第2話 選べる人と、選べない人

「もどりましたー。佳織さん、頼まれてたドーナツ」


昼休憩から戻った友世が、コンビニ袋を持ってやってくる。


佳織は資料を捲る手を止めて、顔を上げた。


「おかえりーごめんね。ありがとう。ほい」


頼んだ通り2つ入っていたドーナツの片方を、友世に手渡して残りの封を開ける。


油と、甘ったるいチョコのにおいがした。


「え・・・・」


「おつかい頼んだから、お駄賃ね」


「嬉しい!ありがとうございます!!」


「はいはーい。あ、そうだ、私この後ちょっと打ち合わせで抜けるから」


「了解しました。資料大丈夫ですか?」


「んー。それだけは仕上げて行く。後でコピー頼んでも大丈夫かな?」


「もちろんです」


こうやって下を上手に頼ることも覚えた。


押さえつけるんじゃ無く、円満に仕事をして行くための人間関係円滑法。


・・・こういうのが昔から上手い人だった。


佳織が主任として及第点を貰えるとしたら、それはみんな日高のおかげだ。


緩急を付けて仕事をこなす方法や、上下関係を上手くまとめるコツ。


尊敬というよりは、憧れに近かったんだと思う。


こんな人の右腕になりたいと、24歳の佳織は思った。


いつもそばに居て、一番に頼りにされる有能な部下になりたいと。


・・・・近づき過ぎたんだと思う。


でも、あの時間に後悔なんてこれっぽっちも感じていない。


こうなる結果は見えていて、それでも、彼を好きだと思った。


どうしても1番になれないことは承知で。


それでも追いかけずにはいられなかったのだ。




★★★★★★




「煙草、やめたんじゃなかったのか?」


喫煙所でシガレットケースから取り出したタバコに火をつけようとした途端、声がかかった。


同期で国際部のやり手営業、相良直純だ。


「・・・相良。おつかれー。そっちも一服?」


「食後の一本を吸いに。禁煙したんじゃ無かったのか?」


「・・・たまには吸いたくなんの。あ、ついでに火ィつけようか?」


「・・・悪いな」


「同期のよしみってヤツですよ。可愛い彼女とは順調ですかね?」


「おかげさまで」


「うわー・・なんとなくムカツク。飲み行こうか?」


「女と二人で飲まないの。暮羽が気にする」


「なにそれ・・・」


「可愛いだろ?」


半分残ったタバコを吸い殻入れに放り込む直純をジト目で睨んで、佳織は言った。


「・・・ハマってんの?」


「だいぶ」


「あっそ。はいはい。好きにしてよ」


ついこの間まで恋愛も仕事もバランスよく付き合う男だったのに。


ちょっとやさぐれたい気分になって携帯を取り出す。


そんな佳織に手を振って歩き出した直純が振り返った。


「あ、そうだ。樋口戻ってくるぞ」


「・・・・・・・・・うそ」


たっぷり10秒は空いた間の後、灰が落ちるのも忘れて佳織が呟く。


その呆然とした表情を見て直純は、数年前に同期の間で流れた噂が少しは信憑性のあるものだったことを知った。


意外そうな表情で直純が尋ねる。


「連絡取って無かったのか?」


「異動してからさっぱりね。へー・・・戻って来るんだ・・・」


「志堂分家の中でも、出世株として、結構目立ってるらしいぞあいつ。筆頭の浅海さんに引っ張られるのも遠くないかもって話だけどな」


「ふーん・・・そう・・・」


「・・・とりあえず、あいつ戻ってきたら飲み会な」


「・・・行けたら行く」


「来ないって言っても、迎えに行くと思うけど?」


誰が、とは言わない。


けれど思い浮かんだであろう人物の顔は分かる。


「だーよねー・・・考えとくわ」


そう呟いて携帯に視線を落とした佳織を見て、直純は今度こそ踵を返して歩き始めた。


紫煙の消えた喫煙ルームで佳織はひとり、ぼんやりと窓の外を眺める。


駆け足で過ぎて行ったこの3年・・・・目まぐるしくまわりの人間は変化していった。


結婚してママになった同期たち。


出世して東京栄転していった先輩。


あの、相良に甘ったるい顔させるくらいの子が入社してきて。


人の気持ちがゆっくり変わってゆく位の時間が流れていたのだ。


・・・あの時握ってくれた手を離したのは私・・前なんて向けないと逃げたのは・・・私なんだ。


携帯画面をスクロールさせて、長年の友人の名前を引っ張り出す。


・・どうしても今日だけは一人になりたくなかった。




★★★★★★



「隣のビルにいるのに、なんで社内電話鳴らさないのよ。ばかねー」


「部署戻ってかけるのが面倒だったの」


待ち合わせて向かった馴染みのダイニングバーで、工程管理科の山下亜季は呆れ顔でグラスを合わせた。


小気味良い音がして、まずはひとくち。


27歳の年に作った(だれが言い出したのか分からない)独身貴族の会のメンバーも、ひとりまたひとりと減って行き、とうとう三十路を目前に二人きりになっていた。


「煙草止めるって言ってたくせに」


「やめてました。つい5時間前までは!」


実際この2年1本だって吸ってないのだ。


有言実行をモットーにしている自分にとって約束破りはあり得ない。・・・のだけれど・・・


「そこで開き直ってどーすんのよ」


「・・無性にね、吸いたくなったんです」


「吸わなきゃやってらんないようなコトがあったんでしょーが」


「べっつに・・・」


「なによ。呼び出しておいて言わないつもり?あんた仕事場では綺麗に取り繕ってても、プライベートぐだぐだじゃないの。そっちを知ってるあたしを騙そうったってそうはいかないわよ。さー吐きな」


ダンとグラスをテーブルに叩きつけて、まるでケンカを始めるかのような亜季のセリフ。


佳織は驚きを通り越して笑いがこみ上げてきた。


結局は逞しい女ふたりが生き残ったってことね。


「・・・・・今日ねぇ。日高さんが来た」


「・・・・あんた」


「ちゃんと挨拶もしたし、話もできた。元気そうで、相変わらず仕事バリバリやってますって感じだったなー」


「ちょっと・・・佳織・・」


「あんだけ泣いたのにさー・・・チクンとも胸は痛くなんないのよ。ただ、ずっしり重たいだけ。今さらだけど、自分のしてきたことに苦しくなった。・・・こーゆーのを自己嫌悪っていうんだっけ?」


「泣いてないんだからいいじゃない。それで十分よ」


そう言ってグラスを佳織の頬に押しつける。


「・・・はー・・・あ」


「・・・・もうひとつの方は聞いたの?」


すでに事情を把握済みな口ぶりに佳織は視線を亜季に向けた。


「なんだ、もー知ってんの?紘平のこと」


「うちの情報網なめないでね?一日中営業が入り浸ってるっての」


「・・・そーだよねー・・・」


佳織の頬を今度は引っ張って亜季は無理に笑って見せた。


「とりあえず、付き合うわよ、今日は」

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