神に愛されし少女よ、死を選べ
胡麻しじみ
プロローグ
ふわり、と瑠璃唐草の匂いがした。その匂いに懐かしさを感じ、振り返ると1人の少女が居た。
「あなた、神様でしょう?」
神は退屈していた。
だから、こんな無礼な問いかけに反応してしまったのかもしれない。胡座を描きながら釣りをしていた神は、無邪気な少女と目が合ってしまった。
「…視える者か。久しいな」
「ふふふ!わたし、みこのしそんって言うのよ」
巫女の子孫。
そういえば、ずいぶん昔、百年は前だっただろうか。
巫女として私に仕えていた者達がいたな。
私は神として、未だにこの村の行く末を眺めている。ぼんやりと、ぼんやりと。善も悪もなく、この土地は時の流れに身を任せ、ゆっくりと、確かに衰退していっている。
「…私は釣りをしている。邪魔をするな」
「あら!釣りは魚が餌を食べるまで待つだけでしょ!お話くらい、いいじゃない」
目の前に現れた幼い少女は長い黒髪をなびかせながら、人懐こい笑顔を見せる。
年齢は10歳頃だろうか。雪のように白い肌に、林檎色の頬が映える。溢れそうなほど大きな瞳は、透けるような黒。少女の笑顔はあどけないのに、その容貌は完成された美しさがある。
「嬉しいな、神様を見ることができるなんて!」
「…そうか」
「だって、御社ではお見掛けしたことがなかったんですもの!私は、神様を視る神力は無いのかと思っていたわ」
…確かに、社にいることは少ないかもしれない。
しかし、神をあのような狭い場所に囲い込もうと言う方が無礼ではないか。
「これできっと、大人になったら神様の花嫁になれるわ!」
「…乳臭い子どもは嫁には貰わん」
「まあ!失礼ね!これでも大人たちから器量よしって言われてるのよ」
そうであろう。
まだまだあどけない少女であるのに、見せる表情は息を飲むほど美しい。
少女は真綿のような頬をいっぱいに膨らませ、不服そうにしている。そんな姿でも、だ。
「ここは子どもの来るような場所ではないぞ。獣もでる。自分で身を守れぬような奴はさっさと帰るがいい」
「うん、でもね都お姉ちゃんに会いたくて…」
少女は釣竿の糸を見つめながら呟く。先ほどまでの明るい表情とは違い、沈んだ顔を見せる。
「あのね!少し前に神様の花嫁になった都お姉ちゃんは?元気にしているかしら」
暗い表情をしたかと思えば、それはそれは嬉しそうな顔を見せ質問を投げる。そんなにコロコロと表情を変えて、表情筋は疲れないのだろうか。
「あのね、都お姉ちゃんは村一番の美人だから、花嫁に選ばれたのよ!しかも優しくてね、大好きなの!」
「…そうか」
神は、面白くなさそうに答える。
「椿も大人になったら、きっと花嫁になるから!早く会いたいわ」
椿とはこの少女のことだろう。
そして、この少女が言う都お姉ちゃんとやらは花嫁に来た記憶はない。
ーーしかし、花嫁か。
未だにその様なものを、捧げていたのか。
神に届いていなければ、意味もない。
灰色の雲が空に広がり、どんよりとしている。雨こそ降ってはいないが、まるで泣いているような空だ。
「…もう、気安く話しかけてくるでない」
そう、言葉を残し神は姿を翻した瞬間、立ってはいられないほどの強風が吹いた。
「あ…」
少女は思わず目を瞑ると、次の瞬間に神は忽然と消えてしまった。
確かに神は、目の前にいたはずなのに。
わずかな痕跡もなく、ただ、落ちるには早すぎるほど青々とした葉が舞うだけだった。
*
ーー昔むかし、あるところに神が一神、誕生した。
人間が住むどの土地も凶作が続き、村人は重い税に苦しんでいた。この重税から逃れようと村から逃げ出す者も少なくなかった。
やがて逃げ出した者たちは、一つの土地を見つけた。痩せた土地ではあったが、山に囲まれているため役人に見つかりにくかったので定住することを決めた。
そこで、ある村人が一際輝く
「きっとこの石は神の化身に違いない!」
そう考えた村人たちは、この石に祠を建て、御神体として祀り、豊作と平和を祈った。
村人が見つけたその石は、確かに神の卵であった。
村人たちの願いに応え、神が生まれた。
神はヒトの形をしていた。だが、人間とは似て非なるものだ。
姿形は線の細い青年の姿をとっていたが、瞳は月白色で髪は銀色に輝いていた。そして、人間との決定的な違いは、存在そのものが発光していることであった。
村人の願いにより誕生した神の最初の仕事は、この痩せた土地を豊かにすることだった。
産まれたばかりの神の神力は弱々しかったが、村人たちの信仰心が強くなるとともに神力も強大になっていった。
最初の100年は村人にとっても、神にとっても幸福な時間だった。豊かに実る作物に、これから村を盛り上げていこうという思いに活気づいていた。
神は、そんな村人たちを見ていることが好きだった。
その村人たちの強い信仰心により、神の神力は強大になり、村人たちにも神の存在が視える程に。
だが、100年の平和は村人たちから信仰心を徐々に奪っていった。
神の存在こそは認められていたが、神を視ることが出来る人間が徐々に少なくなっていた。それに伴い、徐々に土地も痩せていった。
この平和な時代が、神の存在を緩やかに忘れさせていった。
そして、再び飢餓の時代が訪れた。
人々は神を忘れてしまった人間への天罰だと考え、巫女を花嫁として神に捧げるようになった。
すると、たちまち土地は潤い、その年は豊作となった。
村人は喜び、さらに神の恵みを頂こうと御社を建てた。
この巫女の末裔こそが、唯一、神への信仰心を残す存在であった。
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