君臨する軟体

君臨する軟体1

 王国。

 それはこの世界において、最大の国家である。数多の人口を有し、技術開発や生産能力も優れた、最も発展した国とも言われていた。

 ……そして此処帝国は、何時もその王国と比較される『二番手』である。

 王国に次ぐ領土面積。

 王国に次ぐ経済規模。

 王国に次ぐ科学力。

 説明する時、何時も頭に付く言葉は王国に次ぐ。帝国市民は闘争心が激しい訳ではないが、毎度王国と比較されては意識もするというものだ。尤も二番目だという自覚もあるので、隣国同士でありながら戦争をした事は(少なくとも直近百年ぐらいは)ないのだが。

 さて。そんな万年二番手の帝国の中で、唯一王国に並び立つ、或いは上回る豊かさと称されるのが首都の帝都である。

 人口は帝国の数ある都市の中でも最大の十五万人以上(と言われている。移住者・出生者・出国者が多過ぎて正確な人数は不明)。人が多い分経済も活発で、毎年大きな発展を遂げているという。暮らしている市民の生活水準は高く、彼等の住まいである帝都を形作る建物は煉瓦作りの小綺麗で丈夫なものが殆ど。中には貴族が住まう、普通なら何十人と暮らせそうな豪邸もちらほらと見られる。

 無論全ての家が豪勢ではなく、人通りの少ない場所の家々は比較的小さなもの。空き家などもちらほらと見受けられる。しかし何年も放置された、朽ちかけた家は見付けられない。精々窓枠が壊れている程度で、貧しい農村で見られるボロ小屋一軒家と比べれば遥かにマシだ。空き家になってもすぐに次の住民が決まるという事であり、ここでも帝都の豊かさが窺い知れた。

 表を見ても、影を見ても、辺境とは比べるまでもなく裕福な都市……それが此処帝都だ。

 そのような帝都の中で、『冒険家ギルド』と呼ばれる組合がある。

 冒険家ギルドは帝都のみならず、世界各国に存在する組合だ。主な業務内容は民間・政府問わずに出された依頼を受け、その問題を解決する事。とはいえなんでも屋という訳ではない。基本的には町の『外』と関わる仕事を受けている。例えば他の町へと行くので護衛を頼みたい、荷物を遠方に届けてほしい、薬の材料となる薬草を採取してくれ……等がよくある仕事だ。そしてこれらの需要は非常に多く、どの冒険家ギルドも常に数多くの依頼が張り出されている。

 その依頼を受ける事を生業としているのが、ギルドの名にもある冒険家と呼ばれる者達。

 帝都に存在するとある冒険家ギルドの中も、大勢の冒険家で賑わっていた。ギルド内には何十という数の椅子と机が用意されていたが、どれも埋まり、立っている者がその倍近い数いるほど。彼等の身形や背格好に共通点はない。性別も様々で、歳は若者が多いが少数の屈強な老人も見られる。指がない、隻眼など身体的欠損のある者も少なくなかった。

 そうした多種多様な人々の中では彼女――――スピカの容姿は、左程目立つものではない。


「……ふむ」


 建物の壁に張り出された依頼内容の書かれた紙(植物繊維を用いた安価なもの。貴族からの依頼など格式の高いものには羊皮紙を使うが、一般市民の依頼なら大抵植物質の紙を使う)。その中の一つを手に取ろうと、スピカは片手を伸ばす。

 スピカの身長は百六十八セメト。齢二十二の女性としては比較的高身長であり、一番高いところにある紙にも難なく手は届く。伸ばした腕は細いが、しかしそれは筋肉により引き締まったもの。身体の方も比較的筋肉質で締まった見た目をしている。例外的に柔らかそうなのは、一般よりもやや大きな胸ぐらいか。

