ツンデレ義妹に『いなくなれ』と言われた俺は本当に行方不明になった

うさこ

いなくなれ


「なぜ満点ではなかった? だから貴様は私の血を引いていないんだ」


 淡々とした口調で俺、東郷武志とうごうたけしを床に叩きつける親父。

 畳が自分の鼻血で汚れていく。体中が軋むように痛む。


「いてえな糞親父!? わざと間違えたんだよ!! いつも満点じゃクラスメイトからドン引きされるだろ!!」


 倒れるたびに素早く起き上がる。親父は再び俺を床に叩きつける。その繰り返しだ。

 親父は小5のガキに対しても容赦ねえ。

 これ、俺じゃなきゃ多分死ぬぜ……。


「……今日はここまでだ。あとで反省点をレポートにまとめて田崎たざきに渡しておけ」


「………りょ」


 終わり間際が一番油断しやすい。

 だから俺は油断しない。吐きそうな身体を無理やり抑え込んで敬礼をする。



 俺はこの家の子ではなかった。

 数年前、小学校低学年の時に、俺の両親は死んだ。どういう経緯かわからないが、俺はこの東郷家に引き取られた。


 下賤な庶民である俺は東郷家にとって出来損ないであった。








「あなた、またヘマしたのね。……汚いから近づかないで」


「うっせえよ、玲香れいか。どっかいけよ」


「なっ!? あ、あなたはまたそんな言葉遣いで……。あなたは仮にも東郷家の長男ですのよ」


「いやさ、どこぞのクソガキを引き取ってくれて感謝してっけど、俺はこの家のお荷物だろ? 成績も素行もわりいしな」


 血がつながっていないけど、俺には家族がいる。

 道場を出て、廊下で義妹の冷夏と出会った。義妹と言っても同学年だ。

 親父に似た威圧的な眼差しで俺を見据える。全然怖くねえけどな。


「お父様に言って学校を変えてもらうわよ」


「はっ? てめえふざけんじゃねえぞ? 俺は今の学校が気に入ってんだよ」


「いえ、あの学校は東郷家にはふさわしくないわ。あなたは、わ、わたしと同じ学園に通いなさいよ! お、お父様に言いつけるわ!」


 俺は学校ではバカみたいに明るく、みんなと楽しく過ごしている。

 両親をなくした俺に唯一残っている居場所。

 学校にいる時だけは俺の安らぎであった。


「だ、だって、あなたはいつも学校の女子の話ばかりするのよ。ふ、不潔よ。べ、別に私があなたと一緒にいたいわけじゃないから勘違いしないでほしいのよ。田崎、お兄様は鼻血を出しているわ。手当なさい」


 執事兼護衛の田崎が俺を背中から羽交い締めする。


「ちょ、田崎のおっさん? 玲香!!」



 ほっぺたを膨らませて興奮している真っ赤な顔の冷夏。

 俺はこの家で立場が一番低い。それは子供心ながら理解している。

 引き取ってくれた親父には正直感謝している。


 俺の人生は決まっている。この家の言うことを聞いて生きる。

 高い学費も生活費も出してもらっている身だ。わがままは言えない。


 俺は自分の意思を殺さなきゃいけない立場だ。

 決められた学校、決められた勤め先。

 大人しくなった俺は、小声でつぶやく。


「……わかった。お前の学園に転校してやる」


「――――っ。そ、そうね。わ、分かればいいのよ。おほほ、そうよ、出来損ないのお兄様はわたしには逆らえませんものね!! 田崎、行くわよ!」


 玲香の口元がモゴモゴと動く。嬉しいさを抑えているような感じだ。

 相変わらず顔は真っ赤だけどな。

 ていうか、こいつ俺の事嫌いだろ? なんだって一緒の学校に行きたがるんだ? 


