私と彼は表裏の空
緒羽もなか
第1話
先生が結婚したらしい。
朝のホームルームで言えばいいのに、わざわざ一時間空けた二時間目の授業時に報告したのは忘れていたのか、故意なのか。
間延びした号令をいつものように聞き、右から左へ先生の声が流れる。同時に眼鏡を掛け直す音がするのもいつも通りだった。
「では昨日の続きから……ああ、その前に。私事ですが結婚しました。」
クラス中が静まり返った。誰が何を言うでもなく、ただひたすらに沈黙だけがその場を支配していた。
ことあるごとに騒ぎ出す森くんも、恋愛話には目がない村田さんも、この時だけは違った。
先生には悪いけれど、先生は恋愛するような人には到底思えなかったのである。
常に動かない表情を顔面に貼り付け、生徒から恐れられているし、生徒が恋バナで盛り上がっているところもどこか冷めた目で見つめていた。
でも唯一、隣の席の桐谷くんが持っていたボールペンを落とした。
乾いた音に反応したのは私だけだった。
隣は私だけだからだ。桐谷くんは教室の角、窓際の一番後ろの特等席に座っているから。
ペンを拾った時に私は彼を一瞥した。
チラと見たその横顔は日の光で見えづらかったが、明らかに動揺が表れていた。
「桐谷くん、ペン」
「あ、ごめん」
その後に「ありがとう」と続くのが普段の彼だったが、今日はそれがなかった。
彼自身にも意識を飛ばしていた感覚はあったのだろう。申し訳なさそうにペンを受け取った彼の顔はやはり逆光でよく見えなかった。
「先生は夏目漱石の作品の中でもこの『こころ』という作品が好きです」
隣の桐谷くんが小さく肩を揺らした。先生は好きな本の話をするときに少し微笑む。
ずり落ちてきた眼鏡を直す左手の薬指にはシルバーのリングがはめられている。
日の光がその小さな金属に反射して先生の瞳に向かって一筋、光を導いていた。
眼鏡のレンズでまた光が反射する。直接その光が目に入ってきて眩しかった。
顔を逸らすと、桐谷くんは窓の外の青い空を見上げるでもなく、俯くでもなく、ただ先生の後ろの黒板を見つめていた。
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