CODE10 煙の魔人誕生(1)
そこは、吹き抜けの高い天井とコンクリートの壁に囲まれた、広々とした倉庫のような空間だった。
幾つも連なった大きな金属製の箱に、黒い絶縁ゴムに包まれた太い
部屋にはエアコンのモーター音が響き、箱の表面には赤や青のデジタル光が瞬いていた。
「これは何だ?」
「いわゆるスーパーコンピューターと呼ばれるものよ。一瞬で大量の計算処理をこなせるの。ニュースで、演算速度、世界一とか報道されるやつと同じようなものね」
巨大なコンピュータの手前には、小さな事務机と端末用の小型パソコン、そして大きな液晶モニターが幾つもあり、グラフやメーターのようなグラフィックが、刻一刻と変化していくのが見てとれた。
「ここは城南医科大学のスーパーコンピュータールーム。私が入院している病院はここなの。今見ているこの映像は、ここの監視カメラの映像」
城南医科大学は、ぼくらが住んでいる街で、最も大きく歴史のある大学だ。
「監視カメラを通してここを見てるってこと?」
「そう、ライブ映像よ」
「じゃ、ぼくらは今、大学の警備システム内にいるってことか?」
「いるって言うのは、正確じゃないわ。今、私たちは警備システムのデータを脳にフィードバックしているだけ」
「つい、体ごと来ているような気がしちゃうけど……」
ミサがぼくの目を見てうなずいた。
「さっき、説明した魔人の場合と同じね。要は脳が直接、受け取っている情報を現実のように感じているってこと。私の場合、体を維持するための装置群、あれがネットに繋がっていて、アクセスしているの」
ぼくがミサの説明を呆然と聞いていると、
「気持ち悪い?」とミサが訊いた。
「ううん、そんなわけない。まさか、こんなことになってたなんて……」
ぼくは首を振ると、ミサを見つめた。
「そっか。でもね、ケイタをこの世界に連れてきたこと、それに街のエリアでバトルフィールドみたいに戦えたことも……実は理屈の説明はできないの」
「なぜかは分からないけど、できるってことか?」
「……うん。この状態が……長いせいかもしれないわ」
ミサはそう絞り出すように言うと、右腕で自分の体を抱えるようにした。小刻みに体が震えている。ぼくに気持ち悪がられることを覚悟して、自分の秘密を言ったに違いなかった。
ぼくはミサの目を見つめ、ただ、ただ、うなずいた。
ミサの置かれた境遇を思うと、簡単に言葉を発することができなかったのだ。
どうしていいか分からず、ぼくは下を向いた。すると、
「まだまだこれからよ。煙の魔神がどうやって生まれたかも説明していないし」とミサが呟いた。
「そう、それ!」
飛びつくように反応したぼくを見て、ミサが笑った。
同時に周りの映像がコンピュータールームに戻る。
「なぜ、わざわざ、ここに連れてきたと思う? 今から一年前。ここであるプロジェクトが行われたの。煙の魔神の誕生に関わる重大な出来事」
ミサが指を鳴らす。
目の前に一瞬ノイズが走り、無数の映像が、早送りされるように通り過ぎていく。多くの白衣の人間が動き回り、モニターを前に意見を交換させている様子に変わった。
「これは、監視映像の過去のデータ。ハードディスクの記録を遡ったの。いい? これから見る出来事が、全ての始まりなのよ」
ミサがぼくの手を強く握った。
*
スーパーコンピューターの前で、白衣の研究者や作業着姿のエンジニアが、忙しく作業を進めている。
壁には大きなスクリーンが掛けられ、昔のゲームのようなドット絵で描かれたジャングルが広がっていた。そこを小さなドットが無数に動き回っている。
スクリーンの前には何台も液晶モニターが置かれ、様々なグラフが映し出されている。グラフは、リアルタイムで刻々と変化し、研究者たちはそれを見ながら記録を付けたり、議論をしていた。
目つきの鋭い男性が中心になって、コンピューターを操作するエンジニアに指示を送っている。
刻々と出される指示にうなずきながら、エンジニアがプログラムにコードを書き加え、そのたびに、虫のような小さなドットの動きが変わっていった。
「あれは、人工知能の権威である加納博士。そして、彼の連れてきたスタッフたち」
ミサの説明にぼくはうなずいた。
「あの動いている小さなドットが、彼の作ったプログラム。博士は、あれをバグズと呼んでいたわ。食べることと寝ること、そして生き残ることだけを本能として持つプログラム。あのジャングルのような環境に適応しながら、自ら考えて行動するのよ」
スクリーンでは、バグズたちが、ジャングルの樹や石を乗り越え回り込み、お互いにくっつき、時にぶつかり合っていた。
