第72話 ここがいい!!




 美桜が心配になって手に力が入るほど、みるみる高度が下がっていくのが分かる。


「本当はねぇ、普通の連絡船はもっと速かったりするんだよ。窓を閉じちゃったりするのはそういう時なんだよねぇ」


「あの……、さっき凪紗さんが言っていた、便名ってのは?」


「あぁ、このAL9973って、わたしだけが使える番号なんだよ。この間の事故の時みたいに、どうにもならないときの救援とかに使うの。だから、この番号を見たら誰だかすぐに判っちゃう。美桜ちゃんと同じ」


「えぇ……?」


「知ってるよぉ。お医者さんで小島美桜ちゃんて言ってみたらみんなの反応がすごかったぁ」


 その時のことを思い出したようで、くすくす笑い出す。


 L1コロニーが生み出した奇跡の天使と言われる美桜が合同説明会に出ていたことが広まっていたらしく、どこに就職したのか、医療関係者は見守っているそうだ。


「だから、わたしもプレッシャー感じてる。美桜ちゃんはわたしたちのところでなくても、きっと条件よく採用してくれるはず。うちを気に入ってもらえればいいけれど……」


 やはり同じような話はどこにでもあるのだ。松木渚珠をはじめとするALICEのメンバーのネームバリューはそれぞれの関係者にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。


「そんなに心配しなくても……、きっと大丈夫だと思うんだ……。絶対とはまだ言えないけど……、きっと……」


「うん。ありがとう。さぁ大気圏に入るよぉ。揺れるけど心配ないからね」


 言い終わる前から、とたんに下から突き上げるようなショックが伝わってくる。


 漆黒に光の点が散らばっていた窓の外には、薄紫色のプラズマがかかり、徐々にオレンジ色が増してきた。


 初めての大気圏突入、しかも連絡船ではなく小型の船という状況に美桜は覚悟をしていたけれど、聞いていた様子と全く違っていた。


 小型の高速船ほど揺れると、友人たちや兄からも聞かされていたのだけれど、不安になるような振動も無かった。


 横では計器を見ながら、小刻みに操縦桿を調整する同い年のパイロット。


 先ほどの無線での会話を思い出す。こういうことに素人な自分にも分かる。確かに彼女の腕は誰もが認めるところで、あの『奇跡の4日間』はこの手があったから実現したのだと。


「よぉし、抜けたぁ」


 3分ほどで窓の外の炎は消え、藍色の空が頭上にあった。横を見ると、翼の先端からうっすらと煙のような物が出ていたけれど、たまたま水蒸気の多い所を超音速で通り抜けただけだと渚珠が笑って落ち着かせてくれる。


 カーブで機体を傾けた時に視線を下ろすと、眼下にはこれまた紺色から薄い水色まで様々な色調の海が広がっている。


「うわぁ……本当に青い……」


 それ以上の声が出ない。偶然にも、今回のルート上には雲が全くなく、これまでも何度となく同じように飛んでいる渚珠にしても理想とも言える景色だ。


「今日はよく見えるねぇ。カメラ回しておきたかったなぁ」


 徐々に高度を下げていくにつれて、空の色が薄くなっていく。


「ALICEポート、着陸許可お願いします」


『9973便、滑走路09番への進入を許可します。風が進行2時方角から3メートル。ランディングに支障があるほどではありません』


 着陸用の車輪を出した影響での風切り音が緊張感を盛り上げてくる。


「了解。緩い南風かぁ。あと3分」


 コバルトブルーの海面の先に四角い路面が見えてきた。


『渚珠ちゃん、割りこみごめん!』


「弥咲ちゃん、なにぃ?」


『その機体、メンテナンスに入れるから、そのまま事務室前まで持ってきちゃって』


「はぁい。最終アプローチに入りまぁす」


 これまで美桜が体験してきたポート到着は、スピードを落として最後にドッキングで終了という方法だから、スピードに乗りながら滑走路に降りるのは当然初めてだ。


 そんな彼女でも恐怖はほとんど感じられなかった。


 浅瀬になるに従って海の色が変化し、最後には灰色の地面になった。ほとんどショックもなくふわりと着陸して、逆噴射のスラストリバーサーは使わずに穏やかに減速していく。


「美桜ちゃん、お待たせでしたぁ」


 無線で言われていたとおり、建物の前まで近づくと、同じ制服姿の少女が出てきた。


 彼女は誘導用のパドルを両手に持っていて、渚珠はその動きで機体を停止させた。


「はぁい。もうベルト外していいよぉ」


 タッチパネルの計器とエンジンのスイッチを止めていき、ハッチを開いた。


「うわぁ……」


 初めて感じる風と潮の香りに思わず美桜の声が漏れる。


「お疲れさまでした。ALICEポートへようこそ」


『ここがいい!』


 両手を生まれて初めての青い空に伸ばして、美桜はそよ風に吹かれながら心の中で頷いていた。

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