第116話 願ったとおりに、穏やかに…




 一人になっての時間、毎日の部屋の清掃に合わせて、その他の荷物も少しずつ整理した。


 小さなボストンバッグだけにまとまってしまった悠介の荷物。その中には、受け取った小さな箱がきちんと収められていた。


「美桜さん、ここに私がいてはみなさんにご迷惑をかけてしまいますよ」


「いいえ。そんなことはありません」


 彼女は首を振る。


「私はこれでも医者ですもの。例え何かがあったとしても、私は最後までお世話させていただきます」


 穏やかな会話だった。


 あの日以来、悠介の身の回りは美桜に任された。


 彼女が渚珠に志願したもの。他のメンバーでは無理だろうとリーダーは判断した。


 ALICEポートの機能自体は平常に戻したけれど、美桜の診療所だけは再開させなかった。


 美桜は、先週末から悠介への積極的な投薬は行っていなかった。


 面会として二人でゆっくりと話し合った。


 一番の懸念事項だった可憐も無事に見送った。


 悠介自身もあと僅かだと自覚している。


 それなら、可憐から頼まれたように、せめて穏やかな時間を過ごして欲しい。薬も痛み止めだけにして、他は全て打ち切った。


 そんな美桜に悠介は感謝していた。散歩などにも付き添って、ずっと海を一緒に見ていた。


 海と星を見るのが好きだった可憐との思い出をかみしめた。


「おなか、すきませんか?」


「……いつも、すまないですね……」


「いいえ……。構いません……」


 食事を作ってくれている奏空にも伝えていないけれど、ここ数日は口にしたのは水分だけで、固形物はほとんど手を付けていない。


 その様子を見て、美桜は最後の決断をした。


「このお部屋では、少し暗いですね。サナトリウムの方に移られますか? 今日なら、あちらの方が暖かいと思いますよ」


「では、そうしましょうか」


 美桜の押す車椅子に乗って、ゆっくりと移動する。


「美桜さん、あなたには本当に感謝しなければならなりませんね……。素晴らしいお医者さんに診てもらえましたよ」


「いいえ。そんなことはありません……」


「あの当時、可憐と結ばれていて、子どもが生まれたとき、女の子なら深愛みおと名づけるつもりだったのですよ。僕たちは不妊だと言われていましたからね」


「ですが……」


「結局は同じです。僕も可憐も、どこから来たのか分からない。で精いっぱい生きた。それだけです。この次に生まれてきたときは、また彼女を探しだしてみたいと思いますよ」


 診療棟を抜けて、併設されているサナトリウムのベランダに出た。


 風を通してオープンにも、ガラス戸を閉めて温室にすることも出来る。窓の外は砂浜とその先に続く水平線だ。この先に明かりはないから、夜になると満天の星が見える。


 寒くならないように窓を調整する。お昼を過ぎて、日が少し西に傾きかけていた。


「他の皆さんにも、お礼の伝言をお願いできますか?」


「ええ。お呼びしましょうか?」


「それには及びません。皆さんは本当に素敵な方々です。ありがとう」


 美桜が彼と交わした言葉はそれが最後だった。


 渚珠を連れて戻ったとき、彼は柔らかい午後の日差しの中で、可憐が願ったとおりに微笑んだまま眠りについていたのだから。


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