動揺

 不気味な沈黙を続けるヌパヅノに、朝葉が落ち着いた口調で問いかける。それに答えて、ようやくヌパヅノも口を開く。

「なんて言ってるんだ?」

「やっぱり……ヌパヅノさんだった」

「はじめに道案内してくれた人よね?」

「うん……。ちょっと話聞いてみる」

 いつになく緊張した声色で、朝葉が会話を試みる。ヌパヅノは腕の一本を三人に差し向けて言った。

「まず、そのまぶしい物を隠して欲しいって」

「ああ、ライトか」

 朝葉と聖がライトを消す。途端に色も線もない本物の暗闇が三人を取り囲んだ。滝の音だけが闇に充満する。聖はいつでもライトを点けられるよう、ボタンの上に指を浮かせて警戒する。

 闇の奥から、ヌパヅノの声が響く。

「非礼があったことはお詫びする」

 ヌパヅノの声に遅れて、朝葉が通訳する。

「我々は、神々と敵対するつもりはない。けれど、知っているかもしれないが、我々に神々を敬う心がないことも事実だ」

「我々? ヌパヅノは下の村の住人じゃねえのか?」

 聖の言葉を朝葉が訳して伝える。

「下の村の者でもあるし、上の村の者でもあると言える」

 朝葉がヌパヅノの言葉を通訳すると、つゆがひらめいたようにつぶやいた。

「……スパイだわ」

 三人の間に緊張が走る。ヌパヅノが言葉を継ぐ。

「わたしとしては、二つの村のために尽くしているつもりだ」

「何言ってんだよ、やってることは詐欺と泥棒じゃねえか」

 朝葉は黙って、ヌパヅノの次の言葉を待つ。

「そこで、お互いのために、取引したいと思っている」

 朝葉がちらりと二人の顔を見る。

「いいわ。続けて」

 少しずつ、暗闇に目が慣れてくる。だが、ほんのわずかに空と地面の境界が判別できる程度だ。動き回るにはおぼつかないだろう。

「我々としては、現在進行しつつある二つの村の統合計画を、神々に妨げられるわけにはいかない。特に、このような危険な武器を振り回されてはたまらない」

 ヌパヅノは暗闇の中でつゆのスマホを持ち上げた。その拍子に、指が触れたのかスマホの画面が点灯する。

「わたしのスマホ……」

「武器って、なんのことだ?」

 その時、朝葉の脳裏に半日前の記憶がよみがえった。

 この世界に入り込んですぐ、ヌパヅノに案内されて村への道を歩いていた時に、朝葉との間に交わされた、他愛ない会話。朝葉が口にした、些細な冗談。

「村を破壊し尽くす、神の兵器……」

「あ……」

 二人も同時に思い出したようだった。

「わたしが写真撮ってた時ね」

「おまえが適当なこと言うから……」

「ごめんって」

 ヌパヅノが話を続ける。

「この武器は、我々には必要ない。村を壊すつもりはない。けど、ただで返すわけにもいかない。まもなく戦いがはじまる。そこで、神々には、我々の味方をして欲しい」

「裏切れってか? 下の村を」

「その条件は飲めないって伝えて。神は戦争には加担しないって」

 朝葉が通訳すると、しばらく考え込むように黙ってから、ヌパヅノは答えた。

「それなら、神々は何があってもこの戦いに干渉しないことだけ約束して欲しい」

 三人は顔を見合わせる。とは言え、互いの顔はほとんど見えていない。

「どうする?」

「元々干渉する気はないわ」

「けど、村長さんたちは、わたしたちが解決してくれるって思ってるよ、きっと」

「でも、わたしたちは神様じゃないのよ。できることなんてないわ」

「そうだけど……」

 合理的なつゆと、世話焼きの朝葉の意見がすれ違う。ヌパヅノは静かに返答を待っている。

「朝葉。今から言うことを、そのまま伝えてくれ」

 二人のやり取りを静観していた聖が、口を開いた。

「まず、あたしらからパクったそのスマホ……、いや、武器だな。その武器は、一つじゃない。少なくとも、まだここに二つある。朝葉、ライト点けてくれ」

 聖の言葉を通訳すると、朝葉と聖が同時にライトを点灯する。白い光の中で、ヌパヅノがまぶしそうに顔を隠す。