バグズたちがぶつかると、火花のようなエフェクトが散った。どうやら争っている状態らしい。それぞれが争うだけで無く、二つの大きな群れが戦い合うシーンもあった。
「なんで、こんな、シミュレーション・ゲームみたいなことをやってるの?」
素朴な疑問だった。
「人がプログラムを書くのではなく、プログラムそのものを成長させる遺伝的アルゴリズムと言われる方法なんだって。AIを作るには最適な方法らしいわ。まあ、受け売りだけどね」
「どういうこと?」
「私も、研究者たちが話をしているのを聞いたのよ。ケイタにも、加納博士とスタッフとの会話を聞いてもらった方が、早いかもしれないわね」
ミサがそう言うと、加納博士とスタッフの一人が話をしている場面がズームアップされ、二人の会話が聞こえてきた。
「博士、大分成長してきましたね」
研究員がデータをチェックしながら話しかける。
「ああ。淘汰されて、数も少なくなってしまったがな。だが、どうすれば、ライバルを出し抜き、生き残っていけるのか、そしてこの過酷な環境に対応できるのか、彼らは確実に学んでいるよ。もう知性を持って、自律的に行動しているといっても、問題ないだろうな」
加納博士が満足げに言った。
「他の個体が失敗したことを学び、自分の中で生かしていってますよね。お互いに攻撃した時のジャンプや打撃の係数、角度なんかを変えていっていることは、データからも明らかです。それに、効率的に食料を得られるのは、どこの餌場なのか、安全な場所はどこなのか……そして最終的にどうやったら、仲間を融合できるのか、彼らはよく考えて行動していますよ」
スタッフが手に持った資料の数字を追いながら話をした。あれにデーターが書かれているに違いなかった。
「融合のルールは、取り入れて正解だったな」
「ですね。このルールがあるおかげで、それぞれの淘汰も無駄にはなりませんからね。相手がそれまで得た知識や経験も自分の物になりますし、他の仲間と融合することで思いもしなかった進化をすることもあります……。最終的にどんなプログラムが生き残るのか、本当に楽しみです」
「ああ、そうだな」
加納博士がうなずいたところで、ズームが解除され、元の全体を俯瞰する映像に戻った。
「どう? ここまでは分かった?」
「まあ、理屈は……。でも、あんな見た目だからね。知性を持っているって言われてもピンと来ないって言うか」
こんな単純に見える一昔前の2Dゲームのようなビジュアルと人工知能という言葉が、素直に結びつかない。
「見た目で判断しちゃだめよ。このプロジェクトで、AIの知性は、かなり成熟したんだから」
「ミサ、ちょっと待って。ここって医科大学だろう? そもそも、なんで、こんなAIのプロジェクトを進める必要があるんだ?」
ぼくは不思議に思い、そう尋ねた。
「実は、特別な目的があったのよ。人格や性格、記憶も含めた人一人の全てのバックアップという目的がね。この大学の理事長が不治の病……アルツハイマーを患ったことが発端として始まったプロジェクトだったの」
「アルツハイマーって、認知症か?」
ミサが発したのは、思いもしなかった言葉だった。
「うん。まだ、初期の段階に分かったらしいんだけど、脳の萎縮していくこの病気は、放っておけば、必ず認知症になっていくから……」
「つまり、その理事長の脳のバックアップのためってことか?」
「うん。記憶をデジタルデータとして抽出した上で、博士の生活パターンや行動パターンなんかと一緒にAIに融合して、脳の健康な部分に書き込むってことらしい。詳しい理屈は、私にも分からないんだけどね」
ミサが苦笑いしながら、説明を続ける。
「元々は記憶障害の患者に対する治療法として、ここで研究されてきたものなのよ。脳の中身をデジタルデータ化するために、直接耳からコンピューターのデジタル音を入力して、その反応を取り出すの」
「それって? ぼくらが煙の魔神の世界に捕まった方法にそっくりだ……」
「ええ、そうよ。そして、理事長自身が考え出したシステム」
ミサがぼくの目を見つめていった。
「理事長って、ただの偉い人じゃないんだね?」
「ええ。脳外科及び大脳生理学の世界的権威、藤田博士。彼は病に負けたくなかったのね。外部のAIの研究者の手まで借りて……。今から、その実験の様子を見せるわ」
ぼくは、ミサの言葉を呆然と聞いた。すると、再び、ぼくの目の前の映像が早送りのように動き出した。
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