインか。良いじゃないか! わしにも分けてくれ!」


 「え! ダメですよ。子供がワインなんて」

 「だぁかぁらー! 子供じゃないんだってば!」

 「子供です」

 ロフスキーはリトル・ダンテに「ありがとう」と言って受け取り、ワイングラスにワインを注ぐ。頑なにマシロはロフスキーに強請るも、断固として貰える事はなかった。


 不貞腐れ、テーブルに突っ伏しながら、パンをちぎって食べる。

 「ワイン好きなのに……」

 テーブルに頬をつけ、ひたすらパンをちぎって食べるマシロにロフスキーははあ、とため息をついた。


 「分かりました。じゃあ、一杯だけですよ」

 リトル・ダンテはマシロのためにワイングラスを一つ持ってきた。

 「良いのか⁉︎」

 「どうぞ」

 そう言ってワイングラスにワインを注いだ。マシロはきらきらと目を輝かせ、香りを堪能した後、口をつけた。


 「美味いっ!」

 マシロ、ロフスキー、わん公、そしてリトル・ダンテは嬉しそうに、楽しげに昼餉の時間を過ごした。

 「それで、いつ向かわれますか?」


 マシロは飲み干したグラスを置き、伸びをした。

 「そうだな、もう出るかい、わん公」

 「わふっ?」


 食後に眠気に襲われたか、わん公はクッションの上でうとうととしていた。

 「それなら色々と準備も必要でしょう。リトル・ダンテの他に何か手伝える事はありますか?」

 暖炉のそばに掛けてあった衣類を着用しながら、「いや、あとは大丈夫だろう」と答えた。


 「サバイバルグッズは自前で持っているしな。リトル・ダンテが食べ物を買ってくれると言うならそれを利用しない手は無い。雨風を凌げる場所もあるのであれば、わしの持っている物以外は外にあると考える。ならば、お前の“手伝い”は彼だけで十分だ。それに、お前は良いのか? 彼がこの家から出て、わしらと共に行動するとなると、帰るのも遅くなるし、その間は買い物もできないだろう?」


 「そうですね。でも、食べ物は貯蓄があるので問題ありませんし、リトル・ダンテが帰るまでの間は地下に籠ることになりそうですしね。私のことは気にしなくても大丈夫ですよ」


 「そうかい」

 着替え終えると、傍に置いていたバッグを肩にかける。

 「よし、わん公、リトル・ダンテ、行くぞ」

 「ハイ」

 「わふっ」


 わん公は窓から外に出て、マシロとリトル・ダンテはロフスキーとともに玄関を出た。わん公が走って表へ出てくると、マシロの服を噛み、背中に乗せる。


 「昨日話したここから繁華街へ向かってみてはどうでしょうか? ここから北へずっと向かっていくとあります。商店街より多くの専門的な店があったり、寝床の確保もできるでしょうし。地図はリトル・ダンテに搭載されていますので、是非参考にしてください」


 「ありがとう、ロフスキー。ある程度用事が済んだらリトル・ダンテと共にここに戻って来よう」

 「はい、待っています」


 相変わらず人通りが少ない路地を、大きな狼の背に跨り歩いていく。先頭を、狼をナビゲートするように歩くロボットはどこか楽しげである。

 彼らの背を眺め、寒さに身を震わせながら家の中へと戻っていった。


   *


 扉を閉め、ふぅ、とため息をつく。すぐ傍にある階段を降りて行く。

 地下室には書類が散らかっていた。所々に空いている隙間を踏み、書類を避けながら歩いていく。


 地下室は広めの部屋が一室だけで、階段を降りるとすぐにその空間は広がっている。

 奥に広めの机があり、黒いレザーチェアが転がっている。


 薄暗い照明には蜘蛛の巣が張っていて、この空間がとても不気味な部屋の様に感ぜられる。

 四方に設置されている背の高い本棚も、上の方は手入れがされていないのか、やはり蜘蛛の巣が張っている。

 一見すると、何者かが侵入して部屋を荒らしたように思われるような状態だった。だが、この部屋を散らかしたのは紛れもなくこの男だった。


 ロフスキーはレザーチェアを起こして座った。

 今度ははぁ、と深いため息をついた。

 机に肘を立て、頭を抱える。


 「あの少女、どこかおかしい。僕よりもこの世界に詳しそうだった! それにワインを嗜む少女なんて見たことも聞いたこともない! 僕よりワインの嗜み方を知っていて、……僕よりずっと上手く馴染んでいる、この世界に……。そして、彼女は、この世界を憎んでいるんだ……。だから、抗っているんだ。あの時彼女は、……彼女は周囲の人間に軽蔑するような目を向けていた! 人間が嫌い? だから森で過ごすのか? まるで、大昔存在していたとされる魔女のようだ。きっと、彼女は、


 ――あの女は魔女だ……‼︎」


 確信したように叫ぶ。

 ロフスキーはハッとしたように立ち上がると、本棚を手当たり次第に漁り始めた。手に取っては「これじゃない」と投げ捨て、手に取っては「違う」と投げ捨てる。

 「あった!」


 ようやく見つけた本の表紙には、「――」と書かれてあった。表紙は所々黒ずんでいて、埃をかぶっている様でとても汚い。


 「ああ、これだ」

 すぐにパラパラとページを捲る。


 そこには、様々な人物画や説明書きが書かれてあった。本自体がとても古いもののようで、ページ全て汚れていたり、文字が読みづらくなっていたりしていたが、かろうじて読むことができた。


 「……魔女、……であって、……という――……ああ、やはり、人間として見るべきではないのか……」

 独り言ち、本を閉じた。

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