「だから、おまえが持ってるその武器は、取引の材料にならない。だいたい、神に取引だと? ふざけんじゃねえ。あんまりナメた真似してると、今すぐおまえを丸焼きにする」

「ちょっと、何言ってるの……?」

「いいから、黙ってろ」

 できる限りの威厳を保ったまま、朝葉が聖の言葉を伝える。光に手をかざしているため、半ばこの世界に同化した朝葉にも、ヌパヅノの表情は読み取れなかった。

 聖はさらに続ける。

「今すぐ、その武器をゆっくり地面に置いて、そっちの村に帰れ。十秒だけ待つ。もたもたしたり、妙な行動をとったら、おまえを殺したあと、上の村も下の村もすべて灰にする」

 口を挟みかけたつゆを、聖が止める。朝葉は、ためらいながらも、聖の意図を曲げることなく伝える。

 永遠とも思える沈黙が、その場を支配する。聖もそこで言葉を止め、相手の動きを注視する。

 やがて光の中で、ゆっくりとヌパヅノが身をかがめた。そして、スマホを地面に置いた。

「ぴデむぱ、ヘゆわびヌベん」

 ヌパヅノは何やら言い残して、光の届かない暗闇へと消えた。奥に詰めているはずの見張りたちがやってくる様子もない。

「……行ったみたいだな」

「とりあえず、一度戻りましょう」

 つゆはスマホを拾い、三人はまた暗闇の中を洞窟に戻った。


「ひじりん、殺すって、本気だったの?」

 穴に戻るや否や、朝葉が聖を問いただす。

「バカ、本気なわけねえだろ」

 聖は寝床にどっかりと尻をつけた。

「あの場での最優先事項は、つゆのスマホを取り返すことと、あたしらの安全……つまり、見張りに捕まらないことだったはずだ」

「それは……、そうね」

「それから、できることなら適当な口約束をしないこと。一応こっちの村に間借りしてる身だし、自由に動けた方がいい」

「けど、だからって、ただでさえ火花が散ってる村同士の間に、油を注ぐようなことを言わなくてもよかったんじゃないかしら」

「油は注いでねえだろ。さっきのは、あくまで神としてのあたしら三人だけの勝手な主張だぞ。下の村の意思を代弁したわけじゃない」

「ヌパヅノさんはそう思わないかもしんないじゃん」

「あたしは、どっちに味方するとも言ってない。神様ナメたら怖いぞ、つっただけだ」

 つゆも寝床に座る。続けて朝葉も腰を下ろす。

「でもさあ、もう無関係じゃないんだし、こっちの村長さんに味方したくない?」

「中途半端に味方なんてできねえよ。さっきつゆが言った通り、あたしらにできることは、何もない」

「何もしなかったら、このまま戦争になっちゃうんだよ?」

「本気で上のやつらが戦争しかけてくるつもりなら、遅かれ早かれ攻めてくるだろ。今あたしらが何やったところで、一時しのぎにしかならねえよ。あたしらは、しょせん、今日来たばっかのよそもんだ。ずっとここにいられるわけじゃない。ここの問題は、ここの連中で、時間かけて解決するしかねえんだよ」

「そりゃ、そうかもしれないけど……」

 花が萎れるように、朝葉がうつむく。聖はあぐらをかいたまま、わざとらしいため息をつく。

「朝葉は、なんでもかんでも背負い込みすぎるんだよ」

「うん……」

「まあ、それがおまえのいいとこでもあるんだけどな」

 つゆも気の利いた言葉を探すが、脳裏に去来する台詞はどれも虚しく空回りするばかりだ。

「ヌパヅノさん、スパイだったのね……」

 ようやくひり出した言葉は、毒にも薬にもならない独り言だった。

「もしかしたら、市井さんが捕まった時に拘束を解いたのも、ヌパヅノさんだったのかも」

「ああ、あり得るな……。朝葉、おまえが話した時に、なんか怪しい素振りはなかったのか?」

「怪しい素振り……」

 道案内をしながら、妙に人懐っこく話しかけてくるヌパヅノの姿が、朝葉の頭によみがえる。

 どこから来たの? あの箱は何人乗りなの? その武器はどうやって使うの?

