第36話 もう誰も帰すなんて言わない!
「ねぇ渚珠ちゃん……」
「ほぇ? あぁ奏空ちゃん。今日はありがとぉ」
臨時休業を終えて、いつもと変わらない夜の時間。浜辺で押し寄せるさざ波を見つめながら座っていた渚珠の横に奏空が座った。
「こっちこそ、今日はありがとう。渚珠ちゃんにお洋服買ってもらっちゃったよ」
「喜んでくれれば、それでいいんだぁ。そう言えば、わたしの新しい靴代どうすればいい?」
「あぁ、あれはお直しも新品も制服経費で処理するから誰のお財布も痛まないよ」
奏空が夜風を部屋に入れているとき、隣の部屋の渚珠が見えた。
今日の店で最後にもらってきた、彼女の足形を今まで使わなかった予備にはめ込んでいた。暫くすればぴったりに馴染んでくると教わってきており、それをはめ込んでいるようだ。
『使ってあげられなくてごめんね……。どっちもこれから宜しくお願いね……』
もちろん返事はないし、靴に語りかけるなんて幼いと思う人もいただろう。でもそれが、これまで周りに友達も少なかった誰にも見せない渚珠の本当の姿なのかも知れない。
「わたし、まだ見習いなのに……。みんな優しいんだね……。ありがとう言わなくちゃ」
しかし、奏空は首を横に振った。
「ううん、渚珠ちゃん、私たちからも言わせてもらうよ。来てくれてありがとう」
渚珠はまだ気付いていない。彼女自身が「天然」だと思っている部分は、実は「何があっても動じない」というリーダーにとって一番重要な素質を彼女は自然と身に付けている。
渚珠が来てからというもの、他のメンバーはそれまで以上に自分の役割に専念できるようになった。彼女の存在は仕事ができる以上の効果をもたらした。
そんな変化のさなか、今回の修学旅行の一件があり、乗り越えた彼女はさらに強くなったと渚珠以外の三人は確信している。
凪紗だけでなく、弥咲も奏空も渚珠をアルテミスに帰すなど考えることもしない。もし、外部の誰かが渚珠を帰すなどと言い出したら、全員で阻止するだろう。
彼女の大きさは能力だけではない。その存在そのものが全員の安心感に繋がっているのだから。
「ずっとあんな感じの環境だったからね……。ここに来て、奏空ちゃんもみんなも優しくて、いつもベッドでボロボロに泣いちゃってね……。いつかお礼しなくちゃって……」
「そのままでいいの。渚珠ちゃんはそのままで」
たった一足の靴ですらあれだけ大事にできるほど繊細な心の持ち主。そして、失った両親が務めていて、本当なら近付きたくもないだろう港の仕事に自ら志願して来るほどの芯の強さは、一緒に仕事をしていれば自然と分かってくる。
「渚珠……ちゃん」
奏空は渚珠を両腕で抱き締めた。
「どうしたの?」
「渚珠ちゃん。私からもお願いしてもいい?」
「うん?」
「たまたまお仕事がきっかけだけど、渚珠ちゃんに会えて良かったよ。ずっと私の大切なお友達でいて欲しいな」
「うん。こんなわたしでよかったら、ずっとお願いします」
その夜、渚珠は奏空の部屋で、彼女に抱かれながら目を閉じた。
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