和音(おと)君と桜花(おか)さん

舞夢宜人

第1話 ~休日の二人~

 相田家の朝は早い。5時に目覚まし時計のアラームで起きる。ダブルスの畳ベッドに敷かれた同じ布団で丸まっている従妹を起こす。俺は、ジャージに着替えた後、まだ寝ぼけている桜花の服を脱がせて、ジャージに着替えさせた。

「和音、おはよう。優しくやれって言ったよね。」

「おはよう、桜花。ちょっとぐらい乱暴にしないと起きないじゃないか。」

 乱れた髪をポニーテイルに強引にまとめながら彼女はクレームをつける。

 近所の海岸までの往復4kmをジョギングするのが俺たち二人の朝の日課だ。風呂の湯沸かし器を設定した後、住んでいるアパートの駐車場でストレッチをしてからゆっくりと走り出す。住宅街から農道に差し掛かると、遠く東の山々の峰から皐月の空に太陽が顔を出す。俺は、誕生日が近いこの時期の朝の風景が一年で一番好きだ。冬だと寒いうえに、この時間は真っ暗だ。これから夏になれば、走り始める前に日が昇り始めていて、この清々しさはない。15分ほどで海岸の堤防に着いてしばし休憩する。

「こうして二人で走るのも、もう長いね。」

「付き合いのいい俺に感謝しろ。小学校3年の時だったか?隣に住んでいる幼馴染が合鍵で勝手に入ってきて、馬乗りになって今日からジョギングするから付き合えって起こしに来たんだったな。」

「一人で走っても絶対続かないから、しかたないでしょう。あなたの好みのスタイルの許容範囲でスタイルを維持するためなんだから付き合いなさい。あんたこそ、私の好みの許容範囲でスタイルを維持してよね。」

「だったら、俺の分まで間食を食べなきゃいいのに……」

「和音、減らず口を叩くのはどの口かな?私のものは私のもの、あなたのものは私のもの、私はあなたのものだから問題ない。」と、桜花が俺の口に指をひっかけて横に引っ張った。桜花を抱き寄せて、その腰にタップして降参する。桜花は、分かればよろしいと、触れるだけの軽い口づけをして、ニマと笑う。

「今年は受験生だし、同じ大学に行きたいから一緒にいろいろ頑張りましょう。」

 照れ隠しもあってか、桜花がちょっとペースを上げて帰路を先行した。彼女が一歩一歩進むごとにポニーテイルにした髪の房が右に左に揺れている。走る後姿が可愛い。

 桜花は、身長175cm、体重62kgの長身で、93-67-92の標準的な体型だが、腕や足が筋肉質で太い分、細身というよりがっしりしているように見える。小学生の高学年の頃からこの身長だったし、筋力強化と胸囲が増えた分階級が上がったぐらいで8年ぐらいこのスタイルを維持するのに協力させられている。身長が高いのを気にしているところがあるが、従兄の俺も180cmあるし、うちの両親も、亡くなったあいつの両親も175-180cmの長身だったから、身長についてはあきらめるしかなかろう。10歳年下の俺の妹と桜花の弟も140cmぐらいあるから、遺伝的に早熟で長身なのだろう。基準がおかしいかもしれないが、そもそも俺と彼女がともに部活でやっている柔道で同じ階級の女子と比べれば十分細身なのだ。パートナーである俺にとって可愛い素敵な女性でいてくれたら、多少背が高かろうが、多少重かろうが、些細な外面的な問題だと思う。もっとも、それを指摘したら、「あなたが鼻の下を伸ばして他の女の子に気を取られている様子を見れば、あなたの一番でいたいと思うのは当然でしょう?あなたにも私の一番であり続けられるようにいろいろ鍛えるから覚悟しておいて。」と、藪蛇になった。

 帰宅すると、桜花は服を脱いで風呂の準備を始める。彼女が浴室に入ったのを確認したうえで、俺も服を脱いで、手洗いが必要なものが混じっていないか確認したうえで、脱いだ服を洗濯機に入れて二人分の洗濯物を一緒に洗ってしまう。浴室に入ると、先にお湯を浴びていた桜花が、Bカップの筋肉質な胸を誇示しながらお湯を止めて体を洗えと催促してくる。彼女を座らせて、ボディーソープで泡立てたスポンジで、背中、左手、右手、左足、右足と丁寧にそっと洗った後、彼女の反応に気を付けて体の前面と局部を洗った後、要所にリンパマッサージをしてやる。指の腹で頭皮をマッサージするように洗ってやり、長い髪を丁寧に処理してやる。痛いとか、強いとか、弱いとか、その気にさせるなとか、桜花からの注文は多い。最後にシャワーで洗い流すと、「80点」と辛めの評価をされる。立場を変えて彼女が俺の体を洗ってくれる。落第点だと仕返しとばかりにいたずらされる。機嫌が悪いとタワシで背中を洗われたこともある。事実婚状態で同居していて、性的な部分に対する許容レベルがいくら低いといっても、逆に生活時間のリズムや家族計画に関わるレベルの行為については制約が大きくなっている。俺の両親から俺達カップルを性教育した時にも言われた時にも言われたが、パートナーとして長い付き合いをしていくなら、体も心もお互いのことをよく勉強していくことが重要だ。アダルトビデオや官能小説といったものは、所詮はファンタジーだ。俺は桜花にとっての最善を知る必要があるし、桜花は俺にとっての最善を知る必要がある。そう分かっていても、年々採点が厳しくなっている気がする。