 よくわからないけど、玲香の顔を見たらどうでも良くなってきた……。




 ――そして翌週から、俺は玲香が通っている学園に転入することになった。仲が良かったクラスメイトも、先生も……、みんな泣いて俺を見送ってくれた。

 子供ではどうしようも出来ない別れの悲しさを経験した……。








 東郷家は関東区域でも有数の資産家であった。


 そんな家の養子として入った俺は出来損ないだった。

 東郷の親父から要求されるレベルは非常に高いものであった。

 親父直々に恐ろしく厳しい教育を受けた。


 そして、玲香の通っている学園に入学してわかった事がある。


 あいつは学園でもわがままで自己中心的だ。友達が全然いない。

 東郷家という家名があるから話しかけてくるクラスメイトがいるだけだ。


 全くもって庶民の感覚が抜けない俺は、学園で浮いた存在となった。

 俺も面倒な生徒と関わりたくない。

 俺は極力目立たないように学園生活を送るのであった。所謂、地味な陰キャってやつだ。


 時折絡んでくる生徒もいるが、大半はすぐに離れていく。一人でいることが慣れっこになってしまった……。








 そんな俺にも楽しみがあった。

 学園の中等部の修学旅行だ。

 区域内の旅行だが、あそこには有名なテーマパークがある。


 遠出したことがない俺は、この修学旅行が本当に楽しみだった。



「あなた、この荷物をもちなさい」


「……はぁ、了解了解」


「私の荷物を持ててありがたく思いなさい。まったく、だらしないわね。ちゃんと寝癖くらい直しなさいよ。わたしがいなきゃ何もできないのね……」


 玲香が俺の髪を直そうとする。背の低い玲香は足をプルプルさせながら背伸びをする。

 中学になった俺は身長が高くなった。


「あなたしゃがみなさいよ!!」


「はいはい、ほらよ。ってか、寝癖なんてどうでもいい。行こうぜ」


「あっ、待ちなさいよ!!」


 この頃には俺は諦めの極地に至っていた。無駄な事は喋らず、勉強と鍛錬に勤しむ。


 もしかしたら普通の家族のように、玲香と仲良くなれる。そんな幻想はもう抱いていなかった。


 テーマパークのパンフレットを大事そうに抱える玲香。

 いつもよりも機嫌が良さそうに見える。


「な、何見てるのよ!? 気持ち悪いから見ないで頂戴!!」


「はいはい、転ぶから前見て歩けよ」


 俺がそういったときにはすでに遅かった。

 つまずいた玲香が転びそうになる。俺は玲香の身体を支える。


「だから気をつけろって言っただろ。ほら、行くぞ」


 身体を支えられた玲香はわけのわからない言葉をつぶやく。

 俺は玲香の身体を離して再び歩き出す。


 後ろから小さな声が聞こえた。


「――あ、あ、り――とう……、ま、待ちなさいよ!! 私を置いていくの!」


 俺は気にせず集合場所へと向かうのであった。









 子供の思考は残酷だ。

 集団の中に異物が混入すると排除しようとする。


 東郷家の威光があるから表立って俺をいじめるような事はしない。

 陰湿で気持ち悪い嫌がらせだ。


 俺の前ではうるさい玲香も学園では物静かであった。

 クラスは違うが、時折見かける玲香はいつもつまらなそうな顔をしていた。


 俺の前でだけ威張る。――思春期だからそんなもんだろう。プライドも高いしな。





 集合場所に着くと、クラスメイトは集団になって騒いでいた。

 俺は邪魔にならないところで一人で待つ。

 寂しいとは感じない。

 その時、突然背中を押された。少しよろめいた程度だ。


「ちょっと、こんなところに突っ立ってたらうざいんですけど〜。もっと端っこよってちょうだいよ」


 うちのクラスの女子リーダー格である、天童菜月てんどうなつき。いいところの家柄のくせに歌って踊れるアイドルをしているらしい。

 この学園では珍しい事ではない。様々な分野で活躍している生徒が多い。そのうちの一人だ。

 

