第51話 最後の最後まで…




 そして、凪紗がこれから先は船に任せると言っていたポイントに到着した。


 目と鼻の先にドッキングするゴールがある。


「さて、最後だ。君がやるか?」


「いえ、私はお手伝いです。船長さんですよ」


 これまで、事故以来切っていたスイッチも全て手動に設定して立ち上げる。完全な手動制御だ。


 そこに、予定していたアラームが鳴った。タンク内の酸素残量が空になった警報だ。


「キャビン。先ほどの手順で機内空調を保ってくれ」


 残る時間は40分。これなら十分に余裕があると思っていた。しかし……。


「くそ、スラスターがここでか?」


「どうしました?」


 姿勢制御用の小型ロケットエンジンがここに来て故障の表示が出た。


 確かにこれで減速やコース変更などの想定外の大仕事をさせてきたのだから、仕方ないとはいえタイミングが悪すぎる。


 困ったことに、30メートルの距離では補給ポートのアームも届かない。


「燃料自体は残ってるのか?」


「はい、船長」


「では松木さん、操舵を命じる。どうせ軸線上にはいる。まっすぐのスピードだけだ。リン、生で燃料吹かせるぞ。タンクの圧力を上げてポンプの電磁バルブの出口を燃焼室ではなく噴射ノズルに直接だ」


 エンジンで燃焼ガスを作るのではなく、燃料をポンプから直接噴き出させて推力を得るイレギュラーな方法。燃焼ガスを作るわけではないから、推力も弱いし燃費も悪い。しかし、ゴールを目の前に議論する暇はない。


「申し訳ないが、やり直しは出来ないぞ?」


「分かってます。でも、私でいいんですか?」


「ケンジとチヒロの二人が見てる。しっかり頼むぜ」


「はいぃ」


 操縦桿を握るのは日常茶飯事。こんな非常時の訓練だってやった。


 しかし、最後のドッキングだけは渚珠がいつも苦手にしてきた。両親の最期が無意識のうちに体に染み付いてしまっている。


 窓の上に取り付けてある光学式の距離計を下ろした。その中心にドッキング用ターゲットマークを捉える。


「しっかりしなさい、渚珠!」


 緊張を振り払うように自分に呟きながら小さなペンダントを握る。遺品整理のとき、母親の私物から見つけた物を貰ったものだ。


「行きます!」


「任せた」


 自分で即座に弾き出した速度は秒速5センチ。本当にゆっくりと前に。これ以上は出したくない。万一逆噴射ブレーキが使えなかったときに、ドッキング装置で吸収できる速度。同時に残り時間に予備を足した数字だ。


「あと8メートル」


「5メートル」


「いいぞ、そのまま押し込め」


「3メートル、2、1、50……」


「到着だ。止めろ」


 逆推進を軽く吹かせて、機体は停止した。


「さすがケンジの娘だ」


 すかさずガチャリと壁の外側から音がした。外からの接続が終わった音だ。


 外部電源に切り替わり、消えていたモニターが明るくなり、酸素ゲージも一気に針が戻った。


「終わったぁ……」


 復旧した正式の距離ゲージを見ると、その差は僅か前後に1センチ、上下のブレは0。手動とは思えない呆れたほどに正確なアプローチだったことになる。


 ハッチが開いたランプが点灯した。






「お願い、もう終わりだから……」


 これまで地上から見守ってきた二人も、この最後の瞬間だけは手が出せなかった。


 アクアリアの軌道上なら、遠隔操作でもアームが届く5メートルまで持っていくことが出来る。指示を出して戻ってくるまで3秒のタイムラグがかかる場所では正確な誘導が出来ない。


 スラスターの故障の表示も出たけれど、それについての報告もなかった。この事態はよくあることだし、船上で対応できるだろう。


『行きます!』


 渚珠の声が聞こえた。


「5? 遅くない? 20は出しても」


「逆噴射使えない想定だよ。あれだけ大きいものをぶつけたら大変」


 気分的にはとてもモニターを見ていられない。凪紗も脳裏に浮かぶのはあの事故だ。


 凪紗はマイクに続いてスピーカーも切った。じっとステーション側からの映像を睨み付けるしかない。


「頼むわよ……」


「大丈夫。渚珠ちゃんにはご両親がついてる」


 ついに画面上の速度数値が0になった。


「どう?」



「ステーション! 結果は?」


『ALICEポート、1592便最終情報。誤差X軸1センチ、Y軸Z軸ともに0。相対速度秒速2ミリでした。把持キャプチャーは成功しています』


「やった……」


 手元で拳を握る。あとは渚珠からの報告待ちだ。


『ALICEポート、現在全ての系統が外部に切り替わりました。キャビン報告では全員無事。これより下船を始めます。A1592便通信終了サインオフです』


「よくやったぁ! お疲れさまぁ……」


 今度こそ、両腕を上に突き上げた。同じく座り込んでいた弥咲とも抱きつく。


 そんな管制室のカメラと音声をモニターしていた報道向けテレビの前で、奏空も泣き崩れていた。


 これで渚珠が帰ってくる。声だけでなく、その無事な姿を早く見たい。


 現地からのテレビ画像に切り替えて、画面を食い入るように見つめた。


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