第24話 恋路
今日は一日忙しいと言っていた紘平が、夕方いきなり総務部を尋ねて来た。
届いたばかりの発注備品を友世と手分けして部署ごとに仕分けしていた佳織は、仕事の手を止める事無く問いかける。
A4のコピー用紙に、各部署の必要備品名と数が印字してあるのだ。
各部署毎に用意された専用のカゴに、ボールペンや付箋、メモや伝票を入れて行く。
これを最後は各部署の備品庫に納品して今日の仕事は終了だ。
「一日会議じゃなかったの?」
「予定より早く終わったんだよ。それより佳織、話しがある」
「なにー?帰ってからじゃ駄目なの?
見ての通り、超多忙なんですけど?」
キッと夫を睨みつける佳織。
その隣りでは友世が作業しながら、心配そうに様子を見守っている。
紘平は友世に向かってにっこり営業スマイルを向けた。
「悪いけどうちの嫁ちょっと借りてくから」
「貸すとか言ってないけど?」
「いーから」
「良くないわよ。だってまだ仕分け作業が」
シッシと紘平を追い払おうとした佳織に、友世が猛ダッシュで商品部と書かれたカゴを差し出した。
「佳織さん!これ!商品部までお願いします!」
”おつかい行きがてら、話聞いてあげて下さい”と顔に書いてある。
佳織は出来の良い部下の申し出を無碍にも出来ずに渋々カゴを受け取った。
「すぐ戻るから、ごめんね」
「いやー、さすが友世ちゃん気が利くなー。大久保が惚れこむ訳だ」
ニヤッと笑って紘平が続ける。
途端友世が真っ赤になって俯いた。
「そ、そんな事無いですっ」
「いや-。あいつの彼女自慢凄いよ?社内イチの美人を恋人に持つ男の優越感ってやつか。まーそりゃ、こんだけ可愛いけりゃ自慢もしたくなるわな」
俯いた友世の顔を覗きこんで、紘平が笑う。
ますます言葉を失くす友世。
佳織は溜息をひとつ吐いて、紘平の脇腹を右手で殴った。
「ちょっと、うちの子からかわないでよ。こー見えて、男に免疫無いんだからね。いつまでも此処に居たら邪魔よ、話なら聞くからさっさとして。じゃあ、友世。行って来るから」
顰め面で言って、紘平の腕を掴んで佳織が足早に部署を出る。
「友世ちゃん、ごめんなー」
「部下の彼女を慣れ慣れしく呼ぶなってのよ」
「いってらっしゃい」
困り顔で笑う友世に見送られて樋口夫妻はフロアを抜けた。
結局紘平の思惑通りになってしまった。
佳織は商品部へ向かうエレベーターの中で夫を睨みつける。
「どうしても直ぐに話しなきゃ駄目な事だったの?」
佳織の質問は笑顔でかわして、紘平が佳織の腕を掴む。
「な、何よ、話って・・・」
壁際に追い詰められる形になった佳織が、たじろいだ。
そんな彼女の表情をつぶさに見つめて紘平が笑み交じりで呟く。
「今週末なー、接待ゴルフ入った」
「は?」
「買い物行きたいって言ってたろ?」
「言ってたけど・・・」
「あれ、日曜になってもいい?」
「買い物っていつもの買出しよ?別に平気だし・・・話って何、その話ー?もー別に家に帰ってからでも全然平気だし。むしろ、メッセンジャー飛ばしてくれたら良かったのに」
思いっきり不貞腐れた佳織の頬を指の背で撫でて耳たぶに触れる。
「メールだと数秒で終わるだろ?」
「そうだけど、紘平も忙しいでしょ?」
「ああ、今日も遅くなるな」
「だったら・・・!」
そこまで言いかけて、紘平がわざわざ総務部までやってきた理由に気付いた。
佳織が視線を泳がせると同時に、エレベーターが止まる。
紘平が意味深に笑って、開いたドアから先に出た。
後を追って佳織も商品部に入る。
夕方で社内便の時間も過ぎている為、いつもよりも静かなフロア。
何と無く無口になってしまう。
これではまるで、自分が紘平の付き添いみたいじゃないか、とちぐはぐな気分で進むと、先を歩いていた紘平が、急に立ち止った。
備品庫を一瞬覗いて、すぐに踵を返す。
目の前で振り向かれた佳織は思わず驚いて声を上げそうになった。
「な・・・!!」
何よ、と言いかけた口を紘平の手で塞がれる。
確かにフロアは静かだ。
コピー機とプリンターの稼働音以外は、パソコンを操作する音と僅かな話し声のみ。
窓の外で煩く鳴っている雷鳴が聞こえて来る程だ。
それでも、口を塞ぐのはやり過ぎじゃないか?