 天堂は俺が転入したときは、親切そうに話しかけてきた。


 だけど、俺が元庶民と知ってからは強烈な差別意識をぶつけてきた。

 常に俺に対して皮肉や嫌がらせをしてくる。


 それでも去年の夏に天堂とは色々あって、仲良くなれたと思ったんだけどな。

 ……あれはきっと幻想だったんだな。天堂の態度は前と変わらない。玲香並にプライドが高くて俺を見下してくる。


 面倒だから関わらない方がいい。あのときの甘酸っぱい記憶は忘れることにした。


「……あん? ああ、邪魔だったか。わりいな」


 俺は言われた通り場所を変えた。

 天堂の瞳が少し揺れたように感じる。気のせいだろう。


「ふ、ふん、そうよ、あんたなんかどっか行っちゃえばいいのよ! 妹といつも一緒にいてマジでキモいわ」


 俺はため息を吐いてその場をひっそりと移動するのであった。





 *************






「はやくお財布を探して来てよ!! あなたがちゃんと見てなかったからよ……」


「はっ? 玲香が浮かれていたからだろ? 別に金は俺が持っているからいいだろ」


 専用鉄道で区域を移動し、ホテルへ荷物を置く。そして、テーマパークで丸一日遊ぶ。修学旅行とは名ばかりでただの遊びだ。

 浮かれた玲香はテーマパークに着くなり財布をおとしてしまった。


 玲香は焦った顔で俺に探して来いと命令する。


「あ、あの財布がいいのよ!! 私の言うことは聞きなさいよ……。だって、あれは……」


 いつだか忘れたが、俺が玲香の誕生日に買ってあげた財布だったと思う。

 そんなに高いものではなかったからまた買えばいい。


 俺が玲香にそう言うと玲香は機嫌が悪くなってしまったのであった。

 ――理不尽だ……。


「本当に最悪だわ……。財布は落とすし、あなたは役に立たないし……、もうあなたなんかいなくなっちゃえばいいのに!! 大嫌いよ!!」


 流石に俺はその物言いにムカついた。老けて見えるけど、俺も思春期真っ只中だ。

『いなくなれ』か、天堂にも言われたけど、結構心にくる言葉だな……。


「もういいわ、玲香、言われた通り財布を探してくる。適当に園内を回ってくれ」


 俺は諦めにも似た感情で言葉を放つ。とりあえず受付に聞いて見るか。


「あ、あ、ま、まって、あの、その……、せ、せっかくの遊園地だから……」


 玲香が急速に感情をしぼませる。何故か寂しそうな表情を見せる。

 その振り幅がよくわからん……。


「ん? ああ、玲香はそこらへんで待っててくれ。じゃあな」


「あっ……、一人は……早く……」


 とっとと財布を探して俺も遊園地を楽しもう。……それに玲香は友達がいねえから一人ぼっちになっちまうしな。

 きっと寂しがるだろう。


 俺は駆け足で事務所へと向かうのであった――









 **********








 私、東郷玲香はテーマパークのベンチでずっと武志を待っていた。

 いくら待っても帰ってこない。



 なにかの冗談かと思った。『帰ってきたら謝らなきゃ……、せっかくの修学旅行だからやさしくして……』、頭の中でぐるぐると同じ言葉を繰り返す。



 全然帰ってこない武志の事が心配になって、私は武志が向かったであろう総合受付へと向かう。入れ違いになるのが怖かったけど、一人ぼっちが寂しくて耐えられない。

 受付によると、財布の忘れ物を聞いてきた人はいなかったという。

 私の胸に嫌な不安が渦巻く。


 私は不器用だ。本当は武志にもっとやさしくしたいのに、周りの目があるから出来ない。きつい事を言ったあとに後悔して、部屋で落ち込んでしまう。

 きっと武志は傷ついてると思う。私は……武志に嫌われていると思っていた。


 私の人生は武志が来てから色づいたんだ。本当は武志にはとても感謝している……。


 そんな武志がいない――


 園内中を探し回ってもどこにも見つからない。

 私の様子がおかしいのに気がついた先生たちは、武志を手分けして探す。


 担任の先生が『あとは私達に任せて休んで頂戴』と言って、私をホテルへと帰す。


 私はベッドに倒れ込みながら自分の言葉を呪う。


 ――『いなくなればいい』


 冗談のつもりだった。そんな事思ってもない。

 だけど、私が言葉にしたから武志がいなくなったんだ。


 ――次の日になっても武志は見つからず、行方不明者として警察の捜索活動が開始されるのであった。




 ……

 …………

 ………………




 灰色の日々を二年間近く過ごした。

 高校一年の夏休みが終わり、二学期が始まったばかりである。


 武志は帰ってこない。きっとひょっこり帰ってきていつもの困った笑顔を浮かべて照れた顔で私に汚い言葉を浴びせてくる、そんな想像を毎日してしまう。


 制服に着替えた私は玄関の扉をじっと見つめる。そうすると武志が帰ってくるような気がする。


 そんな事ありえないのに……。

 私は感情を殺して玄関の扉を開けた――







「おう、久しぶりだな。なんだ、小さいままじゃねえかよ? ちゃんとメシ食ってんのか?」


「えっ…………」


 言葉が出なかった。いつか出会えたら謝ろう、やさしい言葉をかけよう、素直になろう、そう思っていた。

 なのに身体がピクリとも動かない。

 眼の前に武志がいる。夢じゃない。現実だ。


「わりいな、財布やっと見つけたぜ。ほらよ」


 感情が爆発しそうでどうにかなってしまいそうだった。


 以前の武志の面影は一欠片もない。小太りだった武志は精悍な身体付きとなり、ボロボロの衣服を身にまとっている。まるで区外のスラムの住人のような身なりであった。

 でも、間違えなく武志だってわかる。


 手渡された財布はボロボロであった。何があったからわからない。それでも、武志が戻ってきた――



「あ、あんた、い、いつまで、財布、探してたのよ……。も、もう帰ってこないと思ったじゃないの……」



 違う、こんな事を言いたいわけじゃないの。もっと優しい言葉を――



「わりいな、いなくなれって言われたのに帰ってきちまってよ」



 その言葉が抜けない棘みたいに私の身体の奥底に食い込む。

 違うって否定したかった。素直になれない自分の悪いところをノートに書いて直そうとした。それでも無理だった。



「そ、そうよ……、あ、あなたなんて……、い、い、いなくても……」



「安心しろよ、俺は無事だって顔に見せに来ただけだ。ちゃんとこの家を出ていく。玲香もスッキリするだろ? 俺の事嫌いだったもんな」



 膝の力が抜けて倒れそうになる。

 嫌いなわけない。嫌いなわけない。せっかく帰ってきた武志がいなくなる? 絶対嫌、そんなの。

 心臓の鼓動が激しくなり、呼吸が浅くなる。気持ち悪い。頭が真っ白になる。


 それでも私はここで意識を失ったらもう二度と武志に会えない気がした。

 もう一人ぼっちは……嫌なの……。

 だから――


「ん? どうした?」


 私は知らぬ間に武志の腕を掴んでいた。言葉がうまく発せない。


 泣くなんて卑怯な事は出来ない。学園でいじめられても殴られても蹴られても教科書を燃やされても泣かなかった……。なのにこみ上げてくる感情が抑えられない。



「ひとりは……、一人は……もう……」



 こんな事言う資格なんてないってわかってる。

 もうわがままなんて言わない。だから、だから――



 ――お兄ちゃん……い、行かないで……



 それでもかすれた声しか出ない自分を呪い殺したくなった……。


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