君に添える花

桜花

君に添える花

「ぼくね、大きくなったら結美お姉ちゃんと結婚するんだ」

 優斗は公園の砂場で大きなお城を作りながら、端に生えていたタンポポを引っこ抜き、隣で静かに見守っている結美に渡して人生で初めての告白をする。

 一緒に遊んでくれている近所のお姉さんに恋心を抱くのは優斗ぐらいの歳ではよくあることなのだろうが、結美はそのような言葉を言われ慣れておらず、耳まで真っ赤にして顔を逸らすことぐらいしかできなかった。

「……いきなりそんなこと言われても困るよ。それに、私と優斗くんじゃ歳が離れすぎているじゃない」

「うん、だからぼくが大きくなったら結婚してね。約束だよ」

 まっすぐな視線で向けられる満面の笑みに、結美はどうしたらよいのかと頭を悩ませる。

 高校の図書室で借りた恋愛小説を読みながら、私には絶対に恋愛感情を向けられることなんてないだろうと思っていたのに、まさか今になって経験することになるとは思ってもいなかった。

「……もしかして、お姉ちゃんはぼくのこときらい?」

「きらい、じゃないんだけど……。確かに私も優斗くんのことは好きだよ。けど、優斗くんが思ってくれている好きじゃないと思うんだ」

「好きなのに好きじゃない? それってどういうこと?」

 小学校に上ったばかりの優斗くんには友達の好きと恋愛的な好きを区別することは難しかったらしく、見るからに困惑の表情を浮かべている。

 初恋のきっかけなんて、隣の席になった女の子に消しゴムを拾ってもらったからだとか、家が近くで帰り道が途中まで同じだったからとか、所詮そんなものだ。

 そんな子供の告白一つにここまで動揺させられるなんて、なんだか私の方が恥ずかしくなってきた。

「……とりあえず、私のことを好きって言ってくれてありがとう。これまで一度も言われたことがなかったから、私も嬉しかったよ」

「ほんと!? じゃあぼくがお姉ちゃんの初めての恋人になるんだね。大きくなったらぼくのお嫁さんになってくれる?」

「えっと、それはちょっと私の方が難しいというか、なんというか……。ほら、優斗くんが大人になる頃にはもっと素敵な人に出会えるかもしれないでしょ。だからもうちょっと待ってみようか」

「えっ、なんで今じゃダメなの。ぼくが好きなのはお姉ちゃんだけだもん!」

 優斗くんをなるべく傷つけないようにやんわりと話を受け流すつもりだったのだが、どうやら納得のいく説明ではなかったらしい。今にも泣きだしそうな顔をしながら、必死に何かを訴えてくる。

 しかし、結美はその想いに答えてあげることはできない。

 時間というものは残酷で、きっと優斗くんが私ぐらいの歳になる頃には今日のことなんてすっかり忘れていることだろう。

 優斗くんにはこれからの未来がある。私のような人間にうつつを抜かさず、前だけを見て生きて行ってほしかった。

「分かった。じゃあ私からも一つ約束してもらおうかな」

「……やくそく?」

「そう。優斗くんと私だけだけの、二人だけの約束。お姉ちゃんと一緒に、約束してくれる?」

 優斗くんはしばらく悩んだ後、静かに頷いてくれる。結美は彼の目に浮かんでいる涙を手で拭い取り、話し始めた。

 正直、彼のことを考えたら今日のことなんて綺麗さっぱり忘れ去ってしまった方がいいだろう。だから、これは単なる私のわがままだ。

 ふとした時でいいから、大人になっても私のことを思い出してほしい。それが結美が抱く、たった一つの願いだった。

「分かった。じゃあぼくはお姉ちゃんのこと絶対に忘れない。だから、大人になったらぼくと結婚してね」

「……そうだね。優斗くんが大人になったら考えてあげるよ。これは、二人だけの約束だから」

 優斗くんが小指を突き出してきたので結美もそれに倣い、彼の小指に絡め合わせる。

 指切りなんて、子供の頃にした時以来でなんだか懐かしかった。

「じゃあ、ぼく帰るから。絶対絶対、約束だよ」

「うん、約束。私はずっと君のそばで見守り続けるから、絶対に忘れないでね」

 優斗は、結美が帰り際になって何故そんなことを言ったのかよく分からなかったが、もう日が暮れ始めていたので急いでおもちゃを片付け始める。

 詳しいことは明日聞けばいいやと思っていたのだが、それ以来その公園に行っても結美に会うことはなく、気が付いたら優斗は結美のことなんてすっかりと忘れてしまっていた。



「あれ……、私この人知ってるかも……」

 恥ずかしながらも、彼女のことを思い出したのはあれから20年以上経った後だった。優斗は口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出し、読んでいた新聞紙をびしゃびしゃにする。

 妻が大慌てでキッチンから乾いた布巾を持ってきてくれたが、この服に着いたコーヒーの染みはクリーニングにでも出さない限り取れないだろう。だが、今はそんなことはどうでもよかった。

「結美……、姉ちゃん?」

 優斗はテレビに映っている少女の写真を見ながら、自分の中に眠っていた昔の記憶と照らし合わせる。

 ニュースで流れているその写真は彼女が中学生だった頃のもののようで、自分が知っている結美よりは少し幼いような気もするが、まず間違いなく自分が子供の頃によく遊んでもらっていた結美お姉ちゃん本人だった。

「もう、いきなりどうしたの。そんなに慌てちゃってさ。……もしかして、この人と知り合いだったりした?」

「……あぁ、昔よく面倒を見てくれていた人だよ。自分のことは全然話してくれない人だったから名前と顔しか知らないけど、まず間違いなくあの人だ。懐かしいなぁ……」

 なぜ今まで彼女のことを忘れていたのか、自分でもよく分からない。彼女のことを絶対に忘れないからと指切りまでして約束したはずだったのに、優斗はニュースを見るまで彼女のことをすっかり忘れてしまっていた。

「そう……。でも残念ね、せっかくのお友達がご遺体で見つかっただなんて」

「あぁ、でもどんな形でも見つかってくれてよかったよ。きっと一人じゃ寂しかっただろうからな……」

 テレビで流れているニュースによると、彼女が行方不明となっていたのは30年以上も前のことで、優斗がよく遊んでいた公園の砂場に埋められていたらしい。

 立ち入り禁止のテープが張られているその場所は、優斗と結美が初めて会った思い出の場所でもあった。

「それより花音はこの人をどこで見たんだ? さっきこの人知ってるかもしれないって言ってただろ」

「えっと、どこだったかなぁ……。たぶんだけど、この公園に行った時だと思う。お父さんのことをずっと見てたから、変だなと思って話しかけたんだ。そのお姉さん、お父さんのことを見ながらずっと泣いてたよ」

 花音の話が本当だとすれば、いまニュースで映されているこの公園で見かけたらしい。知らない人には無暗に話しかけないようにとあとで叱っておかないと……。

「よし、じゃあ今からその公園に行ってくるとしますか。お父さんも彼女に伝えなければならないことがあるしな」

「なになに。今から彼女にプロポーズでもしてくるの? わー、奥さんの前でそんなこと言うなんてだいたーん」

「……それもありかもな。だいぶ長い間待たせてしまったし、盛大に振ってくることにするよ」

「えっ、それってどういうこと? ちょっと詳しく聞かせてほしいんだけど。ねぇってば」

 優斗は混乱している妻を後目に、車の鍵を探し始める。

 遺体が見つかったらしい公園にはたくさんの供花が沿えられていたが、優斗もその中に一輪のタンポポをお供えするつもりだった。

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