思わず言い返そうとしたら、すぐさま紘平に制された。
「シッ!」
人差し指を立てて、佳織に静かにするように促すと、紘平が手首を掴んで来た。
そのまま、有無を言わさず商品部のフロアから連れ出されてしまう。
訳も分からず目的地から離れて、非常階段までやって来ると、漸く紘平は佳織の手首を解放した。
「それ、急ぎじゃないんだろ?明日にしとけ」
「はぁ?何言ってんのよ」
意味が分からず眉を跳ね上げる佳織。
紘平が声を落として告げた。
「東雲が女の子抱きしめてた」
「・・・・え?東雲って、相良の下に来た?あの、海外営業のプリンス?」
「そーそれ、そいつ」
「マジ?」
「マジ」
「商品部の女の子と付き合ってるんだ」
「かもな・・・」
「だから、シーって?」
「そう、邪魔しちゃ悪いだろ?人の恋路を邪魔する者は・・・ってやつな」
「何も備品庫でコソコソしなくたって・・・リスク高すぎない?」
呆れ顔で言って佳織が肩を竦める。
逢引の場所ならほかにいくらでもあるだろうに。
「場所替える余裕なんか無かったんじゃねーの?」
紘平がちらりと笑って答える。
指先に触れて、絡め取られた掌。
佳織が、繋がれた2人の手を確かめて表情を緩めた。
「・・・そんなに、会いたかったの?」
メールでも、電話でも、問題無かった筈なのに。
わざわざ忙しい時間を割いてまで、佳織の元にやって来たのは・・・
上目遣いに問いかければ、紘平が返事の代わりに唇にキスを落とした。
啄ばむように何度も重なる唇。
紘平が佳織の手からカゴを取り上げて、腰を引き寄せた。
顎を捕えて、更に深く口づける。
歯列を割って舌を絡めると、佳織が堪え切れなかった吐息を漏らした。
「っ・・・は・・・んっ・・・」
非常階段に佳織の小さな声が響く。
顎から項に回された紘平の大きな手が、佳織の後ろ頭を支えるので、逃れられない。
予想外の本気のキスに困惑気味の佳織が懐柔されて、自分からキスを返すまで長い口づけは続いた。
散々佳織の唇を味わった紘平が満足して唇を離す。
眉根を寄せた佳織が、夫の口元を見つめて頬を赤く染めた。
「っ・・・リップ・・・」
呟いて、紘平の口元を指先で拭う。
薄いベージュが指先に移った。
その指先を掴むと、ぺろりと舐めて紘平が笑う。
「東雲の気持ち、分かるな」
「・・・え?」
「家に帰るまで待てなかった」
紘平が囁いて、佳織を愛おしげに抱き寄せた。
抗えない心地良さに思わず身を委ねそうになる。
けれど、ここは職場だ。
「・・・だ、だからってこんなトコで」
「場所は選んだだろ?友世ちゃんの前でしても良かった?」
意地悪い笑みを浮かべた紘平の腕を叩いて佳織が思い切り首を振った。
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