 顔立ちは歳の割に童顔で、目付きも穏やか。人間としては珍しくもない黒い瞳も、澄んでいれば十分魅力の一つだ。柔らかで女性的な唇、艶のある肌は男達の気を惹くであろう。胸の辺りまで伸ばした黒髪は頭の後ろで結び、さながら『馬の尾』のように纏められている。束ねている紐は黒いもので、お洒落さには欠けていた。

 着ている服は一枚の大きな革で作られたもの。ある特殊な獣の皮から作り出されたこれは肌に吸い付くように締まり、スピカの肢体の輪郭を浮かび上がらせる。脱ぐには服の前面にある紐を解き、上半身をはだけさせた後に足を抜かねばならない構造だ。足には革製の靴を履き、腰には帯革がぐるりと巻かれ、その帯革に小さな合切袋が幾つもぶら下がっている。また彼女の背丈よりやや小さな弓と、その弓で用いる矢の入った筒が背負われていた。

 この服装はスピカにとっての『仕事着』。動きやすく、それでいてそこそこ丈夫な服だ。そんな彼女は今仕事探しの真っ最中。張り出された依頼書を吟味し、自分に合った仕事を探していた。


「(カルボン村へ手紙を送ってほしい、か)」


 今し方手にした依頼書に書かれていた依頼内容は『手紙の配送』。

 依頼書曰く「親戚のいる村が獣に襲われ、大きな被害が出たと聞いた。安否確認の手紙を届けてほしい」というものだ。村の位置から考えて、旅の行程は往復四日といったところ。

 手紙を送ってほしい、という依頼自体は珍しくない。だが一つ、特徴的なものがあった。

 報酬の高さだ。この依頼の報酬は往復四日分の『旅』をするのに必要な経費を十分賄えている。これはただ手紙を出すだけなら破格の値段設定だ。通常は、この十〜二十分の一程度の報酬である。

 おまけに料金は全額前払い。前払いの利点としては、信頼を保つためギルド側は優秀な冒険家に仕事を任せる事となり、依頼の成功率が格段に高くなる。少なくともそこらに手紙を捨てて「終わりましたー」等と報告する不埒者が担当する事はない。しかしどれだけ優秀でも失敗確率はゼロにはならない。故に大抵の依頼は後払いにするものだ。

 この依頼何か裏があるか? と勘繰りたくもなるが、安否確認の手紙、という性質を鑑みれば納得がいく。一般的にこうした「何かを運んで」系の依頼は、一人の冒険家が十〜二十件ほど纏めて受ける。依頼一件では赤字になる旅でも、十件分の報酬をもらえば利益が出るようになるからだ。依頼主も一人一人の負担が小さくなる。しかしこれは、同じ目的地の依頼が利益の出る数が集まるまで、誰も受けてくれない事を意味する。大きな都市への手紙なら一日待たずに済む事も多いが、小さな村となると何ヶ月待つか分かったものじゃない。

 安否確認というのは緊急のものだ。半年後に送った手紙が、一年後に返ってくるなんて我慢出来る訳がない。ましてや悪い知らせなら……大袈裟な話、心労で人死が出るだろう。よってすぐに手紙を届けてもらわねばならない。

 ならば十件分の依頼料が必要だ。赤字で手紙を届ける酔狂な輩は早々いないのだから。

 それがこの依頼の報酬の理由だろう。尤もいくら高額とはいえ実費が賄える程度なので、スピカが手にする今の今まで残っていたのだろうが。

 しかしスピカは他の冒険家とは違う。

 彼女はあまり金稼ぎに興味がない。四日分の『日銭』を得られると思えば、依頼の簡単さを思えば悪くない条件だと思うのだ。


「良し。これにしよう」


 手にした依頼書の内容を読んだスピカは、独りごちるやその紙を持って冒険家ギルドの奥にある『受付』へと向かう。

 冒険家ギルドには、一般的に一つの店内に二種の受付がある。一つは一般市民が依頼を行うための受付。もう一つは、掲示された受付を受けるべく、冒険家達が手続きを行うための受付だ。