 洗濯機が止まったアラームを聞いて、桜花が先に風呂から出ていく。脱衣所が空くまで、俺は風呂を掃除することになる。俺が風呂から出て下着を着ると、洗濯物を片付けた桜花がグレーのスポーツブラとそれとセットのパンツといった下着姿で頭にタオルを巻いて待っていた。休日仕様の新品の下着セットのようなので、一言素敵だと感想を言ってやる。タオルを解いてドライヤーで髪を乾かしてやる。いつも洗って手入れしてあげているからか、乱れていた髪を漉いてやることでそろってくるにつれて髪の光沢が戻ってくる。そこをまとめなおして、捩じった毛束をゴムに巻きつけ、巻きつけた毛束をピンで固定し、上からネットをかける。シニオンにまとめられた髪を鏡で確認後に「80点」と辛口の採点をされる。君にとっての100点ってどんな仕上げなのか教えて欲しいものだ。それにしても、耳出しかつ、襟に髪がかからない程度の長さにするか、アップにまとめろって校則は何とかならないのかねえ。桜花の表情や仕草に応じて揺れる長い髪って好きなんだけれど、ポニーテイルやツインテイル、三つ編みの何が悪いというのか?

 二人ともお揃いのカジュアルシャツにジーンズといった普段着に着替えて、同じアパートの隣の区画にある俺の実家で6人分の朝食の準備を始める。料理は小学生の頃から母に鍛えられ、中学に上がってからは、家族の分お炊事と自分たちの分の洗濯は俺たちの仕事になっている。両親と俺たち子どもの生活時間が違うのと、桜花が我儘を通すために交渉した結果である。桜花が献立を決めて、作業は俺たち二人で分業している。

 うちのアパートは、土地と建物が父方の祖父の名義になっていて、1階2階ともに4区画の構造になっている。1階の4区画は、俺の母が代表をしている学習塾の事務所と教室で、父方の祖母と母方の祖母と母の三人で運営されている。2階の4区画に、父方の祖父母、母方の祖父母、俺の両親と俺たちの弟と妹が住んでいて、残る1区画に桜花と俺が住んでいる。俺たちが住んでいる区画は、元々は桜花たち家族が住んでいたものだ。父方の祖父と母方の祖父が兄弟で、父方の祖母と母方の祖母が従姉妹同士である。父方の祖父母の長男が俺の父でその妹が桜花の母、母方の祖父母の長男が桜花の父でその妹が俺の母という関係で、親戚一同で同じアパートに住んでいる。

 俺と桜花が事実婚状態で同居しているのは、桜花が騒動を起こしたためである。俺と桜花は5月5日に同じ産婦人科病院で30分差で生まれたそうだ。桜花の両親の仕事の関係もあって、赤ん坊の時から桜花は俺の家に預けられることが多かった。ついには七五三の節句で着飾った時に祖父母たちが結婚式みたいだねといった冗談を真に受けて、俺の妻を自称して一緒に暮らすことをこだわるまでになってしまった。桜花の両親が転勤で引っ越しをした時にも一緒の学校に行きたいと拒否して俺の家に下宿した。8歳の時に曽祖父が亡くなって遺産相続で現在のアパートが建設された。引越し後、相田姓の4組の夫婦が同じアパートで住むようになって、しぶしぶ桜花は両親の下で暮らすようになったが、一緒に勉強すると言って入り浸っているのは変わらなかった。桜花の両親が姉弟を残して亡くなった時に、養女になって義理の兄妹になったら結婚できないと思い込んだ桜花がパニックを起こして、既成事実を作ろうとした桜花に俺が強姦されたりした結果として現在の形になっている。

 食事の準備が終わった頃、両親と妹たちが起きてきて6人での朝食になる。食事をする仕草は、桜花と妹はよく似ている。かつて叔母と母と桜花と妹の4人で買い物に行って、姉妹のようだといわれて母が嬉しかったという話も聞いたことがある。地域の体育祭で両親の代わりに桜花と二人で妹たちを引率していたら、近所の人に妹たちの両親だと間違われたこともある。俺から見ても、妹を見ると小学生だった頃の桜花に似ていると思うし、祖母たちや母たちを見ると数十年したら桜花もああなるのだろうと思うほど似ている。姦しく食事する女性陣を父と俺と従弟は静かに見ていた。