 回想の中のヌパヅノが、神々の素性を根掘り葉掘り尋ねてくる。ヌパヅノは、バス停のことも、何も知らないと言った。誰よりも情報に精通しているはずのスパイが、無知なはずはない。

「怪しい素振り、ありまくった……」

「家族のためだとか言ってたのも、どこまで本当なのかしら……」

 つゆはヌパヅノの心境を慮るように、スマホで撮影した後ろ姿を眺めた。しかしその異形の風貌に隠された内面は、わずかばかりも漏れ出すことはなかった。

「そういや、去り際になんか言ってたよな」

 ふいに、聖が思い出して言う。

「あー、確か……」

 朝葉が記憶をたどる。つゆのスマホを置いたあと、ヌパヅノが、立ち去る間際に残した言葉だ。

「神に……」

 一瞬、口ごもる。

「神に、人の心はわからない」


 異様な空気が、三人の間に満ちる。誰も、返す言葉を見つけられずにいる。

「なんだよ、それ……」

「人でもない、神でもない……。だったらわたしたちって、何なのかしら」

 言葉にならないやるせなさが、真綿のような柔らかさで、三人をじわりじわりと圧し潰す。

「なんか、むかつくぜ……」

 聖が、握りしめた拳を、固い地面に打ちつける。

「こんなこと、やりたくてやってるわけじゃないわ」

「わたしたち、ただ学校に行こうとしてただけなのにね……」

 つゆのスマホの明かりが消えると、再び墨を流したような闇が世界を包んだ。

 三人は、それぞれ、自分に何ができるのか、何をすべきか、何をすべきでないのか、暗闇の中で思いを巡らせていた。誰一人、横になる者はいなかった。


 ふと、雨の音に混じって、何者かが水たまりを踏む足音が近づいてきた。小刻みな、焦りがにじむ音だ。

 ほとんど闇に潰れた入口の輪郭に、何かの影が現れるのと同時に、

「ぴデむ、わペヨツアラピゴ!」

 影が叫んだ。

「コぼしミぺ、シェリパニんアア!」

 言葉のわからない二人も、かすれた声色からただならぬ事態を感じ取る。

「どうしたんだ?」

 朝葉はしゃべらない。

「おい、朝葉、どうした?」

 入口に立つ何者かの荒い息づかいが、洞窟内にくぐもって反響する。

「う……、上の村が……」

「なんだよ、はっきり言えよ」

 朝葉がごくりと唾を飲み込む。

「攻めてきたって……」

「何ですって?」

「ちくしょう、早速かよ」

 聖がスマホを点灯させて、荷物を掻き集める。

「ちょっと……、どうするの?」

「わかんねえよ、けどじっと座っとくわけにもいかねえだろ」

 つゆと朝葉も、遅れて荷物をまとめはじめる。

「朝葉、状況を聞いてくれ」

「うん、わかった」

 制服を乱暴にリュックサックに詰め込みながら、朝葉が村人に問いかける。

「塞いでた道の封鎖を解いて、上の村人がこっちに踏み込んで来たって。みんな、槍とか、包丁とか、武器を持ってる」

「話し合う気はないんだな」

「村長さんが、村の人を呼び集めて、一箇所に匿うように動いてる。けど、逃げ遅れた人が……」

 朝葉の声が震える。

「しっかりしろ。まだ間に合う」

「うん……。村の中心部……、わたしと姫が見に行ったとこに、みんなを集めてる。神様にも、来て欲しいって……」

「わかった。とりあえず行こう。出れるか?」

「ええ」

「大丈夫」

 三人は村人に続いて洞窟を出た。雨は弱まっていたが、止むことなく降り続いている。まるで村全体が、泣いているみたいだと、走りながら朝葉は思った。

 

 

 

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