episode2 素顔のALICE

第8話 すべてが始まった日




『間もなく風力が規制値を超えます。屋外の機体は避難か地下への格納を急いでください』


 スピーカーから人工音声が繰り返し響く。


「本当に、よろしいのですか?」


 事務室の中では、作業着に身を固めた一団が二手に分かれてテーブルを挟んでいた。


「先ほど、私たち全員の家族がそれぞれの新居に到着したと確認がとれました。私たちはここで職務を遂行します」


 全員60歳近い。こちら側に座っている彼女たちは四人。そこにもう一人が部屋に入ってきた。


朱里あかりさん、全員搭乗完了です」


「ありがとう。夏希なつきさんは、本当にいいの?」


 朱里と呼ばれた彼女は、最後に報告を行った夏希に声をかけた。


「私もこの歳ですし。どこに行っても足手まといでしょう。朱里さんたちと最後まで楽しく過ごした方がいいですわ」


「分かりました。心海ここみさん。誘導ガイドをお願いします」


 朱里は横に座っていた心海の手を握った。


「それでは管制に入ります。現地の準備ができたら教えてください」


 彼女はゆっくりと部屋を出ていった。




 西暦2150年。人類はこの日、ある節目を迎えていた。


 この10年間。それまでの大規模災害から生存した人々が下した結論は、新天地を求めることだった。


 その数十年以上前から、人類は地球以外の新天地をいくつも開拓していた。宇宙コロニー、月面都市、そして最近開発が実行に移されようとしているのが、火星への移行である。


 地球ではなく、火星を第二の星として開発するテラフォーミングの計画はその5年前に始まったばかり。急ピッチの作業が今も続く。機能が完成するまでは月面都市と同じく人工都市機能を持たせながら、移住を実行すると中央政府が決断した。


 今回の計画に際しては、数十億の希望者は全員が許可された。


 環境が激変してしまい、海が表面の9割にも達した地球にこれ以上を求めることは出来ない。


 そして、彼らを送り出す宇宙港が各地に作られ、毎日、数千万という人々を送り出す役目を果たしていた。


 そしてこの日、移民船の最終便がこのポートを発つことになっていた。


 もうこの後の便はない。この船に乗らなければ、移民計画からは切り離されることになる。


 この船が発った瞬間、この星は自治区となり、自分達で全てを解決する遺跡地区になってしまう。


 朱里たちは、この港を最後まで動かすために残った五人だ。他の職員たちはすでに離れていた。


 もちろん彼女たちにも、船に乗る権利はあった。当初の技術的な見通しでは移民船が自力で宇宙空間までの航行が可能なはずだった。


 しかし、混乱の最中に建造された船にはトラブルも多く、現実的には地上から周回軌道までさまざまなサポートを行う最低限の業務は必要だった。


 所長の松木まつき朱里あかりは、この裏事情を一般のスタッフには話さず、誰が残るのかと職場が混乱する前に彼らを優先的に乗せた。


 メンバーは最初から決まっていたのから。


 責任者としての朱里、移民管理官の長谷川夏希、運航管制の原田心海、整備担当の秋田珠稀たまき、医務担当の小島尚美なおみという必要最低限にして朱里が信頼を誇る最高の布陣。


 幼なじみで同年代の五人は、移民計画の詳細を知ったとき真っ先にサインしていた。


 それぞれの家族たちを安全な場所に避難させることを条件に。


 そのなかには新しく再建された海底都市に残る者、新しい星やコロニーに移るもの。そこは問わない。


 移民がほぼ完了し、他の港は閉じられ、五人が最後の役目を果たすときが来た。


 今朝、中央政府から自治区への最後の引き継ぎが行われた。


「参りましょう」


 朱里は最後の乗員となる役人を船まで付き添う。


 そこには珠稀が確認を終えて待っていた。


「ご無事で」


「皆さんのご恩は忘れません。またこのALICEポートでお会いできることを。お元気で」


「はい。改名を認めてたいただき、ありがとうございました」


 朱里はこの朝、この港の名前を「ALICE宇宙港ポート」と改名した。変えたところで当面は大きく案内する必要もない。


 自治区の方にもそれは承認され、五人の現住所として書き換えられた。


「朱里さん、急ぎましょう」


 心海からの無線に促される。風が確かに強い。タイミングを逃せば安全に送り出せなくなる。


 夏希と尚美でドアを外側から閉め、珠稀が最後まで繋いでいた電源を機体から外した。


 朱里にすべてが報告され、コックピットにサインが送られた。


『全て完了。ご無事で』


 四人が機体から離れて並ぶのを確認して、船は動き始めた。


 轟音を立てて飛び立つ船を見送る五人の顔は晴れやかだった。


「終わりましたね」


「うん、終わった」


「みんな、ありがとう」


「今日はさ、ALICEポートの開港日だし。お祝いじゃん?」


 嵐の中、五人の声がその夜はいつまでも消えなかった。


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