 食事が終わって朝食の片付けを始めると、妹の橘花(きっか)が従弟の皐希(こうき)を「一緒に宿題しよう」と連行していった。皐希は迷惑そうにちらっと俺の方を見るが、目で諦めろと返してやる。「橘花はしっかりしてきたね」と母に言ったら、「あなたの後ろでも待っているわよ。」と返され、桜花がにっこり笑って同様に俺を連行していった。後には、両親の笑い声が響いていた。俺は、そこそこ成績が良かったこともあって親達から勉強しろと言われたことはない。親たちに言われない代わりに3倍ぐらい桜花からは勉強しろと言われている気がする。勉強するのを渋ると、「和音と同じ学校に進学したいから勉強して」とか「あなたの将来はあなただけの将来じゃないから勉強して」などと脅迫される。口喧嘩しても桜花には勝てないし、勉強に関しては両親は桜花の味方をする。彼女を無視してもいいのだが、機嫌が悪くなって面倒になるし、遊ぶにしても一番の遊び相手は彼女でもある。後回しにして外に遊びに出たとしても、時間に余裕がある彼女が小言を言いながら俺が勉強しているのを監視するのもうざい。勉強するにしても遊ぶにしても、同じ時間に一緒に同じことをしていた方が、彼女の機嫌もいいし、彼女からの待遇も良くなるうえに楽しい。

 お昼になったら、10人分の昼食を用意する。今日の昼食はペペロンチーノだ。桜花と二人で最初に4人分用意して、子供4人で先に昼食を済ませてしまう。残りの6人分の用意が終わる頃に、学習塾で午前の授業を終えた母と祖母たちと、何をしていたのか分からないが父と祖父たちが食卓に揃って、大人たちの食事が始まる。父に後片付けを頼んで、桜花と二人で1階の教室の掃除をしてしまうと、やっと自由時間になった。

 桜花にテレビでネット配信の洋画を観賞しようと誘われた。床に座って壁を背もたれにした状態で準備していると、菓子とコヒーを持って来た桜花が、俺の股の間に割り込んでドデンと座り俺を背もたれの代わりにする。俺は彼女を後ろから抱えて、彼女の肩に顎を乗せれば、いつもの寛ぎモードだ。英語のヒアリングの勉強のために、吹替なしの日本語字幕の洋画を二人でよく観賞する。どこまで成果があるのか分からないが、彼女の体温が上がっていくのをラブシーンを見ながら感じるのは、幸せなひと時だ。ホラーシーンで震える彼女をしっかり抱きかかえるのもいい。

 夕飯は、休日の定番でカツカレーを用意した。翌日も祝日だから作り置きできる楽なものがいい。片付けをした後、二人で風呂に入ったら、また勉強の時間だ。受験生だから仕方ない。夕食の時に父から封筒をもらった桜花がどこか挙動不審で、顔を真っ赤にしてニアニアしているのが気になるが、機嫌はいいようなので放置しておく。就寝時間が来たので、一緒に寝床に入った。


 翌日、5月5日、体の上に何か重たいものが乗っているのを感じて目が覚めた。寝ぼけて桜花に抱き枕というより縦四方固めにされていることも多いのでまたかと思ったが、どこか様子がおかしい。桜花が俺の上に騎乗位で馬乗りになっていた。俺が目覚めたのに気が付いた桜花が嬉しそうに声をかけた。

「和音、おはよう。やっと起きたね。そして誕生日おめでとう。あなたへのプレゼントはワ・タ・シ。わたしへのプレゼントはア・ナ・タ。和音のお父さんたちが婚姻届けに必要な書類一式用意してくれて、証人欄にサインもしてくれたんだよ。後でサインしてね。改めて、一生ものだから大切にしてね。私の両親の形見だけれど、指輪のサイズも合っていて良かったわ。私にも指輪をはめて。」

 一気に捲し上げると、逃がさないとばかりに俺の腰をキュッと締め上げてから、右手に指輪を持って左手を差し出してきた。自分の左手を見ると既にチタン製のシンプルな指輪がはめられている。一気に目が覚めて、ため息ながらに返答する。

「桜花、おはよう。誕生日おめでとう。そして、これからも末永くよろしく。和音は桜花を愛しています。」

 指輪をはめてやり、彼女を抱きしめて、今までになく濃厚な口づけをした。その後に、コツンと彼女の頭を軽く叩いた。

「ところで、初めての時に、お互いに寝ている間に相手の意思を確認しないで襲わないって約束したよね。」

「だから素股にしているでしょう。念のためコンドームも付けてあるから大丈夫よ。あなたの子供は欲しいけれど、今はその時期ではないでしょう。今までも親戚のみなは夫婦として認めてくれていたけれど、これで正式にできると思ったら嬉しくて。だから今は私だけ見つめて愛して……」

 その日は長い朝になりました。

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