第10話 黒い瞳

「なにやってんスか?」


 上から続く階段から足音が聞こえたので、手に握っていた銃を構えたら、見知った顔だった。


「遅いぞ。カリム」


「何言ってんスか。あの砂嵐がおさまってすぐ、なる早で来た乳兄弟を、そんなに邪険にして。あ、も少し遅かった方が良かった?」


 本当に撃ってやろうか、こいつ。


 俺は不穏な考えを押し込めながら、腕の中の少女を揺り起こした。


 少女は、まどろみながら微笑んだ。


 やばい。


 これはやばい。


 落ち着け。


 マリヤムより、さらに下の、単なる子どもだぞ。


「親父殿の駱駝は?」


「大丈夫。大丈夫。門のとこで、のんびり座ってたよ。久しぶりに大きかったな。王子が残ってて良かったよ。俺だったらこの宮に入れなかったもん」


 カリムの言う通りだった。


「水はあるか?あっちでカメラマンが倒れている。すぐに病院に送れ」


「了解。お姫さんは?」


「あ、元気です。ありがとうございます」


 すっかり慣れた笑顔で、朔は片手を挙げた。


 カリムが口笛を吹きながら、朔と俺に水の入ったペットボトルを放り投げた。


「よく頑張ったな。オアシスにいるお客さん達、あんたがいなくなって気が狂ったみたいになってるぜ」


 カリムの言葉で皆笑った。






 スティーブン・メイヤードは一週間入院したが後遺症もなく帰国した。

 

 元気になるとすぐに、もう一度砂漠に戻りたがったが、こちらがお断りだった。




 朔はスティーブが回復するまでという条件付きで国に残り、そのほとんどを宮殿で過ごした。


 後宮は瞬く間に朔に籠絡され、俺は本気で王が何番目かの后にしないか心配した。


 俺は、滅多に近寄らない宮殿の奥に、末の妹に会いに行く名目で頻繁に通った。


 兄達も興味津々だったが、朔はあれ以来、人前でベールを脱ぐことはなかった。




 一緒にいる時間が長くなるほど、朔の奢りのない人柄に惹かれた。


 頼まれて、朔を連れて、何度も市中見物に行った。


 朔は観光客向けの美しい建物や土産物屋ではなく、人々の生活を見たがった。


 バザールに行き、ますます磨きのかかったペルシャ語で、部下達に絶え間ない質問を浴びさせた。


 将来の夢を聞いたのは、市民向けのみすぼらしい病院の側を通る時だった。


「医師になりたいの」


 朔は、その黒い瞳を輝かせて言った。


「二十歳になったら社長との契約が終わるから、そうしたら大学に入ろうと思っているの。こう見えても、勉強は、かなりしてるのよ」


 瞬く間にペルシャ語をマスターした脳みそなんだから、それはそうなのだろう。


「世話になっている社長ってやつに、どのくらい借金をしてるんだ?」


 そんなの俺が、いくらでも払ってやろうと思って、聞いた。


「お金じゃないの。ここの問題よ」

 

 朔は、怒ったような声で自分の胸を叩いた。


「え? 金の話しだろ?」


「わっかんないかな」


 朔はおかしそうに笑った。


「何の話なんだよ」


 知りたいと思った。彼女の歴史を。彼女の住む世界を。





 今度のジョン・マークレーのパリコレクションには絶対行く。


 空港の見送りに来たミリアムが、朔に息巻いて言っていた。


 王妃が王宮を出るのは無理だが、ミリアムと姉妹達は、必ずパリに行くことになるだろう。


 姉妹のお目付役はもちろん二十一番目の王子の仕事となる。


 王妃には、すでに手を回していた。


 今後は外交の仕事に携わるのも良いかもしれない。


 彼女が医師免許を取ったら、中東でも活動しやすいように。




 俺は、布の奥で笑う黒い瞳を、自分の目に焼き付けるように、もう一度見つめた。



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