 スピカが向かったのは、冒険家達が使う方の受付だった。受付には若い、スピカと同い年程度の女性が一人いて、スピカが来るとにこりと微笑む。

 スピカは依頼書を女性の前に出し、仕事の話を始めた。


「この依頼を受けたいんだけど、手続きしてもらえる?」


「承知しました。資格書の提示をお願い致します」


 スピカは腰にある合切袋の一つから、一枚の金属板を取り出して提示する。

 冒険家ギルドの依頼は誰でも受けられるものではない。資格を有した者だけが、認められた『階級』の依頼だけを受けられる。階級は五級から始まり、最上位は一級。冒険家は自身の階級と同じ階級までの依頼を受ける事が可能だ。冒険家及び依頼の階級付けはギルド、つまり人が行うため、必ずしも(特に依頼の方は)正しい階級とは限らないが……目安として使えはする。

 スピカの冒険家としての階級は三級、今回受ける依頼は五級。五級の仕事は正に初心者向けのものだ。対してスピカの三級は、多くの冒険家にとって『壁』に位置する。若くしてこの階級に辿り着くのは、かなり優秀な冒険家と言えよう。スピカからすれば此度の依頼、極めて簡単なものと言って良い。

 それでも、そのまま「はい良いですよ」とはならない。実際に仕事を任せるかどうかを、ここ最近の依頼内容や成功率からギルドの受付が判断するからだ。スピカに関して言えば、この点についても問題はない。彼女自身が思い返せる範囲の仕事は全て成功させていて、仕事内容も三〜四級が殆ど。五級を任せられない理由は、スピカが考える限りない。

 それにスピカと受付は顔馴染みだ。規則を破る事はなくとも、今更厳密な審査を必要とする関係でもない。


「……はい、審査が完了しました。問題ありません。依頼の受諾を許可します。こちら前払い金です」


「はい、ありがと」


 すんなりと発行された許可証を、腰の合切袋の一つに折り畳んでしまう。

 普通は依頼完了後にこの許可証と照合して、ギルド側から代金を受け取る。そのためこれをしっかり保管しておかないと、最悪依頼完了後に代金の受け取りが出来ない。ギルド側でも控えを作るのでそうなる可能性は低いが、色々手続きが面倒であるし、万一を考えると万全を期しておくに越した事はない。今回は前払いなので、大事にする必要はあまりないが。

 依頼を受けたら、次は準備だ。仕事内容にあった装備を整えなければならない。その買い出しをするため、スピカはギルドを出て商店が並ぶ大通りに行こうとする。


「よお、スピカ。久しぶりだな」


 その間際に、スピカは横から声を掛けられた。

 振り向けば、そこにいたのは金属製の鎧を纏う身長百八十セメトはありそうな大男。屈強な肉体と強面の顔の持ち主であるが、人当たりの良い朗らかな笑みを浮かべている。

 スピカとこの男は知り合いだ。二級冒険家で、スピカの先輩である。冒険家になったばかりの頃は色々教えてくれた、世話好きの男だ。出会った時は下心があるのではないかと疑っていたが、今では ― 冒険家としては珍しいぐらい ― お人好しだと知っている。

 今回の依頼は期日に余裕がある。しかし準備を行うための買い物は早く済ませた方が良い。冒険家が多い帝都では、冒険家が使う道具の売れ行きは好調。道具は割とよく売り切れていて、最悪準備不足での出発を余儀なくされてしまう。だから普通の冒険家は準備中の無駄話を好まない。

