CODE33 そして日常へ

 あの後しばらく経って、キクの所属するNPO法人特殊戦略研究会に出向いた。事件後ヘリの中で、必ず来るように約束させられていたのだった。

 指定された住所に行くと、都内のビル群に囲まれた中に、工場や倉庫を連想させる巨大で古びた建物が現れた。そこが彼らの本拠地だった。


 訪問したときには、ちょうど加納博士もいて、忙しそうだったのだが、なんとか話しかけることができた。博士は元気そうで、今もあの事件の全容解明に忙しそうだった。

 様々な機械や実験器具の中で、多くの研究者が忙しそうに働く中を歩いていると、この組織が国の作った秘密機関だということが、現実味を持って迫ってくる。

 しばらくすると、中年の白衣を着た男が現れ、ぼくを病室のような部屋に案内した。その後、脳波だ、CTスキャンだと、様々な調査をされたのだったが、それは想像したほど、不快なものでも無く、思っていたよりもあっさりと終わった。


 もちろん、マーク1のことやファントム・ブレイン・アビリティについても訊かれた。だが、あの日以来、マーク1とのコンタクトは取れなくなっていたし、ぼく自身の能力も、自分ではよく分からない。結局、煙の魔神の作り出す音の結界の中でしか、使えない能力なので、ある意味宝の持ち腐れなのだ。


 検査終了後に、山本と名乗る責任者の男に挨拶をされた。中年の太ったその男は、高そうなスーツを着ていて、物腰も柔らかかった。だが、時折ぼくを見つめるその目は鋭く、どこか油断のならない印象を持った。

 山本からは、一連の事件のことは、国家機密として、くれぐれも他言無用にしてくれと頼まれたが、言われなくても、誰にも言うつもりはなかった。国家レベルの巨大な力に刃向かって、やっと取り戻した平和な日常を捨てるつもりはさらさら無かったからだ。


 あの事件自体も、大きなニュースにはなったが、火災の煙に含まれる化学物質による幻覚として報道された。中には、直前に続いた幻覚事故との関連を疑うような報道もあったが、それも一時のことで、すぐに世間は忘れた。きっと、それが『特戦研』の力なのだろう。


 あ、そう言えば、キクにも会えたんだった。久しぶりに会ったキクは、相変わらず木訥としたいい奴で、事件のことや自分の身分を黙っていたことについて、しきりに謝ってきた。


 筋骨隆々とした体を萎ませるようにかしこまるキクに、

「もう、終わったことだし、お互いに何事も無かったんだから、よかったじゃん」

 と、ぼくは言い、LODDでまた会うことを約束して、その場は分かれた。


 今回の事件で得られたデータもすべて、あの開発中の武器に活用するとか言っていたが、どうなることか分からなかった。キクにもう少し訊いてみてもよかったが、それも何だか迷惑をかけそうで、気が引ける。いずれにしても、平凡な一高校生の手は離れてしまったと感じていた。また、呼び出されるかもしれないが、その時はその時だった。


      *


 ぼく自身は、昼間は学校に行って、夜は家でゲームを楽しむ平凡な毎日へと、戻っていた。

 父や母との距離感については相変わらずだったが、生意気な態度を取ることは控えるようにしていた。母とはたまに冗談を交えたやり取りもあった。まあ、要するに普通の親子関係に近づいたというところだ。


 学校では、普通に話をする奴らも増えてきて、春先の通常運転に戻った感じだったが、工藤たちとの関係だけは別だった。すれ違いざまに目が合いかけると、逃げるように目をそらす。まあ、あれだけ痛めつけたのだから、当たり前と言えば、当たり前のことだが、こいつらと話をするようになることは、もうないんだろうなと思えた――。


 結局、強い奴に弱い奴は逆らえないということなのだが、ぼくはかさにかかって威圧するようなことはしなかった。それをすれば、工藤たちと変わらない。あんな腐ったような奴らと同じことだけはしたくなかった。できるだけ関わらないように距離を取る。それだけだった。


 LODDのニュウ・シンジュク・ワルキューレBでの生活も通常運転だったが、一つだけ変わったことがあった。

 それは、以前からの知り合いや友人たちとヘッドセットで話すようになったことだった。今さら、テキストでやり取りするのも他人行儀な感じがするからだったが、みんなには少し不思議がられた。

 まあ、何というか、ぼく自身、人間的成長というやつを遂げたのかもしれない――なあんて、思ったりもするのだが、本当のところはぼく自身にも分からなかった。


      *


 ああ、そう言えば、ミサとのことだけど――。実は、ヘリコプターに乗る直前、隣でこっそり尋ねたんだ、彼女の気持ちを。


 運命のあの日、あの時間――。

 一旦止まった、ヘルコプターのエンジンが再始動し、巨大なローターが回り始める中、ぼくはミサに近づいて話し始めた。少しだけ声のボリュームも上げる。


「なあ、ミサ。藤田博士に操られてたのって、いつからなんだ?」

「なんで、そんなこと訊くの?」

「姉ちゃん、ちゃんと説明しなきゃ」

 美常が、意地悪な顔をして言葉を挟む。

 ぼくが睨みつけるのと、ミサが頭を叩くのが同時で、少しだけ場が和んだ。


「もう……、なんて言ったらいいのか。正直、後半はわけが分かんなくなってたっていうか……」

 ミサが困った顔で言うのを見て、

「そ、そっか。や、やっぱ、そうだよね。それじゃあ、あ、あの、さ、さっき、藤田博士に捕まった時のこととかは……ミサの意思じゃないってことだよね。そっか、そうだよな……、はははは」

 ぼくは早口でそう言った。顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。


 ミサの眉間に刻まれた深いしわを見て、ぼくはますますいたたまれなくなった。

「もう。何で、勝手に結論を出すの?」

「え?」

 ミサの目には、涙がにじんでいた。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

「だから……操られてる間も、意識はあって……なんて言えばいいのか……、あの行動は私の意思じゃないけど、えっと……」

 ミサの困ったような表情を見て、ぼくは全てを悟った。


 たぶん勘違いじゃない。

 傍らで美常が何かしゃべっていたが、もう何も聞こえなかった。ミサの美しい瞳から目を離すことができず、ぼくは唾を飲み込んだ。

「ミサ、す、す……」

 大事な言葉を言おうとするが、口から出てこない。


 すると、

「好き。ケイタ大好きよ」

 ミサがあっさりと言った。

 バ、バカ、カ!? 確かにマーク1の声が頭で鳴ったような気がした。がっくりと膝をつき、落ち込むぼくの肩をミサが優しく叩き、ぼくはヨロヨロと立ち上がった。

「ケイタ、本当にありがとう」

 ぼくはうなずくと、自然にミサを抱きしめた。

 そして傍らにいた美常の頭をくしゃくしゃっと撫でると、二人が声を上げて笑った。


 ――ってな感じ。

 今まで、いじめられっ子だったぼくにしてはがんばったと思うんだけどね。とんでもない事件だったけど、おかげでかけがえのないものがすぐ側にあるってことを知った日だった。

 それは、あの息が詰まるような学校とは、遠いところにあるもう一つの現実だ。

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