0から100まで

@murasaki1999

第1話   「先生」と「生徒」

 人と人の間には0~100まで距離がある。親と子を0とし、企業と企業の契約、国家と国家は100とする。距離を非常にうまく図れる人と、図るのがとことん下手な人がいる。距離感を図るのが下手な人は社会が用意した関係に自分と相手を当てはめることで問題を解決できる。「先生」と「生徒」という枠があれば、緊張する必要がない。「部下」と「上司」、「先輩」と「後輩」も同様である。問題は自由な友好関係である。特に同級生の場合、日本語の恩恵である敬語すら使うことができない。自由、平等は素晴らしいものだが、友好関係においては例外である。

 相手との間合いは人それぞれである。小学校でも大学でも何でもいいが、同じクラスの同級生と初めて話すとき、あなたが100の距離で敬語を使ったとする、しかし相手が50の距離で話そうとした場合、不和が生じる。

 日本語ほど役職や上下関係といった距離を話者に意識させる言語は少ないと思う。先生!や課長!総理!と呼び、目上の人には敬語を使うのが日本語である。しかし自由と平等である友人関係、サバイバルの人間関係において、日本語は無責任である。敬語を使う時点で普通の人は0距離にはなれない。フランクな敬語かとても丁寧な敬語にもよるが、敬語は一定以上距離を縮めるべきではないことを話者に教えてくれる。しかしタメ口は距離が近い言葉である、とても近い。

 「先生」がタメ口で話し、「生徒」が敬語を使う場合、明るく親しみやすい会話ができる。もちろん丁寧な敬語を使う先生の場合、生徒はより丁寧な敬語を使う。

 それならばだれとでも敬語を使えば問題が生まれないのではないかという話になる。距離を測るのが下手な人はいっそそうするべきであると考える。先ほどから申している「距離を測るのが下手な人」は適切に距離感を調節できない人である。この種の人は、間違ったタイミングで0距離にしてしまう。ならば最初は100の距離から始め、相手に合わせて距離を近づければいいのではないか。

 

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