4・異変①

 暗色あんしょくの混じった雲の下を、一羽の鳥が飛んでいく。眼前に広がるは一面の淀んだ色の海。いかにも冷たそうである。少しでもこの翼に飛沫が跳ね飛ぼうものならば、冷えきった海水と冷えきった空気で凍りついてしまうと考えられる。


 まったく、いつまでこんな忙しい日々が続くのか。鳥は過労でうっかり落っこちて冷凍肉になるのはごめんだと思った。カチンコチンに凍りゆく時、悲しむ顔を思い浮かべる暇もなく最後に木霊こだまするのは、間違いなくアイツのあざけり声だろう。「焼き鳥は食われて幕を閉じるのが当然の末路だろう」なんて言いやがる。本当にアイツは、知れば知る程憎たらしい奴だ。


 自分の行動が、光をもたらす事になるかもしれないと主(あるじ)は言った。自分は半信半疑だが主は勘がいい。とにかく急がねば。


 風を全身に受けながら、鳥は何十回と行き来を繰り返した景色の中を飛行した。やがて主の待つ島が見えて来た。鳥は後少しの辛抱だと自らを鼓舞こぶした。穏やかな波が打つ白浜を突っ切って、緑と一本道しかない場所を飛ぶ。少し経つと、高い塀で仕切られた、立派な建物が現れた。

 そして出入り口である大きな門の前には一人の老人が待ち伏せており、手を振っていた。鳥は嬉しくなってスピードを加速させる。間隔が十メートルくらいになるまで近づくと、徐々に速度を緩めていって、ふわりと老人の腕に降り立った。


「主!主!ああ、早くに会えてよかった!キュウー!凍え死んじまうかと思った!」


「ふふふ。すまんのう、お前には苦労させてばかりで」


 鳥に「主」と呼ばれている老人は、ちょうどこれを買って来た帰りだったんだ、と言うと、ズボンのポケットから袋を取り出し、黒い紐を解く。中には岩のようにゴツゴツとした茶色の物体が入っている。


 袋を持った別の手の平からボッと炎を出してみせた。それをぎゅっと握り込んで、小さな火種にする。そして物体に火種を移すと、油を染み込ませたかのように激しく燃え上がった。鳥は燃え盛る有様を瞳に映すと、だらりとよだれを垂らした。

 炎を出した時も手の上で炎が踊っている今も、老人は顔色一つ変えなかった。老人が物体をちゅうへ放ると、鳥は素早くクチバシを開いて食らいついた。


「んまっ! んまあーっ!」 鳥は火を噴きながら、クチバシを動かした。「これは、〈味覚の深淵ルンド・エーデ〉の店で買ったものだろう? 高・級・品! キュウーッ!」


「ほう。味で分かるかラヴァー」


「ああ。味は勿論もちろんだが、キュウー、燃やす前にキラキラと光るものが見えた。いい餌を食べてた証拠だ」


 ラヴァーはごくりと飲み込むと、老人は「そうかそうか」と言った。喜んでもらえて嬉しそうだった。


「――ところで、ここに戻ってきたという事は、何かいい知らせを持って来てくれたという事かな?」


「キュウー、まあざっと見てきたところ、ごちゃごちゃしてるけど悪くはない雰囲気ではあったよ。で暮らしてる奴らもうまくやってるみたいだしな」


「向こう側で暮らしている子達の様子は? 元気だったか?」


「ああ、とりあえずオイラの滞在中にしょっちゅう追っかけ回すくらいには有り余ってるよ。――けど、飛び回っている間に何か変な奴を見かけたな」


「変な奴? 魔力持ちか?」


「キュウー……持ってるには持ってる。もうじき開花しそうな奴だ。男で相当に若い。それがもう笑っちゃうくらいちっちゃいんだが、まるで茹だっているように形がグラグラしているんだ」


「グラグラ……」


 老人は考えるように顔を伏せると、やがて動き出した。体全体を覆うようなマントをひるがえし、門に背を向けて歩き始める。ラヴァーは足の先から伝わる振動に驚いて、翼を広げた。


「キュキュッ! 今度は主も一緒に行くのか?」


「ああ、そうじゃな」


 老人はラヴァーの方を振り向いた。


「だが、向かう先はお主が見つけた人物のところに、じゃ」


「はあ!? なんでだよ。冗談はよせよ、キュウー! ちょっと可愛いスズメを見つけたんで、追っかけてたら偶然見かけたんだ。魔力持ちって言ったってその程度だぞ? 近くを通らなかったら絶対気付かなかった!」


 ラヴァーは慌てた。


「それに、の存在を無駄に知らせることになるんだぞ! キュウー、それともに関係があるってのか?」


 バサバサ翼をはためかせ、引き返すように訴える。だが老人は歩みを止めはしなかった。杖を突きながらゆっくりと歩いている。


「いや、わしが出向く事とオラクルは関係ない。お主の報告を聞いて少しその者の事を心配に思っただけじゃ。お主はただ単に部屋で温まりたいだけじゃろう」


 老人が言うと、ラヴァーは翼を使って騒ぎ立てるのを止めた。図星らしい。


「一緒に行きたくないのであれば、わしの部屋で待っとっても構わんぞ?その代わり暖房はついておらん。一日二日は空くだろうから、部屋は相当冷えこ――」


「よーし! オイラもついて行くぜ! その前に一旦のどを潤してくるとするか。先に行っててくれ!」


 ひゅうと冷たいのが吹くと、ラヴァーは風に乗るようにして飛び立った。そうして柵を越え、敷地内へ入って行く。老人は足を止めると、ラヴァーの姿が見えなくなるまで目で追っていた。


 老人は冷たい風から身を守るように、マントにくるまった。――ラヴァーにはああ言ったが、わしだってオラクルの件は気になるところだ。あやつは前のオラクルとの絆を放棄したと言った。そして探りを入れたら無視をされた。一体何があったというのやら……。


 老人はどことなく胸騒ぎを覚えていた。ロクな情報が得られぬ以上、自分が動かねばなるまい。風にさらわれないようシルクハットを抑えて、老人は曇り空を見上げた。



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