 とはいえ相手は先輩であり、世話になった人である。声を掛けられて無視するほど、スピカは彼の事を嫌ってはいない。


「あら、久しぶり。元気してた?」


「元気元気。何しろ最近結婚してなぁ」


「……え、嘘。結婚? 何時?」


「二年前。娘も産まれたぞ」


 全然最近じゃないじゃない、と頭の中で突っ込みを入れるスピカ。とはいえこれはスピカが悪い。

 多くの冒険家は、一つの町や村を拠点にして仕事を行う。家を持ち、仲間を作り、そこで一生を送る……極々普通の市民だ。

 ところがスピカは家を持たない。ぷらぷらと外を出歩き、野宿を基本にして日々を過ごす。しかも町から町へと気ままに移るため、一箇所に留まる事もない。

 そのため知り合いと顔を合わせる事が、年に一度あれば良い方という有り様なのだ。この先輩とはもう三年も会っておらず、結婚だの娘の誕生など、知る由もなかった。


「そんでまぁ、近々王都に引っ越す事にした。あっちの方が安全な依頼が多いからな」


「あらあら、いっちょ前に親になっちゃって……」


「はははっ。お前も程々にしとけよ。今日はなんの仕事を選んだんだ?」


「今日は手紙の配達。この前獣による大きな被害があった、カルボン村にね。親族が安否確認したいみたい」


「……ふぅん。あの村までなら、大した獣も出ないし、お前でも安全だな」


 考え込み、そして忠告するように先輩は語る。

 悪意がないのは分かっている。しかしスピカは僅かに唇を尖らせた。もう三級冒険家という『一人前』であり、初心者みたいに扱われれば気分も損ねるというものである。


「その言い方は癪に障ります。そりゃ、先輩ほど戦いは得意じゃないですけど、私だってもう三級ですよ? 外にいる期間なら私の方が長いかもですし」


「ははっ、違いない。お前に小言は必要ないと思うが、一応な。しかしお前は相変わらず一人で仕事しているんだな」


「群れるのは好きじゃありませんから。だって他の人と一緒だと、好きな時に好きな事も出来ないでしょう?」


「……ま、お前がそう言う事は分かっていたがな。俺と組まないかと言った時も断ったんだし。だがやっぱり一人だと色々な」


「心配してくれてありがとうございます……では、私はそろそろ行きますね」


 話を打ち切るように男の話を遮ると、スピカは再びギルドの外に出ようとする。


「ああ、そうだ。最後に一つだけ」


 そんなスピカをもう一度先輩は呼び止め、こう告げてきた。

 無視して行っても良かったが、しかし先輩の口調が少しばかり真剣味を帯びている。その事に気付いたスピカは足を止め、先輩の顔を見遣る。

 その判断は正しかった。


「近隣での活動がまだ確認されているらしい。それだけ気を付けな」


 スピカの仕事にとって、極めて重要な情報を教えてくれたのだから。


「……まだそんな時期でしたか? 最近帝都から離れていたので、季節感がちょっとズレたかも」


「いいや、ズレてない。この前も大雨が降ったしな。普段なら奴等はとっくに眠ってる頃だ。ただ、何故か今年は今になっても目撃例があってな。襲われた奴もいるし、なんなら喰われた奴もいる。それに食べ残しをギルドが確認している」


「うへぇ。スライムの食べ残しって、喰われ方の中で一番エグいやつじゃないですか」


「だからこそ間違いはない。活動している奴がいるのは確実だ」


 先輩の言葉を、スピカはよく噛み締める。情報は重要だ。正しい行動の指針となる。

 勿論中には嘘や出処不明の噂もあるが、この先輩からの話であれば、スピカとしては全面的に信頼出来るものだと考えていた。


「分かりました。気を付けます……まぁ、アレ相手じゃ会わないようにするしかないですけど」


「まぁな。神頼みでもしとくか」


「それは性に合わないから止めときます。普段頼ってない奴がいきなり拝んでも、神様だって顔を顰めるでしょうし……では、いってきます」


「おう、いってらっしゃい」


 先輩との会話を終わらせ、スピカは今度こそギルドの外に出た。

 人通りの溢れる大通り。そこで一旦足を止めて、スピカは一度深呼吸をする。

 次いで、パチンッと頬を叩き、快活な笑みを浮かべる。


「良し。今日も頑張ろうっ」


 気合いの言葉を発したら、スピカは人混みに向けて歩み出す。

 自分の命を預けても大丈夫だと思える程度の、徹底的な準備をするために。

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